エッセイ:2453125
私はどうも忘れっぽい。思えば子供の頃からそうであった。やったはずの宿題を学習机のうえに忘れ、ランドセルを背負わず登校し、靴を履き替えずシューズのまま帰宅する。昔からそういうお茶目な一面があった。大人になってからも、友だちと遊ぶ約束をすっぽかしたり、恋愛の成就にかかわる重大なメールを後回しにしたまま忘れて気まずい空気になったり(当然、その恋は成就しない)、大学同期の結婚式の時間をまちがえたりもした。あれ、エディプスちゃんいまどこ? まだ家、もうすぐ出るとこ。えっ、もう式はじまるよ!? えっ!?
そんなうっかりの集積が私の人生のようである。記憶力が悪いのだろうか? 確かに、あまり良くはなさそうだ。しかし他人がもう覚えていないような、そしてもはや確認のしようのないような、どうでもいい記憶だけは鮮明に覚えていたりもする。
たとえば小四のときの算数の時間のこと。あれは五限めの終わりに課せれた割り算の筆算の問題であった。あの日は帰りのHRがなく、そのプリントがぜんぶ解けたら帰っていいという先生からのお達しだったのだが、私はどうしても一問だけ解けないでいた。なんど計算し直して先生のところへ持っていってもマルをつけえてもらえない。直せば直すほどに正しい計算から離れていくようだった。クラスメイトたちが次々に問題を解き、教室内が放課後前のざわざわした雰囲気になるなか、私だけが泣きそうになりながらバツをつけられ続けていた。お調子もののカキウチくんもすべて問題を解いたらしく、教卓から私の机のほうへ、ぜんぶマルのついたプリントをひらひらさせながら踊るようにやってきた。他のみんなはもう遊ぶ算段をしている。私もはやく遊びたかった。やり直し、と先生が言った。消しゴムで消して、また計算しはじめる。何度も消しては書いたから、プリントはその箇所だけすり減って薄くなっていた。
そのとき、「2453125」とカキウチくんが私の耳許で歌うように節をつけて言った。2453125。解けない問題の答えであった。カキウチくんは戯けたダンスをつづけながら帰る仕度をし、タタッと走って教室から出ていった。私もついにマルをもらって教室をでると、友だちは待ってくれていて、その日は誰かの家に寄ってスマブラをして遊んだと思う。
20年余りが経ったいま、もはやこの7桁の数字はなんの役に立つこともない。誰も覚えていないし、いまさら正誤の確認のしようもない。カキウチくんが、いまどこでなにをしているのかも知らない。今後もし偶然かれと会うことがあって、私がその20年ほど前の出来事のお礼を言っても、きっと怪訝な顔をされるだけであろう(当然である)。カキウチくん、あのときは有難うね。あのとき? ほら、あのとき教えてくれたじゃないか、2453125って。2453125? 算数のプリントの答えだよ、いやあ本当に助かったなあ。
正気を疑われて然る。が、かれが覚えていなくとも、2453125はまちがいなくあの時あの問題の正しい答えだ。忘れっぽい私も、そういうことはしっかり覚えていたりする。そしてその7桁の数字とともに、十数年は忘れていたカキウチくんの色白の顔や、かれのくるくるの天パを思い出す。ざわざわした教室がすこしずつ静かになってゆき、放課後にじぶんだけが取り残される寂しさを思い出す。
小学校時代の、何百枚と配られたであろうプリントの1枚のなかの、たった1問の答え。それを記憶していることには意味がない、社会的には。けれど私的には意味がある。たぶん、思い出として。そもそも記憶は有用なものよりも、無用なものの宝庫にちがいない。そして無用なものこそが、私じしんを構成しているのであろうな。と、思う。くだらないこと、ろくでもないこと、社会では無意味なこと。そういうことをちゃんと覚えていたいなと思った。が、勤め人ゆえ、忙殺の日々に、そんな大切な諸々もやがて忘れてゆくようである(労働のなかに、無意味なものは必要ないのだ。たとえ労働それ自体が無意味であったとしても)
さて、記憶の話であった。私はとかく忘れっぽい。私だけが覚えていて、ほかの誰も覚えていなくていいことを、書いておけたらよいなと思った。私がちゃんと覚えておくために。今朝はどうしてだか、そんなことをぼんやりと考えていた。
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