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はっきりさせたい! あいまいな物事をあいまいのままにする力

私は、物事を、白黒はっきりさせたい。
曖昧な物事を曖昧なまま持ち続けることが苦手です。
大抵は「今、答えをください」「今、決着をつけよう」と思っている。

人間の脳には「分かろう」とする性質があるため、「知りたい」「はっきりさせたい」という気持ちが湧いてくるものなのだそうですね。

最近よく「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を聞くようになりました。

【ネガティブ・ケイパビリティをざっくり説明】
①事実や理由を性急に求めず、不確実さや懐疑の中にいられる能力
②安易に「分かろう」とする姿勢をやめ、発展的な深い理解をめざす

はっきりと明確な答えを導き出すことも能力でありスキルならば、答えのはっきりしないことをそのまま持ち続けることもスキルなんですね。

ガンの定期検診のことを、少し前にも書きましたが、「絶対に再発した」と思い込んだまま過ごす空白の10日間は、罰ゲームのようでした。

詳しく知りたい方はこちらをどうぞ⤵

ただこれは、10日後には必ず結果がはっきりすることでもありますから、まだいいんです。(よくないけど)
何かの試験の合否とか、結果発表が用意されているものは、とりあえずいつかは答えが分かるのです。


しかし、人生には、もっと曖昧なことってありますよね。

例えば、医者が病状について、「えーと、〇〇の可能性もありますし、△△の可能性もあり、まあ、なんとも……今後も状況をみながら判断していきましょう」などと言ったりするアレ。要するに、ただ「分からない」と言われているだけのアレです(笑) 

この「分からなさ」が私たちを苦しめます。

また職場や知人友人、家族などの人間関係の中でも

私は〇〇について、△△かなと思い、こうしたらいいかと思うのですが、あなたはどう考えますか?

仮にこのように相手にぶつけても、相手が答えになっていないことを返してきたり、煙に巻いてきたり、「考えておきます」などと逃げたりした場合、おそらくその答えは得られない。

返事が欲しいけど、返事がくるかも分からない。
自分が問いをぶつけただけで、回答が得られないという気持ちの悪さ。

そのはっきりしない状況に、時々「もー! 気になる!!」と発狂したくなりながらも、「でももう考えてもムダか」などと半ば諦めたりしながら、どうにかこうにか生きているのです。

私たちは、そんな中でもとりあえず生きているのだから、もう、それだけで100点満点てことにしませんか(笑)

人生は選択の連続で、未来は一切分からず、ロールプレイングゲームみたいなものだと、少し前のブログでも書きましたが⤵

今一度「分からない」「不確実」だということを、腹に据える。

先のことは「分からないんだ」ってことを、分かるしかない


そして、そんな「白黒はっきりさせたい病」の私が、時々思い出して、溜飲を下げている想いがあります。

それは

「まあ、いいか。どうせいつかは死ねるんだし」

というものです。

私はガンになって、死の恐怖にのた打ち回りましたが、元来は生きることを面倒だと思っている、ニヒリストぶっているところがありました⤵


人間は、最後には、死ねるわ。

つまりは、大・中・小の、あらゆる納得のゆかぬ、中途半端で、理不尽極まりない出来事も、巨大ブルドーザーによって粉々に叩き潰され、風によって飛ばされ、自分はそれらがかつて存在したことさえ認知できなくなる。
(あの世がない設定ですが)

そう思えばこそ、今の不確実さにおける据わりの悪さも、「つーか、もうどうでもいいか」と思えるような気がしています。

解決のつかない問題にぶち当たった場合に、「どうせいつかはすべて無に帰す」と思うようにすることは、逆説的ではありますが、私を快適に生かすためのよりどころとなっています。
例えば、もし今、安楽死の薬が手元にあれば、「よし。これで安心して、心置きなく生きよう」と思えるのと同じです。(私はそうですが、みなさんはいかがですか)

そしていつか死ぬからこそ、とりあえず今日一日だけの幸福を考えて、己の欲求に忠実に、今をむさぼり尽くしてやろうぞ。

今日を楽しめた、味わえた!
そういう一日をおくれた夜には、何か目に見えぬ大いなる力に対し、「ざまあみろ!!」と思えるのでした(笑)

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