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悩みとはなんだろうか。葛藤という側面と、解決できない問題という側面から考えてみた。
これまで仕事において、私は沢山悩んできた。
また、「自己理解」と言う領域においても非常に多くの思考をした。
ストレングスファインダー等の強みに着目した分析などを通して、自分なりの得意なパターンを考え、課題を解決してきた。
そんな中の悩みといえばこんなところか。
管理者としての職務を全うできているのだろうか
今の言い方で伝わっただろうか
まだ見落としている課題があるのではないか
なぜこんな状況になってしまったのか
家族とまた喧嘩してしまった
人間関係、事業戦略、自身のキャリア、家庭についてなど、悩みは尽きない。
私は「内省」が強いタイプの人間だからか、一人の時間を好む。
そして、沢山のことを考える。
意味のないことも沢山考える。
そして、たまに思う
「何に悩んでいるのだろうか?」
人間の「悩み」とか、思考に関してなぜこんなに答えが出ないのかともどかしく思い、私は他人の思考に触れたいと思い、書籍を読み漁った。
その中に、納得感のある説がいくつかあったので、私自身の復習も兼ねてご紹介したいと思う。
【著書名】ストレスと適応障害
【著者】岡田尊司
【著者略歴】1960年生まれ。精神科医。医学博士。京都大学医学部卒。パーソナリティ障害や発達障害治療の最前線で活躍。現在は岡田クリニック院長(牧方市)。山形大学客員教授。
【編集】幻冬舎
【発売日】2013年5月初版。2017年第9版発行。
目次
①「悩み」の2つの意味について
ー相反する気持ちをどう扱えばいいのか
ー未解決な問題を解決するにはどうしたらいいのか
この著書によると、悩みとは下記2つの側面があるそうだ。
順に見ていこう。
①葛藤という側面
②解決できないという側面
一つは、悩みとは葛藤だという側面だ。こうしたいと思うが、そうすることには大きな困難や代償を伴うので、なかなか踏み切れない。あるいは、どちらを選びたいのか自分でもわからないという場合もあるだろう。何かをやり続けたい気持ちと、止めて新たにやり直したい気持ちの間で心が引き裂かれるという場合もあるだろう。
つまり悩みとは、決断することの困難である。決めたいが決めきれない。二つの心の間で揺れる。それが苦しさの正体だと言える。
悩みには、もう一つの側面がある。それは、問題が解決できないという側面だ。容易に解決できる問題なら悩みにはならない。解決したいと思うが、自分の手には負えないと思う。解決できない問題が、いつまでも心に重荷になってのしかかり続ける。場合によっては、問題に向き合うことから逃げてしまうこともある。しかし、それで問題が片付いたわけではなく、心のどこかに未解決の問題のことがしこりとなって巣食っている。
つまり、悩みの正体とは、未解決のままになった問題でもあるのだ。
①相反する気持ちをどう扱えばいいのか
葛藤という側面を考えた時、大いにその状況が想像できた。
あの人を説得しなくてはいけないが気が重いとか、無理な仕事を頼まれた時に受けるかどうか等の状況の時。
しかし大抵の場合、どちらにメリットがあるのかとか、目的はどこにあるのかなどを考えていき、自分なりの結論を出していく。どちらが正解かとかは正直わからないが、一定の納得感を持って進んでいくことができる。
しかし、そこに本当にどちらにも価値があるように思えてならない、そんな状況もある。
例えば愛人関係が挙げられている。妻も愛しているが、愛人も愛しているという状況で、どちらを選ぶのかを強いられている。
仕事においても例えば、転職すべきかどうかとか、昇進の話を受けるかどうかなど、様々なことが降りかかってくることだろう。
そんな状況のことを、著書の中では「両価的葛藤」とまとめていた。
