器なんか取っ払え!!
そのような器じゃございませんと。とよく日本人は使います。器のちっせいやつや!、あの人は器のでっけかい人やさかいに任しといたたええ!!そんな具合に人の器量(心の深さ、広さ)を器で例える。
人はいろんなこと経験して、そこから学んで度量っていうかそんな心の幅を構築している訳だけれど、もしかしてその度量・器ってなるものを自分勝手に最初に作ってしまってその中の範囲に収まるようにしているのかもしれん?
それは、親・学校・社会・世間・のから大きく影響で、「私の器ってこんなもんかいな」ともう無意識に自分でドクロを回しながら器を設定している感じ。
でも、注意したいのはこの親・学校・社会・世間の影響ってそれらの都合で構成されているわけですよ。
もう死語かもしれないが、女の子は短大でよろしい。4年生大学出たら嫁ももらいてなくなる、ってマジで信じていた親に育てらればそれだけで器がある程度決められてまう。
実際高校受験の時の三者懇談会で先生が、優秀やし〇〇高校トライしなさい!!とすごい高い偏差値の私立高校を進めた時に、我がおかんは私の意見も聞かずに「内は公立高校でよろしい。滑り止めの高校どうしましょ?」と半ば強制的に意見と通そうとしたので、先生は「そんなら、滑り止めはいらん!!、絶対落ちることはない。」と数分で私の意見も何もなしに三者懇談は終わった。
おかんは意気揚々としている。だって100%おかんが私に希望する高校の合格保証を先生から取り付けたようなものだから。そして当時の私は、挑戦すると言うファイティングポーズの両手を降ろしてしまった。
私の脳みその状態がどれほどか?私自身知ってる訳で、その私立の高校に合格するには、それ相当の勉強、もうガリ勉まっしくらぐらいしなくては儘ならぬ脳みそだった。
でももしかして先生は、一回それぐらいお前の脳みそフルに使ってみんかい!!って必要以上に神経質な私の気質に風穴を開けようととしてくれたのかもしれん。
そう思うようになったのは、つい最近でその当時は楽勝で公立高校合格し、そのまま勉強する意欲を降下させていくことになるのだが。
そうあの時私は自分で勝手に器を決めてしまったのだ。もちろんオカンの影響とかあるけれど、それに挑戦させてくれ!!とお願いしたらそれでもNOという人でないことは娘の私が知っている。でも出来なかったんだよね。
そんな器の私が、短大の教授に言われたこと。『オケイ、(彼は私をそう呼んでいた)器は作ってしもたらもうあかん。その中に収まろうとしてしまうのが人間や。器なんか決めるな!作るな!。』
高校の先生も、短大の教授も私に優等生を求めていなかった。器に収まろう、収まろうとする私を壊そうとしてくれていたんだ。
今になってようやくわかった。心から感謝したい、お礼が言いたい。でも二人ともさっさと肉体離れている。魂でお礼を言おう。
今からでもお遅うないですよね。器取っ払うの。