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三十歳、生涯初のオペでコンプレックスと別れる




 ベッドに横たわる俺は、包帯と保冷剤を巻いた頭から言葉をひねり出している。徐々に麻酔の効果が薄れ、縫合痕がひりひり痛む。今夜は熟睡できそうにないので、気分を紛らわすためにスマホでnoteを書くことにした次第である。
 数時間前。俺はよわい三十歳にして、初めてオペなるものを体験した。




 ──大袈裟に書きすぎた。手術は大した規模ではない。病気に罹ったわけでもない。右側のこめかみ付近にある、小さな良性腫瘍ホクロを切り取っただけだ。




 一週間前、インフルエンザの予防接種を打ちに皮膚科へ行った日のこと。ついでとばかりに、俺は軽いノリで先生に尋ねた。

「これ取れますか?最近気になってて〜」

 こめかみの側にある、少し大きなホクロを指差す。不意に触れることが多かったようで、それは年々肥大化していった。鏡を見るたびに目にする“それ”は、いつしか俺の身体的コンプレックスになってしまったのである。

「切ればすぐ取れるよ」

 先生のあっさりした回答に対し、俺は二つ返事で“切ること”を快諾した。レーザーを当てて消す方法もあるようだが、適用できるサイズを少々超えていたらしい。




 悪性腫瘍のたぐいでないことはすぐ判断できたらしく、用意された同意書に俺はサインをした。A4一枚の紙は“手術・検査の同意書”と題されていたが、この時点ではさほど気に留めていなかった。鬱陶しいモノが消える安堵感で、若干リラックスしていたとさえ思う。
 その後、肝炎の有無を調べるため(何らかの肝炎に罹っていた場合は、治療に差し障りがあるらしい)の採血を済ませ、改めて別日の予約票を受け取る。
 免許証ほどのサイズの小さな予約票には、はっきり“オペ”と書かれていた。この瞬間、俺は改めて実感した。オペか。オペなのか。フィクションの医療シーンでしか聞かないカタカナ二文字が、俺の意識に憑依した。




 これは俺が勝手に抱く印象だが、“手術”よりも“オペ”という呼び名の方が強い生々しさを伴う気がする。刃物や内臓や血液、そして付きまとう死のイメージ。先程までは全く気にしていなかったのに、“オペ”という言葉を聞くと無性に落ち着かなくなった。言葉の力と思い込みとは、かくも恐ろしいものか。

 頭にメスを入れるの?
 マジで?
 近くに目も耳もあるのに?
 皮膚から頭蓋骨まですぐ届いちゃいそうなのに?

 きっちり“手術・検査の同意書”にサインしたくせに、余計な不安を膨らませながら俺は帰路に着いた。




 一週間後、すなわち今日。オペの当日が来た。
 右の側頭部を上に向け、処置室のベッドに横たわる。麻酔の注射は一瞬だけ痛かったが、ムダ毛処理で行った電気脱毛に比べれば大した痛みじゃない。
 その後はメスを入れられた感触も、縫われている実感も全く無かった。麻酔おそるべし。先生と世間話をしている間に、五分足らずで処置は終わっていた。




 手鏡で処置の跡を見る。そこにはホクロの代わりに、黒くて細い針金のような糸の縫合跡があった。幅は1センチ程。雑菌を防ぐため、しばらくは塗り薬とテーピングを欠かさず行う必要があるらしい。抗生物質を飲むのも忘れないように、とのこと。
 喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言ったもの。緊張と恐怖はすぐに忘却の彼方へと消えた。これで一つのコンプレックスともお別れだ。ありがとう先生。




 そして数時間後、現在。
 血が止まるまでは安静にする必要がある。習慣になっていた「リングフィットアドベンチャー」をする訳にもいかないので、俺は大人しくベッドに入った。少しでも血管を縮めるため、そして麻酔が切れた後の痛みを和らげるために、患部には保冷剤を巻き当てる。コンプレックスとの完全な決別には、もう少々わずらわしさを伴うらしい。




 改めて考えてみると、オペの初体験がこんなに可愛らしい規模だったのは凄く幸せだと思う。
 俺は大病をわずらうこともなく、心身ともに健康なまま三十年間生きてこられた。しかし歳を重ねれば、腹を切る必要がある病気の一つや二つ、必ず経験するだろう。大きな傷痕も残るかもしれない。
 この“オペ”と呼ぶのも恥ずかしい小さな小さな処置は、将来のための予行練習だったと考えよう。眠れぬ夜、三十歳の男はカーテンの隙間から秋空を眺めた。明日の朝には、きっと痛みも治まっているはずだ。

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