やくざな血が流れてる
「オケイ、お前さんは、気づいてないけどやくざな血が流れてるでー」そう指摘したのは、今は亡き短大の教授。心理の専門家でもあり家庭裁判所の調査員でもあった教授は、たまに突拍子もないことを言う。
試験の論文なんぞは生徒の書いてる内容なんてさぼと変わらん。そんなに必死に勉強しとる子いいひん。だから成績つける時には、読みやすい字を書いている生徒が優になること多いなー。と卒業後にバラした人。
因みに40年前の論文ですから手書きです。化石のようでスミマセン!
でどうやら、私は字は綺麗でないけど、とにかく読みやすい字を書いていたらしい。だから成績が優だったんだーと知ったのも卒業してから。
それはともかく、私にやくざな血が流れているとはなんぞや!!
どちらかと言えばやくざなクラスメイトを更生させる学級委員長みたいな人やったから。
教授曰く、きちんとしてるフリしてるけど実はちゃうねん。ほんまは勝手気儘でこの社会のルールが窮屈でしょうがない奴。教師の僕からすると何考えるのか分からんけどいつも頭では、おもろい事考えてる子。でもそれを実行しとらへんのが、僕には残念やー。と。
正直その時驚いた!!その驚きの正体が何か掴めなかったけど、私が誰にも隠し続けていた、親にも悟られずにいたパンドラの箱を勝手に開かれそうになった感覚だったのだ。
でもその時(もう35年も前)は、即それを打ち消して又パンドラの箱を閉めた。そんなん怖いもん。
それを何で今頃思い出しているのか?
ようわからんけど、ほんまに社会のルールが窮屈になってきた。いい人であり続けることがしんどくなってきた。ここで言ういい人とは世間から見て都合の良い人。
今まで、心の中では納得できないことでも、しゃーないなーと多数決で多い方に寄り添ってきた。それが都合のいい人。でもそれでは通用しなくなってきた。
それあかん!と思うのは少数でもあかん!と言う。
そのルール古すぎませんか?偏った意見からのルールじゃないですか?と思ったらディスカッションする勇気も持たなくてはいけない時代になってきた。
それくらい危機感出てきたように思う。
やくざな自分を封印して、世間の都合のいい人を演じてきた人達少なくないと思う。
そろそろパンドラの箱開けて、やくざな私でまずは自己改革していきませんか?
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