躁鬱的にして伸びしろがあるという意味でサボテンはぼくとよく似ている(メトロンの記録・前編)
一昨日の晩にサボテンの花が咲いた。とても綺麗だった。
鬼面角という種類の柱サボテンで、メトロンという名前を付けている。ふだんは仏頂面というのか、そもそも生き死にもわからないぐらい寡黙なやつなのだが、急に花を咲かせたりするから吃驚する。記録をみると昨年もやはり同じ9月の初旬に花を一輪でっかく咲かせていて、何も考えていないような癖して、アタマが良いのだなと思う。ぴったり1年くらいの周期だ。ちなみに、メトロンという名前の由来はウルトラ怪獣のメトロン星人に似ているから。metron はギリシャ語で「測る」という意味らしく、メートルの語源にもなっているとのことで、たしかに何かを測るのが得意らしい。
ところで、ぼくは日付を覚えるのがとても苦手だ。致命的に苦手といっていい。昨日、今日、明日とか時間的な前後はもちろん理解できるけれど、たとえば今日は何日かとか、何月何日はナントカの日とか、来月のいつは誰かの誕生日とか、そういうことが自分でも信じられないくらい覚えていられない。親の誕生日さえウロ覚えである。世間の多くの人たちはまるでカレンダーの中に住んでいるみたいに日付のことをよく知っている。ぼくは同じようにはその数字の羅列を生きていないみたいだ。仕事はスケジュールを手帳に書いておくことでなんとかなっているが、逆にいえば手帳がないと何もわからない。閑話休題、これはサボテンの話だ。
最初に書いたようにメトロンが花を咲かせるのは今回で二度め。あれ、前回はいつだったけ? と思い出そうとしたとき、さいしょ昨年なのか一昨年なのか、いやもっと前なのか、それもはっきりわからなかった。昨年のような気がするが確信がもてない。それが何月のことだったかになるともうお手上げである。誰かがあれは桜も開花している4月の頃だったと言えば成程そうかと思うし、いやいやクリスマスの寒い時期に咲いたんだよと教えられればそんな気もしてくる。だから、ちゃんと彼の来歴を、日記にまとめておこうと思った。忘れっぽく、覚えていられない自分のために書いておく。
2019年11月3日。この日にメトロンは初めてこの部屋にやって来たようである。サボテンは2つ年の離れた弟がぼくの誕生日に贈ってくれたもので、この日の正午前に、弟夫婦とかわいい姪っ子がうちへ持ってきた。受け取ったのち、昼はいっしょに近所の鉄板焼き屋に行ったのだが、そのとき「これ読んで~」と姪っ子が持ってきたのが『かたづけしないとどうなるの?』という絵本だった。整理整頓も大の苦手分野とするぼくを責めるような題にギョッとするも、しかしそれより、表紙に描かれたウルトラ怪獣のメトロン星人が目を惹いた。ぼくは運命とか人間に都合のいい神様とかは信じていないけれど、偶然には強く意味を持たせがち。意図せず巡りあってしまったモノや言葉にハッとさせられることが多い。姪っ子が絵本を持ってきたとき、「あぁ、あのサボテンの名前はメトロンというんだ」とそこでわかった気がした。
2019年12月2日。やってきた当初、メトロンは室内で暮らしていた。季節が冬ということもあっただろう。移動しやすいようキャスターのついた台に載せられ、陽あたりの良い場所を求めて部屋じゅうをウロウロしており、置き場もあまり定まっていなかったように思う。
2020年3月23日。春になってベランダ・デビューをしている。多肉植物の育て方を調べていると、室内でも育つが、やはり外のほうがいいらしい。特に花を咲かせようと思えば屋内では難しいと何かに書いてあった。この頃、彼はまだ茎節が2個しかない(以下、茎節はわかりにくいためSG=サボテン・ゲージで表記する。2SG)
2020年5月29日。初めて土を替える。ネットの情報だったか、購入した鉢の土はあまり生育に良くないので時季をみて替えるべきとあった。そもそも園芸というものを普段やらない人間だから、掘り返して上手くいくかも不安だったけれど、youtube などでサボテンの動画を幾つか調べて見よう見まねでやってみた。さすがに土を配合するのは自信がなかったのでホームセンターでサボテン用の土や肥料を購入した。メトロンを土から引っこ抜くと、根は乾燥した切干し大根みたいな感じ。パサパサしていて、根っこのミイラだと思った。これで本当に生きていけるのかよと不安になった記憶がある。ずんぐりした図体を支えるには頼りない下半身だと。