意思決定を困難にしたり、狂わせる重要な要因の一つに両価性がある。両価性とは、反対の気持ちを同時に抱えることである。
人が悩む時、どっちとも決め難く、心が引き裂かれる状態、つまり両価的葛藤の状態に陥っている。
どの進路やキャリアを進むべきか。
アルコール依存症やパチンコ依存症の人が自分の楽しみを断念すべきかどうか。
仕事で成果を得るにはどの方法や方針でいくべきか。
実際に出会う場面はいくらでもある。
まずは内的葛藤の正体は何なのかを突き止めることが肝要だ。
私の場合、
デイサービスの人員に関する問題で、あることが挙がった。
「適切なリスク管理が行えないので、人員を増やしてください」
代表との話に上記を出すと下記のように言われた。
「岡田くん、効率よく業務を整理すれば、現在の人員でも稼働率を高めていけるはずだ。」
この時、インフルエンザによる急な欠員などが続きシフト調整に追われ、休みが取れない職員やシフト変更を余儀なくされた職員が多くいた。事業の方向性ピボットのため、オペレーションも安定していなかった。
おそらく職員が言いたいことは、
「私たちがシフト交代も含めて安定的に目指しているサービスを実現するには、フロアを管理できる人間を〇〇配置しなければいけないので、オペレーションが落ち着くまで充分な配置をお願いしたい。」
代表が言いたいことはこうだ。
「そもそも業務分担やオペレーションの見直しを先に行うべき。必要な業務に対して人員を配置すべきだ。」
どちらの言い分も分かるので、私は何が優先順位が高いのかその時分からなかった。
行動としては、ヒアリングを重ねて業務手順を洗い直し、問題がある箇所をリストした。そして、課題があるのか仕方がないことなのかを一つずつ判断していった。
そこで、判断に迷うケースがあった。
「事業のコンセプトを〇〇に置くなら人員を置くべきだが、特に重視しないのなら必要ない。どうしたものか。」
職員の意見も割れている。まさに両価的葛藤状態だった。
最終的には方針を決めて、そちらへ説得し前へ進むしかない。
しかしどちらの方が正しいのだろうか?
内的葛藤の正体を考えてみよう。
私はどちらの方針にしようか?
という葛藤に向き合っているように思える。
しかし、もっと掘り下げて考えてみると、
「内心〇〇の方針の方が良いと思っているが、反対意見の〇〇さんの説得が大変そうだ」とか、
「代表の想いは〇〇だろうから、こちらにした方が賢明だろう」とか
「社会に求められている理想は〇〇なので、方針はこちらで事業成績を上げる方法を模索するべき」とか
様々な思考が巡っている。
一つづつ葛藤を書き出してみて、自分がどういう選択肢で葛藤しているのか客観的になることが、葛藤と向き合うときに必要なことらしい。
また、もう一つの両価的葛藤の解決方法として、動機づけ面接法というものを挙げている。
動機づけ面接法は、相手の意思決定を助け、強化するためのものだが、この方法は悩んだ時や迷ったときに、意思決定をするのに自助的な方法としても応用できる。まず自分の中の葛藤を明確にしてみる。それをできるだけ明確な言葉で書いてみる。自分がしたいことと恐れていることの間で気持ちがワナにハマっていることがはっきりするだろう。そのうえで自分がしたい気持ち、恐れる気持ちをそれぞれ十段階の数字にしてみる。さらに、それをした時のメリットデメリット、恐れてしなかった時のメリットデメリットを書き出し、比較してみる。
そして、もし自分が恐れていることを乗り越えられたとしたら、自分はどうするか書いてみる。
自分が人生で大事にすることや、それだけは望まないということを書いてみる。
そうした操作の中で、自分がどうしたいのかが次第に明確になってくるはずだ。
②未解決な問題をどのように解決すれば良いのか
問題を解決するということは、そもそもどういうことなのか。
答えが見えることか?
