雨宿りから奇跡が
晴れの日、曇りの日、雨の日、毎日、いろんな天気があります。天気は、私達の力で、思うようにコントロール出来ません。同じように私達の心も、周囲の影響を受け、晴れて明るい日差しを感じる時もあれば、悩み続けている曇りのような日々もあれば、行き詰まり悲しさでいっぱいの雨のような時もあります。
しかし、最近私は立ち止まって考えたことがありました。それは、「大変な時期、辛い時期があっても、雨宿りをせずに嵐の中でも突っ走ることがカッコイイし、それが頼もしいスタイルだ」 というような考え方に世の中がなってしまっているのではないか、と思ったのです。
表向きはこのようなカッコイイ生き方を選択するけれど、心の奥では、そのような選択をし続けている自分に疲れ、表向きとのギャップで挫折を感じ、そのような自分を赦すことも難しくなっているのではないでしょうか?
ある本の中でこのような言葉と出会いました。
「雨宿りをするために入った木陰で、思いがけなく木の実を発見することがある」
この言葉の意味は、
自分ではどうにもならない困難な出来事、悲しい出来事を経験し、前をむくことも出来ず、雨宿りを余儀なくされる状況があるけれど、この雨宿りが決してマイナスなものではなく、雨宿りの仕方次第では、木の実という他では得られない収穫や発見を得る
という意味です。
雨宿りの期間は、もしかしたらとても辛く悲しく、泣きたいような日々かもしれません。周りの人達の晴れた道を見ては、焦りも感じるかもしれません。しかし、それは本当の意味で強くされるために必要な時期だと私は思っているのです。
晴れた道に行けるよう何が何でも頑張るのではなく、また、晴れだから良い・雨宿りがネガティブでマイナスなことだと、評価をするのではなく、雨の日になれば、それを真っ直ぐ静かに受け止め、雨宿りの選択をすることで、これまでに見えなかったことが見えるのではないでしょうか。
そして自分の想像をはるかに超えた何かを発見できると信じて・・
今行き詰まりを感じている人、焦りを感じている人、悲しみで押しつぶされそうな人、全ての人達が、雨宿りの中、素晴らしい奇跡と出会えますように!
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