OLi[生きる姿を、音楽と。]

32歳の不器用なサラリーマン2人(環と太)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介するエッセイメディア「OLi」です。 1日1日を生きるあなたに、人の生きる姿を、音楽とともに紹介します。 毎週金曜日更新。願わくば、僕たちが紹介するストーリーや音楽があなたに寄り添いますように。

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マガジン

  • 環のストーリー

    生きる姿を、音楽と。環のストーリーを紹介します。

  • トウキョウ百景

    東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育ったのは、東京だった。 「トウキョウ百景」

  • 太のストーリー

    生きる姿を、音楽と。太のストーリーを紹介します。

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エッセイメディア「OLi」はじめます。

はじめまして。 28歳の不器用なサラリーマン2人、環(たまき)と太(ふとし)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介するエッセイメディア「OLi」です。  1日1日を生きるあなたに、人の生きる姿を、音楽とともに紹介していきます。 毎週金曜日、たまーに不定期で更新していきたいと思います。 「OLi」に込めた思い 日常を生きていると、楽しい時間を過ごすこともあれば、納得できなかったり後悔したりすることもたくさんあります。 そうすると、どうしてもモヤモヤした気持ち、「澱(おり

    • 練馬春日町のバッティングセンターは看板を見る場所

      実は小学1年から6年まで少年野球のチームに入っていた。入った理由は「兄が入っていたから」というありがちなもので、野球というスポーツが好きとか、プロ野球選手になりたくてという感じではない。 兄やその友達と野球をなんとなく楽しめれば良かったのだけど、スポーツ至上主義な我が家にはびこる「本気でやり抜きなさい」という教えのもと、練習は休みなく行き、レギュラー争いに加わった。 4つ上の兄の世代が引退してからは、リーグ戦で1位から最下位に転落してしまい、とにかく弱かった。試合になると

      • 就活は誰のための舞台?

        振り返ると変な話だが、当時の私には自信があった。 大学3年生の頃、部活の同期と一緒に新宿のビルで開催されている就活イベントに行った。大きな会場に数十企業が集まり、就活を始めたばかりの人にも丁寧に説明をしてくれるイベントだという。マスコミ業界に就職したいとは思いつつ、「広い視野で企業選びをした方が良いと聞くしどうしたものか」と悩んでいた私に都合が良かった。部活の同期も就活をどうやって始めたら良いのかわからないとのことで、2人で行ってみることにした。 自動車、小売、情報通信、

        • 永田町で気軽に

          親友とは政治の話をする。 それは、自分が相手を親友だと認識する一つの要素になっている気がする。 そのくらい、政治の話は身近にしたいと思っている。 2021年5月末、親友たちのLINEグループで「デモに行かない?」と連絡した。親友たちは遠方に住んでいたり、仕事だったりしたが、桃香だけはタイミングが合って、一緒に永田町を目指した。 その頃与党が、LGBTQなど性的少数者への差別をなくすために必要だとされていた法律を審議せずに見送るという事態が報じられていた。社会の中でなかった

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        • トウキョウ百景
          69本
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          皇居ランをサボる方法

          10数年前に通っていた高校には、体育や部活で皇居ランをする悪習があった。僕はそれが嫌で嫌で仕方なかった。 サッカー部への入部当初、「うちの高校、外周が皇居ランだからな」と誇らしげな顔で話す先輩に「何キロぐらいあるんですか?」と質問すると、「距離はわからないけど20~30分?一番遅い奴は追加で走らされるよ」と答えてきたときは絶望した。 小学校のサッカーチームで吐くまで走らされた経験がトラウマで、「高校のサッカー部は弱いし、走り込みも楽だろうなあ」と高を括っていた僕は、その時点で

          夕方のぼくらは少しだけ自由で

          2023年12月から、高円寺のスタジオに通うことになった。トランペットを習うようになったからだ。 大好きなバンド「思い出野郎Aチーム」は、フロントマンがボーカル兼トランペットを担当していて、曲のかっこいいところでトランペットが鳴ることが多い。小学生の頃、学校の吹奏楽に入りたかったけど少年野球もやっていたから入れなかった自分にとって、楽器というのは憧れているものの、自分には縁がないものという印象だった。ただ、大人になって仕事の予定も読めるようになってきた今、大好きなバンドのよ

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          泉岳寺に散らばっている思い出

          大学生の頃、実家からキャンパスまでを自転車で通っていた。 第一京浜沿いをひたすらまっすぐに突き進み、一度だけ左に曲がって少し行ったところに大学があったのだ。 20分程度の道のりだったけれど、走るのは少し大変な道だった。 車と並走しながら少しきつめのアップダウンを乗り越えて、最初の難関は品川駅だった。 駅付近の歩道は歩行者でゴミゴミしているし、車道は車が多い。車は容赦なくスピードを落とさずに車道から建物の駐車場に入ってこようとしたりするので、なかなか危険だった(それで一度轢か

          泉岳寺に散らばっている思い出

          家族で行く品川の水族館

          「じゃあ品川でメキシカンを食べて、水族館でも行こう」。 そんなデートみたいな誘いを、家族にするとは思ってもみなかった。 2020年春、父が定年退職を迎えた。転職の回数が多い父だったが、最後は名の知れた企業で管理職をこなし、満足いくだけ働いた様子だった。父の誕生日と定年退職祝いをささやかだがすることになり、父の大好きなメキシカンを食べることとなった。当時私は大阪に住んでいたので、アクセスの良い品川の店にしてもらった。 私は家族と仲が良い。ただ、“どちらかというと”仲が良いだ

