自分が好きな自分を探すこと
大人になるってどういうことなのか、知っていますか?
私は、この問いについてけっこう長いこと考えていて、これがどうして、なかなかの難問だなぁと思っています。
礼儀やマナーをきちんと守れること?
20歳を迎えたら?
自分で稼ぎ始めたら?
責任ある行動がとれること?
大人の定義っていく通りもあって、現に年齢は若くても自分を持っていてとても大人っぽい子もいれば、孫がいるような歳でも手がつけられないような子どもっぽい人だっているわけで、一概に何を指して「大人」というのかは簡単に決められるものではないですよね。
それに、「大人になれ」と言われた時に感じるちょっと何かを制限される感じ、我慢を強いられるような感覚は大人という言葉にあまりいいイメージを抱かせません。
そこで、私は、自分だけの「大人になること」の定義をつくってみようと思いました。
ちなみに私自身は年齢的にはもう完全体の大人ですが、自分がちゃんとした大人だと言い切れる自信を100パーセントは持てていない未熟者です。
他人の好きな自分になろうとして生きることは辛い
親や先生といったまわりの「大人」や、友達や同級生や恋人など、自分以外の人間に好かれる自分になろうと頑張った経験というのは、誰しもが多かれ少なかれ持っているんじゃないかなと思います。
勉強ができる子
優しい子
スポーツができる子
料理が上手な子
素直な子
褒められたり、凄いねって言われたりすると嬉しいから頑張っていたっていうこと多いですよね。誰かを喜ばせたいから、誰かに好かれたいから目指していた自分のあり方ってたくさんあるものだと思います。
子どもは特に、親や保護者からのあらゆる保護がなければ生活することができないので、仕方のないことです。
一方で、年齢的に大人になっていても、なかなかそこから抜け出せないということもあるのではないでしょうか。私はそうです。
ところが、そうして人の好きな自分になろうと生きることは、ひどく不自由で辛いことでもあります。
この生きづらさを打破するためには、経済的に自立し、ものごとを自分なりの目線で見られるようになり、経験を積み、「自分の好きな自分」像を見つけることが必要です。そして他人が好きな自分ではなくて、自分が好きな自分になるために生きようとすることで、少しずつ本当の自由を感じることが大切だと思います。
私はこの生き方の変化のことを「大人になる」というのではないかと定義しました。
他人の理想を体現することよりも、
自分の理想を選び取ることができるのが大人
と定義したらどうだろうということです。
きっと大人の定義は無限にあり、もっとはっきり線引きができるものや、「○○でなければならない」、「○○しなければならない」なんていう義務や責任も大人という言葉には含まれるのでしょう。
ですが、人生をちょっとでも楽しく、幸せを感じ、心やすく生きることができるような定義のもとで、大人になるためのヒントを考えてみてもいいと思います。
「おはよう私、あなたはどうなりたい?」
私には、毎朝起きて、 目を開く前、まだ意識がぼんやりしている時に、いつも自分に問いかけていることがあります。
「私はなにが好き?」
「私はどうなりたい?」
なんでこんなことを毎日寝ぼけた自分に尋ねるかというと、普通に起きている時でも、まあ〜「これ!」っていう具体的な答えが返ってこないからです。
そりゃあイチロー選手にとっての「野球」や大坂なおみちゃんの「テニス」や羽生善治さんの「将棋」みたいな「これ!」が私にいきなり降ってくるとは思わないですけど。
これまで、子どもの頃に限らず、なんなら成人してからも、自分がどうなりたいかより、人にどう思われるかを重視して生きてきてしまった私は、「自分の好きな自分」という概念がすごくぼんやりしています。
なので、寝ぼけて意識がはっきりしていない時なら、深層心理に問いかけられるんじゃないかと思って、来る日も来る日も聞いてみているんです。
で、やっぱり全然具体的な返事はないです。
(今日の答えなんて「私ピザが好き」でしたね。いや、知らねーよ)
案外難しいなりたい自分探し。だけど大切な好きな自分探し。
ご覧の通り、私はまだ「これ!」っていう具体的なサムシングは見つけられていないんですが、自分への問いかけを長年続け、色々と模索し続けた私は好きな自分探し上級者でもあると思います。
結果、居心地のいい方向性、好み、傾向、センス、なんていううすぼんやりした方角みたいなものは少しずつ見つけることができたと思っています。
そして、ピザ好きの私はそうして自分の好きな方角を詳しく知っていけばいくほど、自分が大人になっていってるのかな、なんてほくそ笑んでいるのです。
自分が好きな自分、知っていますか?
どんな時に自分が喜んでいるか、感じていますか?
自分が好きな自分の探し方、実践編はこちら。