エッセイ:野菜の教育的効果について

昔はよく父親から折檻を受けていた。10コ年の離れた妹が生まれてからというもの父はすっかり角がとれたが、それまでは度々に激昂して怒鳴り、叩かれたり殴られたり投げとばされたり引き摺りまわされたりしたものだ。見かねた母が止めに入るまで容赦なく折檻はつづき、許してもらえるまで私は泣きつづけなければいけなかった。理不尽に怒られることも多々あった。大人になって思うに、あの頃は、父も余裕がなかったのだろう。当時は、今のように自営でなく工場に雇われの身で、そのストレスもあったにちがいない。また父自身も、祖父から同じように躾を受けてきたのにちがいなく、他に子育てのやり方を知らなかったのであろうとも思う。二十歳を過ぎてから、むかし酷く殴ったことを泣きながら謝られたが、私はちっとも恨んでなんかいない。こう書くと辛い話にみえるかもしれないが、これから書くのは笑い話である。想像するとバカバカしくて笑ってしまう。きみは野菜を巻きつけられて泣いたことはあるか? 私はある。
たしか小学校に入ったばかりの頃だ。私が居間で漢字ドリルをやっていると、仕事から帰ってきた父に注意された。エディプス、鉛筆の握り方はそうじゃない。正しい持ち方をしなさい、と。父曰く、私の鉛筆を持つ手は伸びきっており小指までぺたっと机についてしまっている。そうじゃない。手首は柔らかくして適度に曲がっていなければいけない。正しくはこうだ。おまえのそれはクソ握りと言うんだ。そんなふうに怒られた。私は持ち手を直そうと必死に努力した。だが、父の言うクソ握りと正しい握り方のちがいが全然わからないのだった。だから、そうじゃない! 父は学習机をばんばん叩いた。私のあたまも叩いたかもしれない。強い握力で手首がグイッと曲げられた。もはや漢字を書くどころではなかったが、父に腕を固定されたまま何文字かを書いてみる。けれど私のクソ握りとやらも頑固であり、父が矯正の手を離すとまたするすると手首が伸びて元に戻ってしまうのだった。だから、どうしてそうなるんだ! この時点で私はすっかり泣いていた。
行き過ぎた暴力はときに滑稽である。まず、私の右腕に木製のものさしが括りつけられた。学校でつかう30センチの竹尺だ。ガムテープでぐるぐる巻きにされギプスのように腕が固定された。これによって正しい鉛筆の持ち方に矯正しようという父の魂胆である。しかしクソ握りを正すにはものさしは剰りにまっすぐで硬すぎた。手首は伸びきったままの形で固定されてしまい、逆に柔軟性を失って曲がらなくなってしまった。父の怒りのボルテージが上がる。お父さん、もうそれぐらいにしてあげて。母がやんわりと諭すが怒った父はもう止まらない。いいや、エディプスの将来のために鉛筆の持ち方だけはちゃんと治さんといかん! 
ものさしが役に立たないとわかると、父は台所へゆき、一本のキュウリを持ってきた。キュウリのゆるやかなカーヴによってクソ握りを改善しようという作戦だった。ひっくひっくと泣きじゃくる私の腕にキュウリが巻きつけられる。さあ、これで書いてみろ! たちまちキュウリは折れてしまった。そりゃそうだ。ポキンと小気味よい音がしたという。腕を固定するのにキュウリは脆すぎた。モロキューとは言い得て妙である。次に選ばれた野菜はナスビであった。これもナスビのゆるやかなカーヴがクソ握りに効くという算段であったが、太さの割りに長さが足りなかったため、私の手首の伸びを止めることはできなかった。ナスビでもダメか、ということになり遂に真打ちが登場。満を持して台所から立派な大根が一ぽん運ばれてくる。小一の私の腕よりはるかにデカい。大根は太くてまっすぐで、いっけん正しい鉛筆の持ち方とは無縁と思われたが、父は包丁でもってこれを削り、キュウリにもナスビにも達成することのできなかった合鉛筆性をつくりあげた。オーダーメイドの鉛筆矯正用野菜の完成である。さあ、これで書いてみろ! ジャスト・フィットする。ガムテープでぐるぐる巻かれた大根は私の手首をみごとに固定し、正しく湾曲させ、クソ握りを物理的に不可能な状態にした。ついに矯正されたか。だが、小一の腕に大根が重すぎることは盲点であった。正しく鉛筆を握ることはできたものの大根が重すぎるために漢字をうまく書くことができないのだ。さらには大根の汁気で腕がビショビショになり、漢字ドリルもまたビショビショになった。どうしてそうなるんだ! 父も私も途方に暮れた。もしかすると野菜は鉛筆の持ち方を練習するのには不向きなのではないか。子供ながらにそう思ったが口には出せなかった。腕から大根が取り外されると手首はまたするすると伸びてクソ握りとなった。お父さんもうやめてあげて! と、母が仲裁に入りすべてが終わった。しかし母が止めなくとも、大根以上の野菜はもうわが家になかったであろう。私は母の胸のなかでぼろぼろ泣いた。涙だか大根の汁だかで母の服はぐずぐず濡れた。
結局、クソ握りの悪癖はしばらく続いたらしいが、いつの間にか改善されていたという。そんなものだ。子どもを育てる親たちへ。野菜を腕に巻きつけるという行為には教育的効果がないのであまりオススメしない。ただ野菜を腕に巻きつけられたというオモシロ体験の記憶が残るだけである。少なくとも、キュウリ、ナスビ、大根には効果がないことを私が実証済みだ。
あの日いったい何んの野菜だったらクソ握りを改善できたのであろうか、と先日ふとスーパーの野菜コーナーで考えることがあった。そんな視線でもって眺めると世の中にはいろいろな形の野菜があるものだなと感心した。ゴーヤなんてどうかしら、と思ったりする夏のこの頃。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?