《超適当雑記111》2022年6月17日(金)【軌道修正は突然やって来る】
〚1590文字〛
ご無沙汰しております。入谷です。
更新が2ヶ月も空きましたが、この間、特筆すべき出来事は何もありませんでした。
今日記事を書こうと思ったのは、特筆すべき出来事があったからです。
良ければお付き合いください。
この頃は仕事も忙しくバタバタとしていましたが、今日はたまたま休みが取れたので、地元へ帰り、早朝から近所をウォーキング&ジョギングをしておりました。
運動を始めて一時間半くらい経った頃でしょうか。急に突き上げるような胸の違和感があった後、次第に動悸がし、痛みや息苦しさ、 眩暈の症状に次々見舞われました。
最初はパニック発作か、脱水症状かと思いましたが、どうも冷や汗が尋常じゃない!。
だんだん云いようの無い感覚になり、『これはやばい!』と思い、車を停めてある公園の駐車場に向かう途中で歩けなくなりました。痺れる手で何とか家族に電話すると、すぐに救急車を呼んだ方が良いとのことで119番に掛けました。
消防に状況を説明して救急車をお願いすることにしました。
その時まだ付近の住宅街の中にいて、何とか駐車場まで戻らなければならないと力を振り絞って歩くのですが、胸苦しさと動悸が止まりません。
それから記憶が曖昧でどうやって駐車場に戻ったのか覚えていませんが、車に到着するとちょうど救急車が来ていました。
そこからさらに調子が悪くなり、血圧や心電図などの検査の間も、救急隊員の呼び掛けの意味が理解できないといった感じになりました。
心電図や血圧も異常で、狭心症か心筋梗塞の疑いありということになり、その後、有り難いことに比較的近くの総合病院に搬送されました。
そこで安堵したと共にある考えが頭を過ぎります。
もしかしたら今日が最期かも知れない。
随分大袈裟な言い方ですが、搬送中は本当にそのように考えました。
朦朧とする意識の中、救急車のサイレンと案外荒い振動に揺られながら、僕の頭の中にあったのはただひとつのこと。
こういう状況になると普段頭の中にあった悩みや葛藤というものが吹き飛び、本当に大切なものだけが眼前に現れます。
それは仕事の引き継ぎでも、ライフワークにしている絵や創作でもなければ、果たせなかった夢や理想に対する未練でもなく、一人残されてしまう病気の親のことでした。
今日がもし最期となるなら何と言って今生を別れをすれば良いのか。
今まで随分と迷惑を掛け、何の親孝行も出来ずに逝ってしまうこの親不孝をどう詫びたら良いか。
ぼんやりした頭で、それだけがぐるぐると永遠に回っていました。
病院で色々検査をした後、症状が落ち着いたので先程病院から帰ってきましたが、まだはっきりとした診断が付かず、早速来週月曜日に冠動脈の造影CTの精密検査をやることになります。
とりあえず今は大丈夫です。
人間、究極的な状況になると非常に感情がクリアになる。
それは昨年の緑内障発作で失明し掛けた時も経験した感覚でありますが、命に関わる事ではなかった分、その後の仕事や生活なことを第一に考えていました。
でも今日は、普段どれだけ不必要な感情や思い込みで心を曇らせ、時間を無駄にしていたかということに気付かされました。
普通に過ごしているとつい忘れてしまうことですよね。喉元過ぎれば熱さ忘れるというやつです。
スマホのニュースや、誰がどれだけ稼いで良い思いをしたとか、比較とか、勝ち組とか負け組だとか、そんなものは、本当は、自分の人生に何の関わりもない、要らないものだった。
分かっていたけど、分かっていなかった。
株価やら円安やら物価上昇で頭を抱えていたことなんて、あの時微塵にも思考に上がることはありませんでした。
今日のことは、最近そういったものに汚染されていた僕に対する、ある意味での軌道修正だったのかもしれません。
ここまで読んでくださりましてありがとうございました。暑くなったり寒くなったり、梅雨の天気は変化が激しいですが、皆様も体調にお気を付けくださいませ。