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不登校の歴史~あの恐ろしい首縄時代を知っていますか?~


こんにちは、おあです🤗
3児子育て中で、小学生の娘2人はホームエディケーションを選択しています✨
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるnoteです📒

今回は、「不登校の歴史~あの恐ろしい首縄時代を知っていますか?~」というテーマで書いていきます🖋


■教育問題を学び始めたきっかけ


我が家の娘たちが小学校を辞めたのは、2022年。
約2年前になります☘️
その時から、我が娘たちは「不登校」というカテゴリーに分類されることになりました🙌
そこで初めて、私は「不登校問題」を知り、学校や教育というものを1から勉強するようになりまして・・・。


その過程で1番ビックリしたのは、自分が生まれるよりもずっとずっと昔から、この教育が問題であると。
こんな教育をしていたら国が滅びると、ずっと言われてきたという歴史でした😨

今は❝不登校❞という表現になっていますが、当時は❝怠学❞だとか❝学校恐怖症❞❝登校拒否❞といった言葉が使われていたのでした👇

不登校の歴史年表


■不登校の歴史


不登校問題の歴史は、❝明治維新❞にまで遡ります。
1872年に❝義務教育制度❞が導入されました。
それこそ150年も前の話です💦

それまでは❝寺小屋❞という形で、こじんまりと、それぞれの地域で様々な教育が行われていました✨
しかし、近代化に向けて、国を挙げて、❝富国強兵❞ということで、❝一斉一律集団教育❞というのが始まったのです😣

それに反発して起きたのが❝大正デモクラシー❞なんですね👍
「自由教育運動」とも言われています。
まだ戦前のこの頃から、既に❝ジョン・デューイ❞の思想に基づく、❝子ども主体❞の教育・・・1人1人を尊重した教育・・・が大事だとして、オルタナティブな私立学校が現れてきました。

その1つとして有名なのが、「窓際のトットちゃん」です✨
黒柳徹子さんが通っていた、❝トモエ学園❞です💖


・・・ところが、第二次世界大戦が起きます😨
戦争のために❝徴兵制❞が敷かれ、兵隊を作る学校ということで、1941年、国の定めた学校以外を教育の場として認めない「国民学校令」が下されます。
まさに❝教育の軍国主義化❞です👇

1929年の県立中生の軍事教練=養秀同窓会提供



・・・そして、敗戦を迎えます。
1947年、GHQの支配下の下、教育の中央集権化が図られます。
そこに追い打ちをかけたのが、❝高度経済成長期❞でした。
ここで一気に大量の工場労働者が必要となりました🙌
指示されたことを正確に実行する人材が求められたんですよね💦
そしてスプートニクショックをきっかけに、❝詰め込み教育❞が始まります。
ちょうど大学共通一次試験が導入され、「いい成績⇒いい大学⇒いい会社」を目指して、日本中が熾烈な学歴社会、競争教育に突入していきました😱


・・・と同時に、学校では校内暴力、非行、いじめ、怠学といった問題が噴出し始めていました💀
この頃、既に「学校に行けない」子どもが現れていましたが、その子達は❝学校恐怖症❞と呼ばれていました。
この怠学学校恐怖症は、当時❝精神科治療の対象❞とされていたんです😱
この頃、「学校に行きたくない」「学校に行けない」子どもたちというのは、精神科病棟への強制入院や、矯正施設への強制入所という処置が行われていました😱
つまり、不登校は完全に❝本人の性格❞❝親の育て方❞による精神病扱いされていたのです😨


■不登校の首縄時代

この1960年~1970年代の恐ろしい時代を、不登校の世界では「首縄時代」と呼んでいます😱
「首縄時代=首に縄をつけてでも学校に連れてこい」と、そういう時代だったのです💀

この首縄時代は本当に悲惨でした💦
徹底的な管理教育で、男の子は丸坊主、女の子は三つ編み。
完全にがんじがらめに子どもたちを管理して、締め付けて、学校に合わない、学校がつらいという子どもたちは「怠けている」と💦
「根性を叩き直さなければいけない」と😣
この時代、この強烈な管理教育の下で、結構な割合の子ども達が亡くなっていたのではないかと推察されます😔



■戸塚ヨットスクール暴行死事件


そこに、戸塚ヨットスクール暴行死事件が起きます。
1976年、ヨットマンの戸塚宏さんが、「青少年の問題行動は脳の機能の低下によって引き起こされている」という持論に基づき、アトピーや喘息、登校拒否、引きこもり、癌なども全て、「脳を鍛えることによって克服できる」と説いて、恐ろしい合宿所内で訓練していました。

この合宿では体罰を使った指導というのが日常的でした。
❝スパルタ式❞と呼ばれる独自の指導で、不登校や引きこもりや家庭内暴力や非行少年たちを次々矯正させたという実績で、メディアに取り上げられて話題となっていたようです。
ところが、その合宿中に生徒が次々と死亡、行方不明が明るみになり、1983年、傷害致死の疑いで捜査が行われ、逮捕・起訴されることになりました。

戸塚ヨットスクール校舎


・・・私はこの事件、もうとっくのとうに終わった過去の話だと思っていたんですよ。
しかし今回調べてみたところ、その校長の戸塚宏さん、今またこの戸塚ヨットスクールをやってるようなんですよ😱
この令和の時代に。
刑務所から出てきて再び👹

