エディプスちゃん

そうだ、ここにお墓を建てよう。

エディプスちゃん

そうだ、ここにお墓を建てよう。

マガジン

  • 『シャボテン日記』

    同居サボテン《シーシュポスの岩》との対話でつづる日記。かれは緋牡丹というちいさな種類で、よく読書や書きものをしている。き刊誌(き刊誌のきはきまぐれのき)

最近の記事

躁鬱的にして伸びしろがあるという意味でサボテンはぼくとよく似ている(メトロンの記録・前編)

一昨日の晩にサボテンの花が咲いた。とても綺麗だった。 鬼面角という種類の柱サボテンで、メトロンという名前を付けている。ふだんは仏頂面というのか、そもそも生き死にもわからないぐらい寡黙なやつなのだが、急に花を咲かせたりするから吃驚する。記録をみると昨年もやはり同じ9月の初旬に花を一輪でっかく咲かせていて、何も考えていないような癖して、アタマが良いのだなと思う。ぴったり1年くらいの周期だ。ちなみに、メトロンという名前の由来はウルトラ怪獣のメトロン星人に似ているから。metron

    • 映画レヴュー:アニアーラに救いはあるか?

      今夜はどうしても滅入った気分になりたいだって? だったらうってつけの映画があるぜ。 ※以下、ネタバレあり 救いのない鬱映画?  結論からいうとみんな死ぬ。そこに救いはない。追い詰められた人たちの不安と困惑とぬか喜びと失意の果てに、598万1407年という途方のない歳月の果てに、乗客はことごとく死に絶え、最期には乾いた土埃のようなものしか残らない。他の宇宙漂流もの、たとえば「ゼロ・グラビティ」(2013)、「オデッセイ」(2015)や「パッセンジャー」(2016)などは主

      • エッセイ:スペース・マウンテンと悟り(あるいは、恋の教訓について)

        季節は秋のはじめ。残暑も終り、涼しくなったデート日和のこと。当時、ぼくは大学二年生であった。 付き合いだしたばかりの彼女がディズニーランド(以下、TDL)へ行きたいと言うから、前日から夜行バスに乗り込み、われわれは東京に向かったのだった。 まず、ぼくの失敗は準備不足にあった。 彼女のほうはTDL本を丹念に読み込み、付箋まで貼り、デートの当日までにしっかりと旅行の準備を整えていたのであるが(ちなみに、旅券も宿もすべて彼女が手配していた)ぼくときたら浮かれていただけで、ほとんど旅

        • エッセイ:野菜の教育的効果について

          昔はよく父親から折檻を受けていた。10コ年の離れた妹が生まれてからというもの父はすっかり角がとれたが、それまでは度々に激昂して怒鳴り、叩かれたり殴られたり投げとばされたり引き摺りまわされたりしたものだ。見かねた母が止めに入るまで容赦なく折檻はつづき、許してもらえるまで私は泣きつづけなければいけなかった。理不尽に怒られることも多々あった。大人になって思うに、あの頃は、父も余裕がなかったのだろう。当時は、今のように自営でなく工場に雇われの身で、そのストレスもあったにちがいない。ま

        マガジン

        • 『シャボテン日記』
          4本

        記事

          エッセイ:パブロフの思い出

          海辺にある田舎の大学に通っていた。必修の科目を除けば一年次は授業もすくなく、まあまあ暇で、歯抜けのように空いた時間が多くあった。私の下宿していたアパートはキャンパスのすぐ下にあり、じっさい歩いて五分くらいの距離で、そんな好立地であったから、空き時間にはよく友だちと連れだって帰り、夏などは茣蓙をひいてみんなで昼寝していた。平和なスクールライフである。 2005年の夏の日のこと。あの日も、一限目が終わり、二限目のドイツ語を選択していなければ次は午後からというのんびりした予定で、第

          エッセイ:パブロフの思い出

          エッセイ:エディプスちゃんのここがすごい!

