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韓国小説 『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』に救われた年末年始

流行りに乗り遅れるタイプの私は、ここ数年話題になった韓国のドラマや映画、小説、エッセイなどをたぶん、ほとんど観たり読んだりしていない。流行れば流行るほど関心が失せていくというか、「こんなに注目されてるんだから今はいっか」という気持ちになってしまうのだ。何十万部売れた、芸能人の誰々が紹介していた、というお決まりのフレーズにも残念ながらあまり心ひかれない。

それよりも、書店や図書館に出向いて、宝探しをするように今の自分にピンとくる本を見つける方が100倍心が踊るのだ(今は年に何度も書店に行けない毎日だけれど)。ドラマや映画も、最近は幼い頃に観たものや昔の名作と呼ばれる作品を見返す方がおもしろく感じる(今はドラマや映画をゆっくり観る時間がほとんどない毎日だけれど!)

だからこの作品、ファン•ボルム著『ようこそ、ヒュナム洞書店へ(어서 오세요, 휴남동 서점입니다)』が日本で翻訳出版された時、「韓国で累計25万部を突破した心温まるベストセラー小説」という紹介文を見て、読むのはだいぶ先にしようと一瞬思ってしまった。だけど、大好きな翻訳家である牧野美加さんが翻訳されたということで手にとることにした。読み終わった今は、「心身ともに落ち込んでいた2024年の始まりに、この本がそばにいてくれて良かった」という思いでいっぱいだ。

会社勤めを辞めて、幼い頃の夢だった書店を始めた主人公のヨンジュは、夢が叶ってやる気いっぱいという風情ではなく、どこかもの悲しげで訳アリだ。しかし、コーヒー担当のアルバイトを雇い、少しずつ客足が増えていくにつれ、会社員時代に培った“仕事ができる人”としての本領を発揮し、書店を街に根付かせるためのアイデアを次々と打ち出していく。自身の言葉で本を紹介するだけでなく、ブックトーク、作文教室、読書会など人が集まる場を作り続けるうちに新聞のコラムまで書くようになり、ヨンジュとヒュナム洞書店の存在は広く知られることになる。そんなある日、ヨンジュが書いた文章を読んだという訪問者の登場で、彼女がずっと胸の奥にしまいこんでいた過去が少しずつ明らかになっていく。

厚みのあるこの小説を最後まで読みきれた理由は、10ページ前後の短い話が40章ほど連なり、ヨンジュだけでなくさまざまな人の視線で各物語が綴られていたからだ。子どもの面倒を観ながらでも、ほんの10分休憩する間に1つの章を読むことができた。寝る前にも10~20分。そんな風に少しずつ読み続けることで、ヒュナム洞書店がオープンしてからの数年間を見守ることができ、まるで自分も客の一人になったような気持ちで世界に入り込むことができた。本を閉じた時、真っ先に思ったのは「こんな書店が近くにあったらいいのにな」ということだった。

欲しているのは場所というより、本を通して出会う人たちとの繋がりかもしれない。年齢や性別、職業、住んでいる場所や家庭環境、過去などを考慮して付き合う人を選別する(される)のではなく、本をきっかけに出会えた人たちと少しずつ程よい距離感で関係を築いていく。そんな場所がいつか私も欲しい。

この小説には、韓国や日本、その他の国で実際に出版された本の話や、映画(是枝裕和監督の作品も)の話もたくさん登場する。書店経営の実情や、韓国における進学、就職、非正規雇用、再就職、結婚•離婚の問題についても描かれている。高校生、主婦、会社員、兼業作家、仕事を辞めて人生の長い休暇中の人など、出てくる人も様々だ。だから、どんな世代の人が読んでも登場人物の誰かに自分の姿を重ね合わせやすいんじゃないかと思う。

韓国で子育てしている私にとって一番心に突き刺さったのは、235ページ『オンマたちの読書クラブ』という章だ。高校生•ミンチョルの母親であるミンチョルオンマが、ママ友数人と読書会を開き、一通り自己紹介を終えた後にこう切り出すシーンには涙がこみ上げそうになった。

「えー……みなさん。では……今から本当の自己紹介を始めます」(中略)

