ことばさがし。
私はとりあえず書く。
気持ちがモヤモヤした時も、嬉しい時も言葉にして自分の中から出す。
自分の記憶にある中で、「書く」が始まったのは小学校2年生の頃。私は転校生だった。早く馴染むために、なんとなく求められている役割であろうとする。でも子供ながらに感じていたストレスを作文の時間にぶつけていたのだと思う。
みんなが3枚くらい書く作文を10枚くらい書く(低学年なのでたしか200文字くらいの原稿用紙)。その時の担任の先生は嫌がることもなく原稿用紙を多めにくれた。でもこれはまだ自分の中にあるものをぶつけて出している感じだった。
4年生の頃に敬老の日をテーマにした作文で学校内で選ばれるという出来事があり、その作文を来賓の前で読むという経験もした。その時に書いたものを他者に伝えるということをほんの少し学んだのだと思う。
自分の中で考えていた言葉を書き出すと、それは他人に伝わる手段に変わる、と気づいたのもこの頃。
大人になった今はX(Twitter)の投稿や、noteでの投稿もする。これはある程度自分の中で固まった言葉をまとめて書いている。
対して紙のノート(落書き帳)に書いている言葉は見つけたフレーズ、思いついた単語など、幼い頃の書くことを始めた時のストレス解消の感覚に近く、定期的に書き出すことで自分の中に余白を作るトレーニングのようなものでもある。
そして書いた言葉がしっくりこない時は本を読む。正確には本を読むのではなく私は「ことば探し」をしている。
本の中身をしっかりと把握するというよりは、今自分の頭の中にあるコレは一体なんなんだろう、このぼんやりとした気持ちはどの表現がぴたりとくるのだろう、と言葉に出会うことをどこかで期待している。
小説や絵本、あるいは全然関係のない植物図鑑の中にそのことばを見つけたりする。
終わりが見えないからこそ、書くことで支えられているし、会話をまだしたこともない、会ったこともない他人からもらった本の中のことばで私は進んでいっている。
今日もことばをさがして生きる。
ここまでお読みいただきありがとうございました🐅