          仕事中にふと思う。私はなんて立派なのだろう、と。 べつに会社勤めがえらいとは思わない。が、嘗てのじぶん自身を想うと、いまのまじめな生活は奇跡にちかい。大学時代の私といえばダメな人間の筆頭であり、周りから徹底的に甘やかされていたのだった。ひさびさに同級生や先輩たちに会うと、私が生活をし、働いていることに皆が驚愕する。嘘でしょ、あのエディプスちゃんが……? 圧倒的な成長を感じる。あるいは、なにか大切なものを失ってしまったようにも思う。私は、しごく退屈な大人になってしまったのではな

          エッセイ:エディプスちゃんのここがすごい!

          エッセイ:バナナとナスビ、死のやわらかさ

          「豚たちは二度死ぬ。一度めは屠殺場で、二度めはエディプスちゃんちの冷蔵庫のなかで」(ゴンドアの谷の歌) 私は食糧を保存するというのが苦手だ。逆にいえば、食糧をダメにすることに特化した才能がある。買えば肉や魚は腐りはて、野菜・果物の類いは原形を失ってしまう。かくして冷蔵庫はさながら霊安室のよう。その悪癖を自覚しているため、ふだんはその日に食べるぶんしか食糧を買わないようにすることで対策しているのだが、それでも時々は魔が差してあれこれ買い溜めてしまうことがある。私という人間は、

          エッセイ:バナナとナスビ、死のやわらかさ

          エッセイ:2453125

          私はどうも忘れっぽい。思えば子供の頃からそうであった。やったはずの宿題を学習机のうえに忘れ、ランドセルを背負わず登校し、靴を履き替えずシューズのまま帰宅する。昔からそういうお茶目な一面があった。大人になってからも、友だちと遊ぶ約束をすっぽかしたり、恋愛の成就にかかわる重大なメールを後回しにしたまま忘れて気まずい空気になったり(当然、その恋は成就しない)、大学同期の結婚式の時間をまちがえたりもした。あれ、エディプスちゃんいまどこ? まだ家、もうすぐ出るとこ。えっ、もう式はじまる

          エッセイ:2453125

          【掌編】我が家のオリンピック

          「えっ! オリンピックをうちで?」ぼくは驚きを隠せなかった。「まさか、ご冗談でしょう?」  突然かかってきた電話の相手はCIO(国際オリンピック委員会)のえらい人らしかった。えらい人は、さいしょフランス語で話し、途中からは通訳をあいだに挟んでその要件を伝えてきた。  どういった理由なのかは何度きいても理解できなかったが、とにかく我が家でオリンピックを開催するつもりらしい。体育館や運動公園などではなく、うちの敷地で。田舎なので、たしかに都会にくらべればすこしは土地が広いが、それ

          【掌編】我が家のオリンピック

          エッセイ:もはやスマホではない、ただのホだ

          お手上げであった。 LINEを使おうと思ったらアップデートしないと使えないと仰る。やれやれ、めんどうだなあ。と、思いながらLINEのアップデートを試みると、そのためにはi phone のアップデートが必要らしく、仕方なくi phone をやろうとすれば今度は i tunes が、更にはパソコン自体のアップデートが……と次々に連鎖してゆき、現在はi tunes とパソコンの無間アプデ地獄をぐるぐる巡っているような塩梅である。そこに救いはない。 そもそも、ぼくのスマホといえば

          エッセイ:もはやスマホではない、ただのホだ

          シャボテン日記(2019/8/30)

           肌寒いような風が足にふれ、眠っていたぼくはタオルケットのなかで体をまるめた。  クーラーが効きすぎている、のではない。ねぼけ眼であたりを眗(みまわ)すと、荒涼とした夜の沙漠のような場所に一人でいるのだった。どの方位にも見晴るかすかぎり青褪めた土地がつづき、なだらかな丘陵がえんえんと地平線まで連なるそのさまは波のある海とも見紛う。寝ていたベッドはさながら小船か、ぼくはまるで漂流しているみたいだ。奇妙なことに、地面はどこまでも夜のうす暗さに呑まれているくせ、空ばかり真昼のように

