生活保護を受けて気づいた『生きていてすみません』ムーブからの脱却

東京に帰ってきて、あることに気づいた。

それは、か細い声、音量もなく、
自信の無さげな標準語の自分。


関西に帰った時に、普通に店員さんと話す自分。
向こうも負けじと話してくる。
それとのあまりにもギャップを不思議に思った。


それで、自分を観察して
気づいたこと、

生活保護や病気を通して、
無意識に静かにしないといけない、
ボロボロでなくてはいけない。
そう思っているらしいこと。


買ってもらった、かっこいいレザージャケット。
今日、医療券をもらいに役所に行った時、
受付の前で自然と脱いでいた。
脱ぎたくなった。

その心は、
ここでまともな格好をしているということが、
どんな風に転んで、自分の不利益に繋がるかもしれない、協力をなくすかもしれないと、
いつからか学んだからと思う。


世の中は甘くない、そんな風にある種、媚びる?気を遣って生きていて、
(要は生活保護ですみません、生きててすみませんムーブ)


それでも他人は満足しない。


気に食わないやつが、気に食わないことを謝罪するだけで、

イジメにかかる。
いびりたくなる。

お前はなんでそんななんだ!?
汚らわしいやつめ!って感じだ。


はい、
それで結論出ました。
そんなのに付き合っててもしょうがない。


自分らしくすれば良い。

その代わり、誰のせいにもできない。
他人は人生の責任を取ってはくれない。
その代わり自分の人生に帰って来れる。


昨日の、救急の医師も
ものすごく冷たかった。

日々の激務に疲れた顔。
おそらく専門の課でもなかった。


僕はやたらと謝った。
すみません、遅くに、お手間をおかけします。と。


でも、謝ったって、
彼の鬱憤は晴れないだろう、
逆にモノ言いたくなるだろう。


生活保護者は、
それらしく。

みなさん、どう思いますか?


まぁでも僕は生活保護の権利を主張したいわけではなく、
自分は近い将来、抜け出すからそろそろ御免なさいモードから自分らしいモードに切り替えて助走しようと思った話。

でも、難病や、のっぴきならない事情で苦しむ同志がこれからも虐げられると思うと少し辛い。


僕はたくさんの人の助けを受けてここまできたけど、
うずくまる人の腹を蹴られるようなこともあった。
正直割合的には7割は冷たいことの方が多かった気もする。


無常というのが、この3年間で強烈に学んだこと。

自分にとって、許せない相手。
許せないこと。
それらも無常。

愛してくれる人、
助けてくれる人も
また無常だったりする。

人間はそこまで強くない。 
だから許す許さないというのは、
置いといて、
自分の人生を生きる努力を常にしないと、
あっという間に、
人のことで人生が終わってしまう。

100%自分が悪いわけでもないことを、
わきに置いて、人生前に進めろって、
今耐え忍ぶだけでも精一杯なのに、、、


でも、それでも自分の人生。
誰も結果は背負えない。

昨日の冷たい医師に傷つけられるわけでもなく、ブチ切れる訳でもなく、
わかるよ、ごめんねと思い、
今日は素知らぬ顔で自分の事を考えて、
動けたことは嫌いじゃない。

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ここまで読んでくれてありがとうございます。
この記事を読んで「共感した」「何か気づきを得た」と感じたら、ぜひ応援をしてもらえると嬉しいです。
これからも、自分らしく生きるための助走を続けていきたいと思います。




追伸
ちょっと話暗すぎたので、追伸書きます。
この記事を書こうと思ったのは、東京でも関西弁で話していた自分が自然と使わなくなっていることに疑問を持ったからです。

試しに先日ドラッグストアで関西にいるくらいの関西弁で店員さんと接してみたら、向こうは若い子でちょっと引いてたけど🤣
自分が自分すぎて、楽ちんだ〜!
楽し〜ってことをもっと書けばよかったと反省しております笑

書きたいことはそんなことなのに、
生活保護での暮らしが大変すぎて笑
そっちに大いに引っ張られてしまいました。


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