2020年6月7日。植え替えたのち、ちゃんと生きているみたいで安心する。「メトロン」という名札も土に挿してみた。植物に名付けが一般的かはわからないが、多肉植物には人間でいう人格のようなものを想像させるところがある。犬には犬格、猫には猫格、カンガルーにはカンガルー格があるとして、サボテンがサボ格をもつならばきっと名前があっていい。野生のカンガルーには名前もないだろうが、もし同じ家で暮らすことになれば名前を付けて呼ぶことだろう。親しい存在として、彼のことをメトロンと呼ぶ。
2020年7月19日。サボテンの生長がとても緩慢なのと、女の子が髪を切っていても気づけないほど疎いぼくの性格も相まって、なかなか変化には気づけない。それでも、どうも少しずつ伸びているらしいとわかる。ちなみに水やりは、もともとコーヒーのドリップに使っていた月兎印の赤いポットを如雨露代わりに使っている。たぶんちゃんとした如雨露を買ったほうがよい。
2020年8月2日。試しにメトロンをメジャーで測ってみる。だいたい42センチ。宇宙の真理と同じ。
2020年8月23日。なんだか急速に伸びているので驚く。測ると50センチに届きそうな勢い。SG=サボテン・ゲージも2からおよそ2.5に変わっている。この度の開花も、芽を見つけてから1週間ほどで咲いたけれど、サボテンというのは育つ時季にいっきに育つ植物らしい。爆発的といっていい。変化が起きるまでは植物というよりも石みたく動きがない癖をして。そういう意味では、ぼく自身とすこし似た性格ともいえるかもしれない。やる気がないときが非常に長く、ヤレヤレと重い腰を上げてみると今度は楽しくなって止まらなくなるみたいな。だから、サボテンを躁鬱的(バイポーラー)な植物と言えなくもない。記録をみると8月の終わりには55センチにまで到達している。
2020年9月26日。伸びすぎて心配になる。が、一旦はここで成長のスピードが止まる。10月、11月とも、夏の勢いはなく、まるで眠っているかのように静止していた。サボテンというのは本当に緩急のある植物だ。傍にいると、人間のぼくとは生きている時間が違うなとも感じる。サボテンの時間というのは一体どんなものだろうか。「サボテン 鬼面角 寿命」で検索すると「10年~20年」という記載があり、なんかアバウトだなとも思ったが、10年という年月が誤差の範囲になるような生をいきているということなのかもしれない。
2020年12月17日。寒くなってきて、冬のあいだは室内に置いている。うちへやってきてから1年が経ったことになる(そういえば、彼はじっさいのところ何年生きているのだろう。正しく何歳なのか、ぼくは知らない)
2021年4月17日。春、またベランダで過ごしている。この頃に、「オンライン花見」と称して、花屋で気に入った花を買ってきてZoomで会した友人らとお酒を飲むという企画をやった。そのとき買ったのがメトロンの隣にいる洋ラン(ミルキーウェイ)だ。花屋の店主からは「もう弱ってきているけど、世話をすればあと1年くらいは花が楽しめるでしょう」と言われた。死期が近いという理解でいたが、2年半経ったいまもまだ逞しく生きており、しかしこっちはサボテンほどには世話ができていないから野生のような姿になってしまい、今はちょっと触れにくい存在になっている。ごめんという気持ちで、いつも水やりをする。それでも、春には花を咲かせているから、たぶんメチャクチャ強い花なのだろう。
2021年6月12日。メトロンのやつ、まだ伸びるつもりだ。SGは4本めに突入。7月も、8月も、まだ伸びていく気配がある。しかし順調と思われたメトロンの生育だが、この2度めの夏に危機を迎えることになる。いま思えば、おそらく原因は夏の強すぎる直射日光にあるのだが、表皮の一部がほの白く変色するとともに、なんだか姿も弱々しくなっていくようなのだった。ぼくは慌てた。このままサボテンが枯れていくと思った。サボテンが弱ってしまう理由はいろいろあって、日焼けのほか、根腐れや、虫の害など。いずれを病んでいるのか不明のまま、しかし時間が経つにつれ、やはりどうも具合が悪くなっていると見える。ぼくは決心し、メトロンを半分に切ってしまうことにした。健康な上部を、病みつつある下部から切り離す。素人には大手術だが、やるしかない。それが2021年の9月頃のこと。
まだまだ続きがあるけれど、一旦はこれまで。セ・ボン(深い意味はない)
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