キノシタケイコ

ヨガ講師。心理セラピスト。そんな私でなない私をここで書いて行きたいのです。 スピリチュアルであることの大切さを日々噛みしめるように暮らしたい。

キノシタケイコ

ヨガ講師。心理セラピスト。そんな私でなない私をここで書いて行きたいのです。 スピリチュアルであることの大切さを日々噛みしめるように暮らしたい。

最近の記事

SNSでの「いいね」に込める想い

SNSで、いいね!がついたら嬉しい! いいね!が多かったらめっちゃ嬉しい! いいね!が少なかったら寂しい....... いいね!の数に心を左右されるな! と言われるし、それはごともっともな意見だ。 そう思っている、思ってるんだ、 そう思いたい、思っているんだけど...... どどんどん声が低く弱くなってくる、笑。 関西人の方ならご存知な蓬莱の豚まんの CM(肉まんちゃいます、豚まん) みたいなもん、 いいね!がある時→笑顔マーク いいね!がない時→凹みマーク と、

    • エアポートホテル強制収容2泊3日

      ここ7〜8年、毎年インドに行っている。 全て勉強絡みではあるけど、インド自体が好きなんで勉強に恰好つけて、 インドに行っていると言ったほうが正解かもしれない。 インドに行く準備からインドの洗礼を受けるのは、私だけではないはず。 大きな洗礼はビザだけれど、その前から結構ちょこちょこ受ける。 インド国内移動のチケットを購入したら、Comfirmされて来たフライト時刻が、私が指定したのとは違ってめっちゃ早いフライトになっていた。 普通なら、ここでやり取りするのだけれど、

      • 人の性(saga)

        インスタ映えした日々を望むのは人の性(saga)なのか? SNSがこれだけ日常に浸透すると、 なんか世間は、皆んな楽しそうでかっこよく賢そうでお金にも不自由なく素敵なものに囲まれて暮らしている....... そんな風な幻想を持ってしまうのって人の性。 私は、ブッサイクな顔は絶対アップしないし、 うん、これならええかも?と自分でオッケーしたものしかアップしない。 これって、ある意味見せている。 見せ方をちょっくら意識している。ちょっくらどころではなく大いに意識してる。

        • オカンの世間体に未だ振り回されている

          我が母、オカンは世間体の塊である。昭和一桁生まれの京都のど真ん中の小さいコミュニティの中で、一生懸命生き抜いて来たからそうせざる得なかったのだ。 どんな価値観、世間体であっても今は「逝く時はポックリね!」を合言葉に少しでも機嫌よう毎日暮らしてくれてるからそれだけで有難い。 しかしながら、オカンの価値観と私の本質的価値観が、全く違うから小さい時からそれはもうしんどかったのも正直な話。 今でこそ、そうか!価値観が違ったのよねーとガッテン!ガッテン!ボタン押せるけれど、そうな

          叩き上げ職人

          私はヨガ講師です。そしてTTCとか習得していない人です。だからヨガインストラクター、ヨガ講師と名乗るのにすごく以前は抵抗があった。 今でこそ、ヨガインストラクターは職業として社会的にも認められている。 ヨガインストラクターに成りたくて、ヨガを始める人も少なくない。全米ヨガアライランスとか、インストラクター養成講座とかで何百時間と講座を受けて、それ相当の勉強をされている人達が、職業としてヨガに関わってられている。 私は?そういう意味では「ごめんなさい。」全く持ってヨガイン

          叩き上げ職人

          やくざな血が流れてる

          「オケイ、お前さんは、気づいてないけどやくざな血が流れてるでー」そう指摘したのは、今は亡き短大の教授。心理の専門家でもあり家庭裁判所の調査員でもあった教授は、たまに突拍子もないことを言う。 試験の論文なんぞは生徒の書いてる内容なんてさぼと変わらん。そんなに必死に勉強しとる子いいひん。だから成績つける時には、読みやすい字を書いている生徒が優になること多いなー。と卒業後にバラした人。 因みに40年前の論文ですから手書きです。化石のようでスミマセン! でどうやら、私は字は綺麗

          やくざな血が流れてる

          全て自分が決めている

          昨年の今日は北欧を旅していたんだ。めっちゃ羨ましいぞー去年の私。                                                           ここ数年は、自分で驚くほど海外・国内を旅した。インドは毎年でそれ以外に北欧、イギリス、イタリア、フランス、屋久島、沖縄、五島列島等。                                                                                  

          全て自分が決めている

          器なんか取っ払え!!

          そのような器じゃございませんと。とよく日本人は使います。器のちっせいやつや!、あの人は器のでっけかい人やさかいに任しといたたええ!!そんな具合に人の器量(心の深さ、広さ)を器で例える。 人はいろんなこと経験して、そこから学んで度量っていうかそんな心の幅を構築している訳だけれど、もしかしてその度量・器ってなるものを自分勝手に最初に作ってしまってその中の範囲に収まるようにしているのかもしれん? それは、親・学校・社会・世間・のから大きく影響で、「私の器ってこんなもんかいな」と

          器なんか取っ払え!!

          まずいよ、彼女が来ている!!

          早朝に、化石のような過去が蘇った。 30年も前の過去の場面。まだ切れていないと(別れてはいないんだ)と思っていた恋人が休暇でインド旅行から帰国した時に、わざわざ空港まで迎えに行ったバカな私。 インド旅行といってもツアーで、それもその頃頻繁に会社生活に疲れたらインドに逃避旅を1週間ほどしていた私に感化されてのこと。私のインド旅といっても現地で友人でもありガイドでもあるインド人に守られながらの贅沢OL旅。大したことなどないもない。 話戻って、多分あの頃もう二人はダメだったのだ

          まずいよ、彼女が来ている!!