人間関係においてもそのようなことが明確に言えるのだろうか。
この書籍の中では下記のように述べている。
自然科学や数学では問題の答えは内在しているものである。ただ、われわれにはその答えが見えない。補助線を引く、顕微鏡を使うといった何らかの操作を行うことで、見えなかったものが見えるようになる。しかし、応用科学や、さらには人生の問題となると、答えが内在しているというわけではない。すでに存在している答えを発見することが、問題の解決ではないわけだ。それでも、われわれは、それを解決することができる。なぜだろうか。
ー中略ー
人生の問題に人が迷うのは、解決の仕方がわからないというよりも、どういう解決に辿り着こうとしているのかが、見えていないためである。ゴールがはっきりしていないのに、試行錯誤を繰り返したところで、よけいに迷うだけだ。
つまり、問題を解決する最も近い道は、ゴールを明確にするということである。
確かにそうだ。
事業については、理想の世界があって、どのような社会貢献となることが理想か考えること、立ち返ることで事業の細かい方向性が見えてくる。
巨匠と素人画家との違いは、自分の描こうとしている絵が見えているかどうかと言うが、まさにである。
どんな介護事業にしたいのか
どんな会社でありたいか
自分自身がどんな人間でありたいのか
そんな根源的な自問から、解決方法が見えてくる。
問題を解決するための2つの原理として下記が挙げられている。
「解決志向アプローチ」と言う手法の原理だ。
①ゴールを明確化すること
原因から物事を考えるのではなく、どうなりたいか、何が欲しいのかと言う観点で考えること
②例外的な事象に着目すること
先入観から予測されることから外れた現象にこそ、気づいていない真実や解決が潜んでいるかもしれないという考え。
具体的手順としては、
①問題を把握する作業をするが、複雑な葛藤までは踏み込まない。
②解決してどうなりたいのかを具体的にイメージする質問を自問自答する
「解決できたらどうなりたいのか」
「その時、どう変わっているのか」
「現状は十段階で、どれくらいうまくいっているか」
「ではすべてが達成された10の状態は、どう言う状態か」
「3→4に上がるためには、何が必要か」
「奇跡が起きて問題が解決したら、自分はどう変わるか」
「問題が解決した時、うまくできたのはなぜか」
「今の自分に達成可能なゴールはどこか」
こうした作業は結局のところ、自分が何を求めていて、何をのぼんでいるのか、どこに向かおうとしているのかをはっきりさせていくプロセスそのものだ。
曖昧なままでは、自分に嘘をついているようなものだ。
悩みや葛藤をどう解決すればいいのかと直球で聞かれて、どう答えるのかと言われれば、少々辛辣かもしれないが、
自分で考えろ
と言うことなのかもしれない。
結局のところ、問題に正面から向き合って、自分の葛藤や求めている答えを自問することで、初めて乗り越えるべき壁が見えてくる。
それを乗り越えるべき階段と捉えて登る努力をするのか、はたまたさっさと逃げるが勝ちなのかは、最終的には自分しか答えを持っていないのだ。
私は今、なぜこの職場を選んで現在の職務をしているのかと言うことを非常によく考えるようになった。
目標を超えては次の目標を立て、いつまで続けるのか、5年後自分はどうなりたいのか。
色々な助言を頂くが、結局のところ最終的に判断するのは自分であり、判断材料を集めているに過ぎないので、自身の置かれている状況を俯瞰してみながら、自分で考えることが必要なのである。
紙に書いて俯瞰してみたり、時間をかけて言語化をしてみると、意外と整理が頭で考えているより進む。それは私の「内省」の要素が強いからかもしれないが、言語化することは少なくとも大事だ。
もし「コミュニケーション」や「活発性」などが高く、話しているうちに整理できるタイプである場合や、周りに聞き上手な人や信頼できるパートナーがいる場合には、言葉にすることで言語化していくと解決の糸口となるかもしれない。
(私は話をするだけでは全く整理されない、、むしろ一人でいる時間が取れない時は深い思考ができない)
あなたは今、人生の進むべき方向について悩んではいないだろうか?
自身の抱える葛藤を明確にするだけでも、自分の戦うべき相手がはっきりとみえ、朧げだった輪郭が姿を表す。
霞んでしまって鬼の形相に見えていたとしても、一旦霧を払ってみると仏の顔かもしれない。
次回には、葛藤を考えるうえで軽視できない、ストレスとは何かを考えてみたいと思う。著書を読んで自分に当て嵌めた時、私のストレス要因が明確になるとともに、ストレス耐性に関わる因子や葛藤に対する向き合い方がより鮮明になった。
自身を整理しながら、書き留めていきたい。
もし同じ悩みを持っている方がいれば、是非自分のストレス耐性に関わる因子を明確にしたうえで、本記事の葛藤について自問自答してみると参考になるかもしれない。
最終的には自分で決めるしかないものの、いくらか救いようのある方策が見つかると思う。