日本に帰国して1か月ほど転々として、3か所ほど住み込みでボランティアをしていた。有機農家でファームステイや野菜収穫、山奥で古民家改修、家族の畑づくりなどした。ボランティアなので、お金が出るはずもなく、数時間手伝う代わりに住むところと食事が提供された。 3か所、一か月間過ごして一番に思ったことは、人それぞれ信念があるということ。地球に優しい暮らしを目指すという哲学を持ち、ファームステイを実施したり、有機野菜を出荷したりする。限界集落で健康的な食事を心がけ、みんなが集まる場所
4ヶ月半の中南米旅。様々な景色、人に出会い、世界の広さを実感した。その中でも特に印象に残った経験は3つ。 1つ目はキューバで、社会システムは人を変えるということを学んだ。社会主義で給料は同じで配給制があり、物が全然ない世界。独裁政治が続いており、アメリカからの経済制裁を受けている。人々はぎりぎりの生活をしており、多くの若者は国外に出国したいと考えている。首都ハバナはとても暗く、汚い。貧しい人が多いような印象を受けた。政府やシステムの基盤が腐敗すると、人々は生活の余裕がなく
まだあの時の3日間を鮮明に覚えている。コロンビアのサンタマルタに滞在中、先住民族の村を訪問した。ブンクイマケ(BUNKWIMAKE)という地域に居住しているアルワコ(Arhuaco)族の村を訪問した。そこは観光用ではなく、彼らが実際に生活をしている場所。電気、ガス、ネットなし。野菜、肉、バナナなど食料は全て自給自足。そしてコーヒーやカバンを売って得るわずかな現金収入のみ。男性は農業の仕事に従事し、女性は家で家事労働全般をする。自分は彼らの言葉もわからず、スペイン語もままなら
暖かい上着を買おう。チリとアルゼンチンの国境を歩いている時に、バックパックの横に入れていたダウンジャケットを落とした。これから肌寒い地域に行く時に、必要になりそうなので新しく上着を買うことにした。ボリビアのある街に滞在しており、衣類がたくさん売っている市場に行くことに。入り組んだ多くの細い道で形成された市場を歩き回る。小さなスペースに人々が衣類を積み上げて、それぞれの露店を出していた。つたないスペイン語とジェスチャーで自分の意思を伝えつつ、いくつかのお店を回った。 ある一
ボリビアの小さな町をいくつか巡ると、だんだんとボリビアという国の輪郭がつかめるようになった。どこか東南アジアの雰囲気に近い。気候は蒸し暑くて、いたるところに露店がある。走っている車やバイクはおんぼろ。そんな町中を歩くのが好きだ。露店で洋服や雑貨を売っているおばちゃんたちは、客のことなど気にしないかのように隣同士でおしゃべりしている。道端で飲み物を売っているお兄ちゃんは、スマホをいじりながらだるそうにしている。企業努力、効率性といった言葉たちとは無縁の人たちがそこにはいた。
コロンビアとブラジルの国境の町、タバチンガに到着した。目的はタバチンガからハンモック船に乗って、アマゾン川を下ってマナウスという都市に向かうこと。この辺りの地域は、船か飛行機が交通手段なので、地元の人はよく船を利用する。ハンモックや食器を自分で市場で買い出しして、船に乗り込んだ。3泊4日の船旅だ。ハンモックは好きなところに吊るして良いので、てきとうに場所を選んで吊るした。隣にはベネズエラ出身のカップルがいた。自分のスペイン語はカタコトだったけれど、ゆっくり話してくれて色々と
5ヶ月の中南米旅の間にブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルーと沖縄にルーツをもつ人たちに会いに行った。自分でサイトやSNSから連絡先を見つけて連絡した。そこからどんどん輪が広がり、たくさんの沖縄日系人に会うことができた。忘年会、スポーツの集まり、伝統芸能の練習、記念式典、飲み会など。そして、初対面にも関わらずお家に泊まらせてくれる人たちもいた。 今振り返ると、沖縄日系人たちに会わなかったら、中南米の一人旅はとても味気なく、寂しいものになっていたと思う。人恋しかったのだ。
好きな作家の記事を読んで、今、旅をしている身として共感することがあったので、まとめてみる。読んだ記事はこちら。 次の行き先はどうしようか。スマホをいじり、「ペルー 観光」と入力して検索。出てきた記事や誰かの発信を一通り見て、それをスマホのメモやGoogle Mapに入力していく。じゃあ、これを見るからこのルートで周ろうかな。大まかな日程を決めて、初日の宿をアプリで探して予約しておく。 自分もこういう旅をすることが多い。多くの人はこういう旅のスタイルをしていると思う。ツ
