SNSでの「いいね」に込める想い
SNSで、いいね!がついたら嬉しい!
いいね!が多かったらめっちゃ嬉しい!
いいね!が少なかったら寂しい.......
いいね!の数に心を左右されるな!
と言われるし、それはごともっともな意見だ。
そう思っている、思ってるんだ、
そう思いたい、思っているんだけど......
どどんどん声が低く弱くなってくる、笑。
関西人の方ならご存知な蓬莱の豚まんの
CM(肉まんちゃいます、豚まん)
みたいなもん、
いいね!がある時→笑顔マーク
いいね!がない時→凹みマーク
と、
まぁーこれはまだまだ私にとっての課題としてとっておこう。
ここまで来て、
その事書くんちゃうか!と思われた方すみません。
そこまで、まだ自分を掘り下げておりません。
いつか、書きます。
で!!本題。
時々、これ「いいね」って押していいもんやろかって思案してしまう時多いにあり。
親しい人の悲しい出来事の報告、
ご自分の病気の事や、ご家族の事。
近しい人が亡くなられた報告.....
いいね!ってgood やniceな訳にしてしまいがちで、実際そのように思っているから「いいね!」はちゃうなーー。
なんて、いいね、ボタンを押すのを躊躇してしまう、私。こっれて私だけ?
今朝、きなこさんのnoteを読んでいた。
電車の中で。という事は不特定多数の大衆の中で。
そしてはっ!!と心打たれて泣いた、涙を流した。慌てて鼻グスングスン鳴らしながら新宿駅に降りた。スマホ片手に。(読みながらは歩いてへん、念のため)
何故泣いたか?
「いいね」をこのような想いで使えるんんだ。このような神聖な祈りを込めて押している人がいる。
これで泣いた。
Noteではきなこさんの紹介なんぞ私からは無用やと思う。けどちょいときなこさんの Twitterから拝借して。
ADHD児息子10歳、
マイペースが過ぎる娘①8歳、
重度心臓疾患児娘②1歳の母。
娘②の病院での様子を面白おかしく書かれているが、そこまて客観視される
までには、多大な葛藤あったに違いない。
きなこさんは、ご自分と同じようにお子さんが生まれ持って重度の疾患を持たれて
いる人達とSNSを通して、励まし励まされ繋がりを持たれている。
そんな状況の人。
昨日、「子どもが旅立ちました」
そんな時も。
私は、我が子の死の痛哭の最中にあって、その訃報を知らせてくれるママにはいつもとても感謝している。
そうしてもらって初めて私達は、短い時間を懸命に生きた、その小さないのちに香華を手向ける事ができるのだから。
私達はその子のことを直接は何も知らないのだから。
そして、祭壇に白い百合を置くような気持ちで「いいね」を押しに行く。
子どもと付き添い入院とあとひとつの話から抜粋
SNSだけで会ったことはないお母さんから悲しいお子さんの報告を受ける時もある。
こんな時にSNSに投稿するなんて!という批判をされる価値観の人もいる。
でもきなこさん達には、同じような状況の中で時には自分が折れて倒れそうな時に、思いを吐き出す場所が必要だった。
書くだけで救われることだってあるんだ。
そしてそのような仲間が最愛なる我が子が自分より先に旅立ったことの報告を受けてた時。
いいね!を祈りを込めて押す。
多くの言葉をコメントで述べるのも一つの自分の思いの表現方法だけれど、
いいねをそんな想いを込めて押すこともできる。
それの想いは、相手には伝わらないかも?しれない。
だけと、何かでリアクションしたすることで、微細だけど、エネルギー(素粒子)は流れているはず。
これを読んで、いいね!を
このように使うっていいねって思った。
ただ、それだけの事を書きたかった。