          シャボテン日記(2019/8/30)

          【掌編】 悪質なカニ

           自宅に帰ると1ぴきの巨大なカニがいた。その巨大さといったら常識はずれで、体長も、幅も、ぼくの背丈をゆうに超えており、カニは台所にいたが、そもそも出入口をくぐれそうにない大きさ。一体どこから這入りこんだのか。虚をつかれ、ぼくが廊下でもじもじしていると「おう、帰ったんか」等とカニは馴れなれしく声をかけてくるので、いよいよ常識はずれというか、じぶんの正気を疑う。「おかえり」と云って、カニは両のはさみで万歳をする恰好になった。「えっ?」とこちらが思わず声を漏らすと相手も「えっ?」と

          【掌編】 悪質なカニ

          【掌編】 猫投げ

           ぼくは猫投げを生業としていた。  もう3年めを過ぎ、そろそろ新米という言い訳はつかえなくなってきた頃あいだ。猫投げとは何か。聞き慣れないひともいるかもしれないが、文字どおり猫をぶん投げるのである。ぼくの場合は、切り立った崖のうえから瀬戸内の比較的おだやかな海に猫を放り投げている。高く、それから成るべく遠くへ。投げる瞬間、どの猫もたいてい ニャ と短く声をあげる。よい猫投げができたときほど、猫たちのからだは回転しない。足を下向きにし、吸い込まれるように海面に向かってゆき、どぼ

          【掌編】 猫投げ

          【掌編】 子どもの幽霊

           夏の夜のこと。どうも息苦しいな、と思いながら目覚めると胸のあたりに子どもの幽霊が覆いかぶさっていた。小学生くらいの男の子で、青褪めたからだは薄ら透けている。「く、苦しい……」と私が息もたえだえに声を洩らすと「あっ、目が覚めた」と子どもの幽霊は言った。思いのほか朗らかな調子である。「頼むから、退(の)けて……」「いいよ」かれが退けると、すっかり全身は軽くなるのだった。 「……幽霊?」 「そう」 「……どうして私のところに?」 「祟りじゃ」  冗談ぽくそう言って子どもの幽霊はケ

          【掌編】 子どもの幽霊

          シャボテン日記(2019/7/4)

          「こほ、こほ」とぼくは咳をした。「咳をしても一人」  朝からの体調不良で会社を休んでしまったが正午すぎには恢復していた。午後からはソファでだらんと読書をしていて、じぶんが仮病でなかったことを示すべく、時おり、思い出したように咳をしているのだ。こほ、こほ。 「ねえ、シーシュポス」  サボテンは手紙を書いているところだった。  十数センチほどのサボテンであるから、便箋にしてもずいぶんちいさい。切手ほどの紙片に、つけペン代わりの棘をつかって極微な文字をちくちく綴っている。ぼくにはル

          シャボテン日記(2019/7/4)

          【掌編】 ゲヘナの扇風機

          「……なあ、後生だから。もう許してくれ。うわ」  いやいやをする扇風機に、水で溶いたどろどろの小麦粉をかける。ここは扇風機の地獄なのだ。ハネの回転によって小麦粉がとび散る。 「悪く思わないで。こっちも仕事なんだ」 「……頼むから。なあ、頼むから。このままじゃハネが駄目になっちまうよ」  もう1度どろどろの小麦粉を浴びせる。扇風機は泣いていたが、容赦してはいけないという地獄の不文律がある。ぼくは地獄の雇われ小鬼だった。  岬のへりに1台だけ立たされた扇風機は、遠目には古びた灯台

          【掌編】 ゲヘナの扇風機