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          下丸子のガス橋で泣き腫らした日々が、いつか誰かを救うかもしれない

          下丸子のガス橋のグラウンドで何度も泣いた 平日仕事の時や休日に都内で電車に乗っていると、路線図で見かける駅名や、目的地までの通過駅で、ふと過去に経験した感情が湧き上がることがある。 嬉しかったことや楽しかったことはもちろん、思い出したくない嫌な出来事も含めてフラッシュバックする。 僕にとって、少し暗い感情にさせられる地名の一つが、下丸子だ。 小学生の頃、サッカーチームの都大会出場をかけた地区予選が、いつも下丸子にあるガス橋の土のグラウンドで行われていた。 僕の人生における

          下丸子のガス橋で泣き腫らした日々が、いつか誰かを救うかもしれない

          もしかしてあなたも怒っている?

          「Hi, I'm Tamaki」 菊川の映画館でそう話しかけると、白人男性の目が輝く。 「You really come here!!!」 サムは笑って握手を求めてくる。そしてパンフレットにサインをしてくれた。 サムは映像関係の仕事をしている。彼が何年もかけて作った戦争に関する映像作品の上映会があり、ちょうどタイミングが合ったのでお邪魔することにした。会場は50席ほどが満員。そして上映が始まると、多国籍な人たちがサムの作った映像を見つめ、息をのみ、凄惨な映像からも逃げずに、

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          五反田で捕まえたタクシーの中で

          社会人になって間もない頃の同期入社が集まる研修で、本当にどうしようもない一日を過ごしたことがあった。 研修自体はもちろん、そのあとの飲み会が更に居心地が悪かった。 何の実績もないのに研修でも飲み会でも自信満々に話す同期と対照的に、僕は何の実績もないからこそ研修中は自信なく話し、飲み会では話す言葉を失った。 謙虚というよりは卑屈な態度をとって、何か話さなきゃと放った言葉は誰も得しない言葉で、あまりにもどうしようもなかった。 逃げ隠れるように駆け込んだ居酒屋のトイレの中で、ちょ

          五反田で捕まえたタクシーの中で

          練馬ICを降りて道を間違える

          東京で車を運転するのが苦手だ。異様に多い車の数、それゆえに極端に狭い車間距離。車線は3も4もあり、右折専用、直進専用、左折専用など用途が限られてる場合も多いと思う。事前に知らなければ通行できないのでは?と思うことがしばしばある。 私は2013年に石垣島で車の免許をとった。島内には高速道路がなく、車線も2車線までだったと思う。そこで一年ほど生活していたので、ごみごみと人の多い中で車を運転した経験がなかった。 その後2015年に社会人になり、毎日車を運転するようになったが、そ

          練馬ICを降りて道を間違える

          多摩川のカラオケで拳を突き上げた

          「お、アジカン好きなんだ!ソラニン聴いた?めっちゃ良くなかった?」 「あー。聴いたと思うけど、印象に残ってないってことはあんまり良くなかったんだと思う」 「おー、まじか。今度また聴いてみて。オレ漫画のソラニンが好きなんだよね」 ソラニンが劇場上映された2010年。 大学に入学して軽音楽サークルに入り、人生ではじめて組んだコピーバンドのメンバーと、東急の多摩川駅でお昼過ぎに待ち合わせをして、スタジオに向かう道すがらの会話だ。 アジカン好きを公言していて、リライトを演奏したいと

          多摩川のカラオケで拳を突き上げた

          初めて行ったクラブは渋谷だった

          大学生の頃、初めてクラブというものに行った。クラブのイメージといえば、大音量で音楽が流れ、アルコール度数の強い酒を飲み、男女がいちゃいちゃして、ドラッグが蔓延する。そんな偏見まみれのイメージだった。ただ、私は初めて入ったクラブで同じような印象を抱き、結局は階段に座って始発が来るのを待っていた。 クラブに行こうとなったのは、親友・美香の誘いだった。美香の友達がクラブに何度か行ったことがあるお兄さんで、美香と私は「社会勉強じゃね」みたいな軽いノリで足を運ぶことにした。 連れて

          初めて行ったクラブは渋谷だった

          マスクの下でニヤけながら桜台の商店街を歩く

          コロナで緊急事態宣言が出て、外出できなくなった2020年春。 それから数年、自粛などもあって遠出をすることがほとんどできなかったあの時期のほとんどを、僕は練馬で過ごした。 もっぱら近所をぶらぶらするようになった僕は、少し距離があったけれど桜台駅の方まで散歩しに行くことがあった。 こじんまりとしていたけれど、落ち着いた雰囲気で、そして魅力的な飲食店も集まっていて、とても好きな街だった。 駅から歩いてすぐのところに美味しいラーメン二郎があり、人生で食べた油そば史上ベストを記録

          マスクの下でニヤけながら桜台の商店街を歩く

          新宿5丁目で第二の故郷を感じる

          地元が東京だと告げると、東京以外の出身の人からは「いいな」とうらやましがられることが多い。「都会だね」とか「楽しいことが多そう」といったことから、「出身は東京っていいたい」とか「田舎は何もないから」といったことまでさまざまだ。 ただ、私は褒めてくれる人たちと同じような気持ちにはあまりなれず、「東京以外の出身って言いたかった」と思ってしまうことが多い。 だって、田んぼで鳴くかえるの声、木々の青々しさ、何も邪魔するものがない広い空、一面が真っ赤に染まる夕暮れとかは、東京にはな

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