たくさん泣いた。
お疲れ様です。
昨日はたくさん泣いた日でした。
毎日のように泣いているはずなのに、昨日はたくさん涙が溢れてきて、どこにそんなにたくさんの涙が貯まっているんだろう、と思いました。
死にたいわけではないのに、死にたいという気持ちが消えないこと、衝動的に死ななくちゃとなってしまう自分が怖かった。どうして泣いているのか分からないけれど、でも涙は流れ続けました。
ひとりで泣いていました。家族に気が付いてほしかったのかも、分かりません。自分で家族のところに行けば気づいてくれるだろうし、友達も彼氏もいるのに、でもどうしても頼れなくて、やっぱりひとりのままだと思いました。
色々なことが辛かった。
死にたいのなら、とっくに死んでいるはずなのに、まだ自分は生きていて、なら死ぬ気はないじゃないか、と思ったり。でも、別に死にたいわけでもないはずで、自分でもどうしたいのかよく分からなくなってしまったり。
ネットで自殺方法を泣きながら検索している自分がいて、そのことが悲しくてまた泣けてくるし、そうしているうちにツイッターでは自死遺族の方たちを見つけてすごく苦しくなりました。
遺された人たちが苦しんでいるのを読んでは、見てはまた涙が止まらなくて、自分がしようとしていることは何て残酷なことだったんだろう、と思いました。
正直その後のことはあまり覚えていません。たぶん泣いているうちに泣き疲れたのか、寝てしまったのだと思います。
頭の中がぐちゃぐちゃでした。
今朝起きて、袖をめくって腕を見ました。日にあまり焼けていない綺麗な腕がそこにあって、すごくほっとしました。
昨日、せめて死ねないのならリスカしようかと思い、でも錆びついたカッターしか持ってないから膿んでしまう。それに、深く切れば跡になって残るから(実際に自傷行為ではなく中学の時につけた傷のいくつかはまだ消えずに残っています)、もしもこれから先生きるとしたら辛くなってしまう。
その傷を見る度に辛いことを思い出して自分が苦しめられることになると思うし、周りにも見られる可能性があるから。
だから、リスカには手を出さないでいたこれまでの自分を誇りに思います。
でも、同時に何の躊躇いもなく傷つけることができたらどんなにいいだろうと思い、弱い自分を責めたくなることもあります。
そんな私にとっての自傷行為が男遊びでした。当時の自分は、自分の身体はどうなってもいいやと投げやりになっていたのもあります。これなら傷は残らないからと好きでもない男の子と一緒に過ごしていたけれど、それでも事が終われば、また希死念慮が出てしまうのが怖くてすぐに次の人を探す始末でした。
だいぶ、心も身体もぼろぼろになっていたと思います。
子どものときから、自分を大事にして、守ってあげられたら良かったのに、と思います。今からでも、それは遅くはないと思うけれど、過去の傷が深いのか、いつまでも、暗闇の中にいる自分がいます。
子どもの私に、誰も自分を守る術を教えてくれる人はいなかった。どうやって、自分を大切にして守ればいいのか、分からなかった。どうやって、学んで生きていくのですか。
私は、今は21歳だけれど、最近になって自分で自分を守らないといけないとやっと知ったような気がします。
検索履歴を見たら、「死にたい」「死ねない」「死にたい気持ち 消えない」「リスカ 跡残るか」などと、色々残っていました。
全て消しました。
たぶん、これからしばらくは泣くことはあっても、死にたいと思うようなことはないと思います。
なんだか今の私は、何かひとつもやもやがなくなったようなそんな感覚で、何度も夢なのかと疑ってしまうような、そんな不思議なかんじです。
昨日の自死遺族の方たちの呟きがあまりにも、私にとっては衝撃的だったからかもしれません。
そういう時の私は、「もし私が死んだら周りが悲しむ」なんてことを考える余裕はなくて、だからこそ、そこに入り込んできたそれらは私に突き刺さりました。
若くして10代、20代のうちに、子どもが自死でいなくなってしまった人、色んな人がいました。
今まで自殺者だけしか見てこなかったけれども、死んで終わりじゃないんだと思いました。
死んだ後も世界は、日常はあって、動いているんだと思いました。
私には、とても周りの人たちや彼らのこれからの人生を壊す勇気はありません。
また、涙が出てきました。自分は幸せになることがどういうことなのか、やっぱりいまいちよく分からないけれど、周りの人たちは元気で幸せに毎日を過ごして欲しい。
辛いことは、経験して欲しくはない。苦しんで欲しくはない。どうか、悲しみに明け暮れることなく、毎日を過ごして欲しい。
大好きな人たちだから。
一昨日くらいにYouTube更新しました。良かったらチャンネル登録して見てくれると嬉しいです。