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夫に言われて、ショックだった言葉②

私は40代後半、夫は50代後半の夫婦2人暮らしの話です。
子供はいません。

15年以上の同居生活で、夫からの印象深い言葉はいろいろあります。
びっくりした言葉や、イラついた言葉、傷ついた言葉、
考えさせられた言葉や、もちろん嬉しかった言葉もある。

だいたい覚えているものですよね。
なんなら一生忘れないのよ、女は(笑)
女性は脳梁が太いからなんですってね。

過去の事案をすぐに引っ張り出せる能力は、子供に体調不良などがあった場合、瞬時に過去のデータを引っ張り出し、すべてを並べ、比べ、その場でどうするかを対処するための能力なんだそうですね。

何億年もの古来より、育児担当だった女性たちが、「過去の危険や危機と比べながら、子供を安全に育てる」というシステムを作りあげ、現代にまで受け継いでいるらしい。すごい能力。

(あ、だから男性は、浮気がバレやすいと言われますし、もしバレたら、一生忘れてもらえないと覚悟した方が良さそうですよね(笑) ガンバレ男性)


話がそれました。

本題に戻ります。


今回のショックというか、びっくりした言葉はこのような言葉です。

もう10年以上、前のこと。
いつのタイミングだったか、何を話していた流れだったのだろうか。細かくは忘れてしまったが、あるとき私に向けて、夫がこんなことを言ったことがあった。

「やらなきゃいけないことより、やりたいことをやりなよ」


……はぁ??? 

なにないなに???

逆でしょーが!!


まったく、何言っちゃってんの???
私はイラつき、頭の中が「クエスチョン」でいっぱいになりました。

私がやりたいことだけやってたら、暮らしがまわらないでしょーーが!!
やらなきゃいけないことは次々追いかけてくるんだよ、ほら今日の晩御飯どうするのさ。こっちは献立決めるのに、どんだけ苦労してると思ってるの。
私が何もしなかったら、テーブルの上には何も並ばないんだよ!!
ほらほら、時間が追いかけてくる。

外食すればいいって?? 
「私がごはんを作りたくない日」に全部外食してたら、回数が多すぎてうちは破産するんだよ!(笑)

夫だって、ふたりの暮らしを守るために働いているわけでしょう?
「やらなきゃいけないこと」をやってるじゃないか。

すると夫は
「俺は、働きたくないと思ったら、休んでいる。サボっている。金を稼ぐことは楽しいと思うし、金が入ればまた二人で外食をしたりして『おいしいね』と言い合う、その幸福のために働いている。だからやりたいことをやっている」と言う。

キーーーーッ!!

なんか、その正しさに、ムカつくんですけど!!(笑)


そもそも、自営業者の私たちの年金なんて雀の涙。
だから、先々のことをいろいろと考えておかなくちゃ!!
私がいなかったら、夫なんか破産してるんじゃないの??
ったくもーーー!!
「節約志向のちゃんとしたパートナー」を持つ友人がうらやましいわ!!
こんな夫だから、私だけはしっかりしなくっちゃ。ぶつぶつ。


我慢や節制を、今しておかないと、老後が大変なことになるんだからね!

私たちは真っ向から、対立した。

私たちは子供のころ、教えられてきた。
「先に宿題をやってから、遊びなさい」
「先にやるべきことをやってから、好きなことをしなさい」

私たちは「アリとキリギリス」のアリであれと育てられた。
じゃないと、あとで大変な目に遭うよ!!と半ば脅されて大人になった。


その話をすると、夫は「子供に対してそのように教えるのは、教育上間違っていないと思うけど、大人になってからも、そのやり方で生き続ければ幸せになれると思ったら、大間違いです」と自信満々に言ってのけた。

「人は、じいさん、ばあさんに、なれるか、まず分からない。明日死ぬかもしれないということを、人は忘れすぎ」

え?? 
これが、私が好きになった人である(涙)

今さら、キリギリスになれって言うの??
蝶ネクタイしてバイオリンを弾けと??

そんなの、無理ですから!!