「この読書会では、みんながお互いのことを本人の名前で呼び合いたいと思っています。私も、ミンチョルオンマではなくヒジュと呼んでもらいたいです。誰それの妻とかオンマとかではない、自分の名前でもう一度自己紹介をしてみてはどうでしょう? 」(中略)

最初は恥ずかしがって尻込みしていたメンバーたちが、そのうち競い合うように話をし始めたのだ。顔を合わせればいつも夫の話、子どもの話ばかりだったオンマたちは、その二時間、自分のことだけを話せるのが楽しくて仕方がない様子だった。泣いたり笑ったりしながら、隣の人を軽く叩いたり、抱きしめたり、ティッシュペーパーを渡したり、共感したり、意見したりもしつつ、自分自身の人生について、とつとつと率直に打ち明けた。

『オンマたちの読書クラブ』より

本について語らうことは、つまり、自分という人間について語らうことでもある。背負っているものや肩書き、役割をとっぱらって。ただ今を生きる一人の人間として。年齢や肩書き、所属などを聞き、互いの立場をはっきりさせた上で人間関係を築いていく傾向の強い韓国では、もしかしたら日本以上に、素の自分を出せる場所って少ないのかもしれない。

最初は1~2年経営できれば良しと弱気だったヨンジュも、書店に集まるさまざまな人たちとの関わりの中で考えを改め、新たな挑戦を心に決める。そのために一歩踏み出す姿は見ていてとても勇ましく、楽しそうで、羨ましくもあった。ヨンジュ一人から始まった夢の書店は、もはや彼女だけのものではなく、その名の通りヒュナム洞で暮らす人やその街を訪れる人たちの大切な場所になったのだ。いつまでも、いつまでもそこにあり続けて欲しいと願いながら本を閉じた。

韓国にも独立書店はたくさんあるようだが、私はまだ1~2軒しか行けていない。日本では関西の独立書店を何年もかけていくつも訪ね歩いたことがあり、中でも京都の恵文社一乗寺店や、恵文社で長く店長を勤めた堀部篤史さんが開いた誠光社はとても好きな書店で、何度も足を運んだ。誠光社で見つけたエッセイ『たもんのインドだもん』と、移民の歴史について書かれた『ハワイの中の日本』、大阪のCalo Bookshop & Cafe で見つけた『ひとり出版社という働き方』は、韓国まで大切に持ってきて時々読み返している本たちだ。大好きな書店で自分の嗅覚を頼りに見つけた本たちは、細く長く人生に寄り添ってくれる心の相棒のような存在である。

「そんな嗅覚持ってないし」という人もいるだろう。私もたくさんの化粧品や洋服を前にすると、未だに何を買っていいかわからないし、「もう誰かこれ買いなって決めてくれたらいいのに」と人任せにしたくなる。だから、何を読もうか迷ったら、とりあえずベストセラーから読んでみるとか、映像化されたから読んでみるとかでいいんじゃないかと思う。私は幼い頃から自分自身がいつも時代にマッチしていない感覚があったので、流行りものに心が踊らず、手に取れなかった(手に取っても楽しめないことが多かった)というだけだから。

本との出合いも人との出会いと一緒でタイミングがあり、今の自分に必要な本はあちらから手招きしてくれているような気さえするのだが、みなさんはどうだろう? この年末年始はホームシックになったり、家族といざこざあったり、体調を崩したり、ちょっと元気になってきた矢先、地震や飛行機事故のニュースに心痛め落ち込んだり。そんな中でも暇を見つけては寝転がり身体を休めることを最優先できたのは、12月から毎日少しずつ読んできた『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』のおかげとも言える。

罪悪感を抱くことなく、時には堂々と休めばいいのだと。人からはただ休んでいる生産性のない時間のように見えても、実はそうじゃないんだと。傷ついたり疲れたりした時は、自分なりの方法とペースで今を生きればいいのだと。2023年の終わりから2024年の始まりに、ヨンジュを始めヒュナム洞書店に集まる人たちと出会えたことが、今はただ心から嬉しい。

【追記/2024年4月11日】
昨日発表された本屋大賞 翻訳小説部門に『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』が選ばれましたね!著者のファン•ボルムさん、そして翻訳家の牧野美加さん、おめでとうございます!!
 

▲翻訳者•牧野美加さんのインタビュー

▲K-BOOKフェスティバルでの著者トークショー


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