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オカンの世間体に未だ振り回されている

我が母、オカンは世間体の塊である。昭和一桁生まれの京都のど真ん中の小さいコミュニティの中で、一生懸命生き抜いて来たからそうせざる得なかったのだ。

どんな価値観、世間体であっても今は「逝く時はポックリね!」を合言葉に少しでも機嫌よう毎日暮らしてくれてるからそれだけで有難い。


しかしながら、オカンの価値観と私の本質的価値観が、全く違うから小さい時からそれはもうしんどかったのも正直な話。

今でこそ、そうか!価値観が違ったのよねーとガッテン!ガッテン!ボタン押せるけれど、そうなるまでどれだけ悶え苦しみ葛藤の日々であったか。

と悲劇のヒロインになるつもりは毛頭ないし、あの大いなる葛藤が私の進化を促してくれたのだから、やはり私はオカンを選んで生まれてきたんだな。とつくづく思う。


オカンの価値観は、世間様が自分をどう見ているか?!それに全力投球している。

いつもオカンは、世間様から良い人、親切な人、優しい人でなくてはならないのだ。世間様からいい評価を受ける事に全力投球する。

そして何故か?物をくれる人は親切でいい人という構図が出来上がっている。

だから

人様から物をいただいたら、即お返ししなくては自分もいい人とは思われないと信じている。


「どうもすみませんなー。いつも手ぶらの娘で。私か元気でこうして帰省していること自体あなたの幸せなのですよ。」何て言ったらめっちゃ怒られるだろう。


今回の帰省時も、家は①私がよーく知ってるおはちゃん ②少しだけ知ってるおばちゃん ③全く知らんおはちゃん達が何か物持ってきてお喋りされていた。

そう、オカンは人気者なのだ。確かにいい人であると思われている。

宅急便屋さんしか我が家に来ない私とは大違いなんだ。

それはそれでいい。

厄介なのは帰省時に、誰かが訪ねて来る度にオカンは、奥に引きこもっている私に「いつもお世話になってる〇〇さんやから、挨拶して!」と料亭囁き女将のように私を玄関まで引きづり出すのだ。


①知ってるおばちゃんなら、もうみずから②少し知ってるおばちゃんなら、その時の気分次第で出不精の私でも挨拶にいく。、でも③全く知らんおはちゃん、そして相手も私の存在すら知らないおばちゃんにまで女将は囁く。

そして、特に③の場合でもブツブツ心で不貞腐れながらも、ありったけの腰の低さで挨拶してしまう私がいる。「いつも母がお世話になってありがとうございます。」と。

どこまでお世話されてるのか?知らないままいうこの嘘つきケイコとしての妙居心地悪さよ。

何故!このようにオカンに従ってしまうのか?

これが問題なのだ。

挨拶くらい些細なことだけと、私と価値観が反する事でも指図されるのそう動く私の習性が未だに生きているのが納得し難い。

もう、そんな手には乗るまいよ。オカンの価値観は認めるよ。でも私は違うんだ。だからやんわりと微笑みながら従わない。もう私にはその準備が出来ているはず。。。

そう思っていたのに、何故かオカンに内心反発しながら、動いている私がいる。


窮極の出来が起こった。

めっちゃ親しい双子のようなおばちゃんの嫁さんが、業務用スーパーでいつもお二人が食べている朝食用のチーズを買って来てくれたらしい。それを2人で分けっこして、各自で朝に食べる。ただそれだけの事。

従来は、半分の値段をオカンは払わなくてはいけないのに、「いつも世話になってるし。」と受け取ってくれないらしい。

だからオカンはその同じ業務用のチーズをそのスーパーで今度はこちらが、買って半分をただで渡さなければ、気が済まん状態に入っていた。

その話を聞いて、最初は「ええやん、甘えといたら。何ほかに美味しいもんあったとき渡したらええねん」とスルーしたが、そうは収まらない様子。

時間ある時業務用スーパーでチーズ買ってきてーを繰り返し言い出した。

私の本音としては、

何てそこまでお返しに拘る。ほんまにそれ意味ないこと。

生協で同じチーズ少量ずつ買ったらそれていいだけと思っている。

しかし、業務用スーパーのたくさんの量であの値段で買ってボーン!と半分渡して、お金は必要ない。これが前回のお礼でありお返し。から離れない


ある日、体力的に疲れていた時、「いつでもええからあんたが京都にいてる間に業務用スーパーに行ってチーズ買って来て。そやないとお金受け取らはらへんねん。」と又々言い出した。

「いつでもええ」と言われてももう、そのいつでも行ける時は、その時しかなかった。そして私は疲れていた。

なのにだ!なのにだ!

反抗もせず、「そんなことどうでもええやん!」と突っぱねることも出来なくて、私はチャリで業務用スーパーに向かっていたのだ。

もう、半無意識!

それも、観光客でごった返している京都四条通り、錦市場を潜り抜けて行かなくてはいけないスーパーだ。その中を潜り抜けている時、我に返った。

私何してるんやろ?オカンのお返しの拘りの為に、ただのチーズの為に何でこんな人混みの中に疲れた私がいるんやろ?

そう思った瞬間!余計疲れが出て少し泣いた。

疲れているから泣いたのではなく、

なぜそこまでお返しに拘る。双子のように親しい間なのにどうして甘えることが出来ないのか?
その嫁さんに感謝したらいいだけなのに何故私がそのお嫁さんの代わりをしなくてはいけないのか?

そんな思いが私を疲れさせた。

そして追い討ちをかける出来事が私を襲った。そのチーズが売ってない!!電話でオカンに確認してもそのチーズ売り場には、オカンの指示のチーズはなかった。

似たようなはあったけれど、それは要らん!と却下された。

その業務用スーパーでそそるものは何もなく手ぶらで帰りのチャリを漕いだ。


家に帰ってから私はもう一度お願しておいた。「チーズは生協で買ってな。」と。

オカンは、「ご苦労さんやったなー」と労いの言葉かけてくれたけど、チーズのお返しどうしたらええんや!が頭の中に占めているのを私は見逃さなかった。


何故?私はオカンのこの世間体の拘りにへきへきしながらも、嫌嫌身体を動かしてしまうのか?!

心はなんで???と思っているのに。

これをオカンの洗脳と呼ぶのか?


いずれにしても、オカンはご近所さんに慕われてる。皆さんほんまありがとうございます♡











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キノシタケイコ
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