「理想」と「現実」は 対立させてはいけない というお話ですよ
私たちは、生きている間中、「こんな自分になれたらなぁ」「あんなことが叶ったらなぁ」と、大・小の理想を描きながら生きていますよね。
今回は、今ある現実から理想に近づくための、なるべく楽でスムーズな方法論に迫ってみたのですが、途中で、
頭が爆発しそうになりました(笑)
それでも、ゆっくり順を追って考えてみることで、大分クリアになってきたので、夢や希望がある人は、ぜひヒントとして活かしていただけたらと思います。
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まず、あなたに問いたい。
「ありのままの自分」=「なりたい自分」
この式に、納得できるでしょうか?
「ありのまま」と「なり(成長し)たい」
このふたつは、それぞれに大切な価値基準なのですが、相反するような、水と油のような関係として認識されていますよね。
私自身も、長らくこのふたつは「対立軸」なのだろうと思っていました。
成長したいと考えるわたしは、
「ありのままなんかでいたら、成長しないじゃないか!」
と思っていました。
ここから、ちょっと「ありのまま」という、ふわっとした言葉に言及します。
アナ雪のヒットにより、よりメジャーになった「ありのまま」という言葉ですが、「ありのままで生きる」というのは、自分の内面や心に忠実に生きるということを指します。
わたしが「成長したい・こんな風になりたい」と心から望むとき、まさしくその状態こそが「ありのままの自分」なんですって。
これまで両者を対立軸でとらえていたが、実はイコール関係。
禅問答のようになってしまったが、先に進みましょう。
では、私が勘ちがいしていた「ありのまま」に変わる言葉はなんだろう?
ここで「あるがまま」さんのご登場である。
「あるがまま」は、仏教では存在の本質を表す深い意味でつかわれるようだが、一般的には現在の状態や環境を、そのまま指す言葉。
「あるがままで生きる」と言うのは、今現在の状況を肯定して生きるということ。
ここでようやっと、私は叫ぶことができる。
「あるがままに生きていたら、ずっとこのまま。成長できないじゃないか!」
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前置きが長くなりましたが、ここからは「あるがまま」を使用しながら、本題に入りましょう。
「あるがままの自分」 VS 「成長したい自分」
「成長したい派」として、何十年も生きてきた私は、学生時代も、社会人になってからも、
▢今の自分じゃダメ
▢このくらいは、できて当たり前。もっと優れた人がいる
▢人と比べて、あれもこれも劣っている
このように、自分にムチを打ちながら生きてきたのですが、結局、満足できたことはありませんでした。
おかしいなぁ……
「あるがまま」でいては、至らないところだらけだから、少しずつ「成長しよう」として頑張っているはずなのに、なぜいつも不満足なんだろう?
考えてみれば、当たり前のことです。
成長しても、常に、その時点、その時点の、「あるがままの自分」を認めないものだから、「足りていない自分」が「あなた、まだまだですよ」と、ささやいてくるシステムになっていました。
成長するたびに、理想も上がるため、ギャップがいつまでも埋まらない。
いつも、足りない自分だけが、そこにいる。
生きてて、苦しい。
けれど苦しいのも、自分が至らないからだよ。
もっと「成長したら」、苦しくなくなるんだよ
こうして、文字に書いてみると、切ないですね。
若い頃の自分に「おつかれさんでした」と言ってあげたい。
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少し前の記事で、夫が少年時代に「かっこいい男になろうとして、頑張っていた様子」について触れました⤵⤵
少年の夫は、「今の自分はパッとしないから、かっこよくなりたい」とスポーツやら勉強やらを頑張るのですが、それらは周囲から誘導や強制をされたわけでもなく、全面的に自己否定するわけでもなく、ただ
「もっとかっこいい自分になりたい」という主体的な動機で、今の自分にプラスαを上乗せしようと行動しました。
夫は10歳にして、とりあえず「あるがままの自分」を認めた上で、夢や希望を抱いている。
けれどもわたしは、
「今の自分じゃだめだ。こんな私は、足りていない。もっと頑張らねばならない」
「あるがままの自分」を否定しながら、なんとか自分の存在を認めてもらおうと必死になって生きてきました。
互いに「成長したい・もっと良い自分になりたい」と望みながらも、前提が違うんですよね、決定的に。
素直に「こうなりたい!」と憧れとともに頑張る夫と、
「このままの自分には、合格点はあげられない」
「頑張らないと、将来大変なことになるぞ」
自分への評価を厳しく下したうえで、何かの恐怖や不安を回避することを原動力として、頑張ろうとする私。
不安や危機を回避することを原動力に、何かの目的(例えば「老後の貯蓄」)を目指すことは、悪いことばかりじゃありませんが、「なりたい自分」を目指すときのアプローチとしては、どうしても苦行になりがちで、しんどい。
それにしても、なぜこうも、自分への評価が厳しいのか?
夫と、わたし。
ふたりの一番の違いはなんだろう?
夫とあれこれ話したのですが、
自己受容できているか、否か、かもね
という答えに辿り着きました。
もはや使い古された言葉になりつつある「自己肯定感」ですが、その下支えとなる感覚が、「自己受容」なんですよね。
じゃあどうして、夫は、自然と自己受容しながら生きてこれたのだろう?
どうして、わたしの自己受容は、うまく育まれなかったのだろう?
ふたりの性格・性質が違うから??
いったい、なぜなんでしょう?
長くなってしまったので、今日はここまで。
後半は、数日以内にアップできるように頑張るので、よかったらまたお会いしましょう。
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