パタゴニアのエルカラファテに行ったあたりから、中南米の旅への楽しさがなくなってきた。まず、エルカラファテの物価が高すぎた。通常の倍以上の速さで減っていく資金(ドミトリー1泊5000円!)。ニュージーランドと似たような景色だったので、感動も薄れた。早々に切り上げて、上に向かうとするも、ここは南極の近く。3台もの長距離バスと1台の飛行機を乗り継いで、ようやくチリの北部に辿り着いた。ここまでで相当にお金を費やしてしまった。 また、ブラジルを出てから、ネットに載っているような観光
キューバの首都ハバナに数日滞在した後、ビニャーレスという町に向かった。観光客が多く訪れる小さな町だ。自然豊かな風景、タバコ、ハチミツが有名らしい。バスから降りて、民泊のお家まで歩いて向かう。「あ、たぶんこの町好きだ。」そう直感した。こじんまりとした民家があり、田舎なのでゆったりとした雰囲気。ハバナのように殺伐としていない。道は舗装されておらず、赤土の道だけど、それがまた素朴でいい。バスから降りた時は数名の客引きに声をかけられたけど、それ以外は声をかけられなかった(そもそも歩
キューバの首都ハバナに降り立つ。沖縄のようなむんとした熱気を感じる。どうしても行ってみたかった国キューバ。社会主義と言われる国。給料がみんな平等で配給制度がある。教育・医療は無料。そんな事前情報をもってやってきた。 空港からのタクシーは20$と高いので、ネットで調べた情報をもとに地元のバスで行くことにした。バス停がどこかわからなくて、片言のスペイン語で尋ねてみると、場所を教えてくれた。さらに、キューバペソ(キューバの通貨)を持っていなかったのだけど、おじちゃんからもらった
メキシコ旅を簡単にまとめました! 自分の忘備録として記録して、誰かの参考にもなれば。 ルート 2023/10/11〜10/26の16日間、メキシコに滞在していました。ルートはこんな感じ。 グアダラハラ→サンルイスポトシ→モンテレイ なぜグアダラハラにしたかというと、ロサンゼルスからの飛行機が安かったから。あとは、メキシコシティに行く人が多いので、訪れる人が少ないところがいいなと思って。最終目的地のモンテレイからキューバ行きの飛行機を取っていたので、始まりと終点だけは決ま
メキシコの都市グアダラハラから、サン・ルイス・ポトシに移動した。キューバへの飛行機が飛ぶモンテレイとグアダラハラとの中間地点だったから。それ以外に特に大きな理由は無かった。 今回もカウチサーフィンを使って、現地の方の家に泊まった。その日の夜、ホストの友人たちとレストランでご飯を食べた。 「明日色々周ってみたいんだけど、どこかおすすめある?」 「そういえば、日本庭園があるよ!行ってみたら?」 歩いて行ける距離だし、海外でどんな風に日本庭園が表現されているのか興味を持った
初日の夜が明けて、いよいよ街を散策。活気のある市場、路上で話している人々。バスを待っている人々。全てが新鮮。 ご飯を食べに、いくつかご飯屋さんを覗いてみる。みんなタコスを食べている。そして・・・あれ、みんな同じような飲み物を飲んでいるぞ。赤と黒の飲み物。コカコーラだ。子供から老人までみんな飲んでいる。メキシコに来て、最初に驚いたことがそれだった。 アメリカに近いことも理由の一つなのかもしれない。コカコーラという飲料を輸出して、大量に飲んでもらうことで、まずは飲料からメキ
幸いなことに、空港の職員には英語が通じたので、バス停の場所を聞いた。ほとんどの人は、タクシーの列に並んでいるのを横目に、空港の外に出てバス停への道へと歩いた。本当に大丈夫なのかと緊張感を保ちつつ、歩く。すれ違う人が全員何か危険な人物に思えた。先入観って怖い。やっと、バス停らしき場所にたどり着いた。英語は通じないので、マップを見せて運転手に確認する。 ようやく滞在先へと向かうバスに乗り込めた。乗客はちょっと小汚い格好をした仕事帰りのような男たちや、小さな子供も連れたお父さん
メキシコに飛び立つ前日。沖縄の実家にいた。だんだんと不安が大きくなっていくを実感していた。未知の大陸、国。治安が悪いと周りから散々言われていた。 沖縄から成田に飛んで、漫画喫茶で一泊をして、いよいよ飛び立つ時。楽しくやっていけるかな、言語も通じないのにどうしよう・・・。何とかなるとは思いつつも、さすがに現実が迫ってくるとわからなくなってくる。行くしかない。期待もありつつ、不安も抱く。 初めはロサンゼルス行きの飛行機に乗った。日本人と外国人が半々くらい。CAの人も全員日本