そうやって、未来の不安を抱えながら生きてきたある日、私は乳がんを宣告された。43歳のことである。

夫に言われたことなど、すっかり忘れて生きていた頃のことだ。

私は、アリで生きてきたことを、突如、突き付けられた。


命の有限をチラつかされたとき、はじめて私は自分の人生に「満足していない」ことを思い知らされた。

今、死んだら、悔いが残る。

もっと我慢せずに、もっと好きなように、もっと自由に、もっと縛られずに、もっと人生を謳歌すればよかった。


そう思って、泣いた。

これまで「老後」があると思って、いろいろと心配して生きてきたけど、「心配ご無用。あんたに老後なんてこねーよ」と、死神にそう言われた気がした。

しなきゃいけないことより、したいこと。

そのように生きてきたらよかった。

でも、できなかったんだよ、どうしても。
未来がこわくて。

私は、もし生き直せるならば、「もっとしたいように生きよう」と自分に誓った。


私の「したい」「したくない」ことなんて、本当に笑っちゃうくらい、些細なことだ。
しかし、その「ちょっとした行動の積み重ね」が、人生の満足度を決めるのだと、今は実感している。

今したいこと、したくないこと。
今食べたいもの、食べたくないもの。
今行きたいところ、行きたくないところ。
今会いたい人、会いたくない人。

今、今、今。

全部、「今の満足の集積」のみによって、私は幸福を得ている。

夫は言う。
「節約が楽しくてたまらない人は、存分にしたらいいと思う。だって楽しいんだから、それが喜びなんだから、節約したらいいんだ。それなら、反対しないよ」と。

「でも、別に節約したいわけじゃなく、老後のためを思って、今、我慢をし過ぎるのは、今現在をないがしろにしすぎというもの。バランスを改めるべきだと思う」


私は、夫の言うことに、かつては「おもしろくなさ」を感じたが、今はそれを上回る納得があるのも事実だ。
ガンになって、それを知った。

私は今、晩御飯を作る気がしないとき、「今日、お茶漬けでもいーい?」「私、今日はもう目玉焼きしか作れません!」などと夫に訴える。

それまでは生真面目に、食事のおかずを揃えていた。
夫に強要されたわけでもないのに、古い価値観で、そうせねばならないと思っていた。決してレパートリーが多いわけでもない私が、せっせと頭をひねって食卓に皿を並べ、また次の食事の時間が近づいてくる。


「もしや、この家事全般は、死ぬまで続くのか?」
一緒に暮らし始めた当初、そう思って恐ろしくなったのを覚えている。

元来、料理は嫌いじゃない。しかしそれは自分一人が、自分勝手に食べたいものを作る楽しさである。夫の好き嫌いや、夫の食べたいタイミングを擦り合わせ、献立を考えることに私は疲れていた。

夫が、私の訴えに対し、
「あ、お茶漬けいいねーー」と嬉しそうである。
なんなら普段の食事より美味しそうに茶漬けをすすっている(笑)

夫は、「俺がなんか作ろうか?」とも言う。

夫は、病気で亡くなった彼女さんに、ずっとご飯を作ってきた人で、おそらく私より料理上手なのである(汗) そんな夫に対し「長いこと、おつかれさま。もう今は作らなくていいよ」と言ってあげたい気持ちもある。

「いいよーー冷蔵庫にもなんもないし」
「じゃあ、なんか、とるか?」
「高くつくからイヤ」

そんな感じの会話を経て、結局「お茶漬け」に落ち着かせたりする。

「自分の労力と、夫の労力と、使う金」を、私の好きな感じにバランスさせている。

「どのあたりが、自分がもっとも気分がよいか」
私が、一番満足できる、落としどころを、いつも探っている。

したいことをする。
したくないことは、しない。

ガンになって感じた「人生の不満足」。
これを今、大分取り戻せたと思っている。

今もまだ死にたくはないが、それでも後悔を減らせる生き方にシフトチェンジできたことは、ガンになってよかったことのひとつであろう。

そして今、もっともっとわがままになってやろうと目論んでいる。
夫よ、覚悟しておけ(笑)

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