戸塚宏さんは2006年に静岡刑務所を出所して、スクールの現場に復帰しています。その後も次々事故死か自殺か分からない形でいろんな人が亡くなっています😱


さすがにこんな事件が起きてしまって、一部の教育関係者たちは、学校がマズいと。こんな教育はヤバいと気付き始めました💦
そして、❝管理教育❞❝競争教育❞ではなく、❝子ども主体の教育❞を目指さなければならないと、オルタナティブな教育を実践する学校が現れ始めました。


■フリースクールの登場

そこに登場したのが❝フリースクール❞でした。
その先駆けが「東京シューレ」ですよね✨


東京シューレは、1984年「登校拒否を考える会」という親の会からスタートしています✨
1985年「学校以外の子供の居場所、学び場」として、親と市民によってつくられた日本初のフリースクールです💖

この東京シューレが凄いのは、もう1985年ですよ😮
もう38年も前から・・・まだまだ「首に縄をつけてでも学校に復帰させなければいけない」という恐怖時代・・・に、「子どもの成長は学校のみではない」と。
「子どもの気持ちを尊重して多様な成長の姿を支えていきたい」と。
「子ども中心の学びは必要なんだ」と言って、自分たちの手で❝子どもたちのための居場所❞を作ってきたということなんです☘️


そう。不登校の問題なんて、今に始まった話では全くないんです。
かれこれ40年も50年も前から存在していた社会問題でした🙌
たくさんの子ども達が様々な形でSOSを出し、NOを突きつけ、命をかけてずっと訴えてきた歴史がありました😔
そんな子ども達の悲痛な叫びも空しく、ほとんど何1つ変わらぬまま今に至ってしまっていたのです。



■ゆとり教育とバックラッシュ


ただ、その中でも❝子ども主体の教育❞を叶えようとしたタイミングがありました💡
いわゆる「ゆとり教育」です✨

戸塚ヨットスクールみたいな事件まで起きて、さすがにおかしいんじゃないかと。子どもたちをそんなにぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう締め付けて、詰め込んで、子どもたちが死んでいくという状況に、疑問を投げかける人たちが増えてきました。

ちょっとやりすぎじゃないかと、少し緩めた方がいいということで、1989年「学校週5日制」が導入されます👍
これで少し状況が改善するかと思いきや、1991年バブル崩壊が起きてしまいました😨
・・・そこから、失われた30年が始まります。
この30年の間に、学級崩壊小1プロブレムが騒がれ、PISAショックが起き、IT革命だのグローバリゼーションだの大きな時代の変化の中で、ゆとり教育バッシングが止まりませんでした。
まさに、バックラッシュです🔥
こうして、時代にマッチしない硬直化した管理教育&競争教育が続いていってしまったのです😱 

受験戦争


■教育機会確保法の成立


ようやく、2016年「教育機会確保法」が成立します。
この教育機会確保法の1番のメッセージは、「学校に行くことだけが教育ではないよ」ということなんです☘️
国からの、「学校に行かなくてもいいよ」という言葉は、不登校の子を持つ親御さんたちが、ずっと願っていた一言だったんですよ💐
国からのこの一言がもらえないために、今まで実に多くの子どもたちが犠牲になってきました。
不登校の子を持つ親御さんたちも、ずっと苦しんできたんですよね💦
そういう意味で、この法律には大きな価値がありますし、不登校の当事者にとっては必要な法律でした✨
・・・ただ、この法律制定を目指すプロセスにおいて、様々な関係者が色々な思惑を持って関わる中で、どうも「多様な教育を保障する」という一言が削除されてしまった、と聞いています。

これに関しては残念に思っている方がたくさんいるようです😔
なので、確かに、決して完璧ではないんですよ。
それでも、これまで「首に縄をつけてても連れていかなければいけない」と、「強制入院だ」と言われてきた歴史を考えたら、隔世の感があると思いませんか?
こうして国が「不登校は問題ではない」と言ってくれて、「学校に行くことだけが教育ではない」と。
家で過ごしてもいいし、フリースクールにも行ってもいいよと認めてくれる法律ができたことは、大きな転換点だと思うのです✨

希望


■先輩方の重いバトンを受け取る



私は、今回❝不登校の歴史❞を学んだことで、改めて、自分の役割を認識するようになりました🌼
自分が、「不登校問題」の当事者に立たされて、初めてこういう歴史を知ったわけですけれども💦
過去何十年と学校教育に苦しんできたたくさんの先輩方が、こうして力を合わせて、「学校に行かないという選択を認めてください」と、一生懸命活動してこられた賜物が、この❝教育機会確保法❞だったのだと✨

私たちが今、❝ホームエデュケーション❞なんて言って、「学校に行かない」選択が許されているのも、そういう多くの先輩方のお陰なんだなと🙌
そして、何より忘れてはいけないのが、この長い不登校の歴史の中で、実にたくさんの子どもたちが犠牲になってきたという事実です😔
多くの先輩方の努力と、犠牲になってきたたくさんの子どもたちの無念さを、重いバトンとしてしっかり受け取って、これからを生きる私たちも、歩みを止めずに時代を進めていく必要があるのだと☘️

そして、この法律に甘んじることなく、誰もが経済的な負担なく、自由に自分に合った教育を選べる社会を、目指していかなければいけないと、改めて想いを強くしました🤝



今回は❝不登校の歴史❞ということで書いてみましたが、私も胸が詰まるところがありました😔
こういう長い歴史の上に今の私たちがあり、その歴史を知った上で、自分たちにできることを一歩一歩やっていきたいなと思います✨

未来への一歩


お読みくださりありがとうございました💐
また次回お会いしましょう🤗
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