髙野 ナツゴロウ

40歳過ぎて、ASDと双極性障害と診断を受けました。 (通りで生きにくいわけだ…) 社会不適合者で何に適合するのか模索中です。 こんな変な生き物が、世の中のどこかで、息を潜めて生きているということを知っていただけると、嬉しい限りです。

髙野 ナツゴロウ

40歳過ぎて、ASDと双極性障害と診断を受けました。 (通りで生きにくいわけだ…) 社会不適合者で何に適合するのか模索中です。 こんな変な生き物が、世の中のどこかで、息を潜めて生きているということを知っていただけると、嬉しい限りです。

マガジン

  • 笑う靴下福来る

    「靴下のかたっぽがみつからない」のその後を、少しだけお話しさせてください。 相変わらず、右往左往な日々を送っております。 みんな普通に生きてて凄い!

  • 靴下のかたっぽがみつからない

    40歳を過ぎて、ASDと双極性障害2型と診断を受けるまでの、私の四方山話を聞いて頂けると嬉しいです。

最近の記事

福祉医療費受給者証と自立支援医療受給者証に泣いたおはなし

市役所から、厚い封書が届きました。 中を開けると、先日障害者手帳を頂いた時に申請した書類が、ごっそり入っていました。 返却された状態です。 添え状には、 「この申請書は違うから、送りますよ。違うのを提出してきてね」 と書いてある気がします。 返信用の封筒が同封してあります。 障害者手帳を申請した時に、医療費の補助の説明をしてもらい、その申請をしたことを思い出しました。 補助のパターンも2通りあるようで、それぞれ申請をしました。 片方の証書は日頃歯医者でもなんでも病院にかかっ

    • 45歳で障害者手帳を初めて手にしたおはなし

      これまでの私のお話に興味がある方は、↑こちらからご覧下さい。 面倒だなと思う方は、すっ飛ばしちゃってください。 と、いうわけで、42歳で再就職したものの、これがまたポンコツな仕事ぶりでして。 メンタルクリニックの先生からは、自閉スペクトラム症だということ、双極性障害があるということは、就職先に言わなくてもいいと言われたので、隠して隠して仕事をしていましたが、あまりのポンコツぶりに3年目にして限界を感じてしまいました。 仕事内容だけでなく、人間関係も凹むことが多くて、メンタ

      • 靴下のかたっぽがみつからない ㉛皆様とわたし

        メンタルクリニックでは、正直なところ 「軽い鬱病ですね、少し眠れないみたいだから、睡眠薬処方しますね」 程度の話かと思ってきました。 または、全然何も無くて返されて、 「あれ?診察代もったいなかったかな?」 ってなると思ってました。 知り合いで2人ほど、メンタルクリニックに行ったことのある人の話を聞いていて、2人とも「調べてもらったけど、何もなかった」と言っていたので、そんな程度のつもりでした。 何もないと分かるだけでも、一歩前進になると思いました。 すると、自閉スペク

        • 靴下のかたっぽがみつからない ㉚セキグチさんとわたし

          とても遠くて、着いたのはもう日が落ちたころでした。 いやいや、本当に遠かったです。 その日は天候がおかしかったのか、そういう地域なのか知りませんが、氷も雨も降り、そうかと思えば晴れて虹も見ました。 真っ暗の中、湖のある公園につきました。 真っ暗すぎて、様子がわかりません。 でもすごく何か鳴く音がします。 困って見渡すと、あかりのついた建物があり、覗きに行きました。 その施設の方に、朝になると沢山見れるよといわれたので、私はその公園に車をとめて、お布団にくるまって一夜を過ごしま

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        • 笑う靴下福来る
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        • 靴下のかたっぽがみつからない
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        記事

          靴下のかたっぽがみつからない ㉙離れていく人とわたし

          仕事の方は、勤続年数もそれなりになり、仕事の内容は、もう長くいたので多少のアクシデントは乗り越えれました。 貴重な体験も仕事を通してさせてもらいました。 定期的に足運んでいると、自然と同じ顔をみることがあり、ちょっとした立ち話をする仲の人もいて、そのたった何分の立ち話で、えらく深い話になったりして、人って面白いなぁと思いました。 入社して8年目で、社長の息子さんが、新しい社長になりました。 私を妖怪みたいなあだ名で呼んでいた人です。 どうしても距離を縮めることは出来ませんで

          靴下のかたっぽがみつからない ㉙離れていく人とわたし

          靴下のかたっぽがみつからない㉘アカネとわたし

          一方わたしの職場は少しずつ変化がありました。 従業員がさらに増えて、個々に加入していた国民健康保険が社会保険に変わりました。 年金も国民年金から厚生年金にかわり、わたしは激しくほっとしました。 結婚生活のあいだ、わたしの国民年金は支払われてなくて、人生で年金はまともに払っていなかったからです。 歳取るのが怖いよぉ、、がくがく。 仕事の内容も、社長の奥さんは大分引き際を匂わせていて、私の仕事がどんどん増えました。 でも、自己固定感が低いので、頼られると生き生きとします。水をも

          靴下のかたっぽがみつからない㉘アカネとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ㉗運転手とアオイ

          そうこうしているうちに、わたしは35歳を目前までになった頃です。 むくむくと、またわたしの妄想癖がやって参りました。 「家が欲しい」 です。 子供の頃から、異様なまでの「家好き」な趣味がとうとう爆発するのです。 と、いうとオーバーなのですが、単純に住宅ローンを借りるなら35歳までがいいと、どこかで聞いたことがあったので、買うならこのタイミングかもしれないと思っただけです。 社長の奥さんからは、古新聞をもらっていて、いつも中古物件の項目はチェックしていました。 間取りを見ては

          靴下のかたっぽがみつからない ㉗運転手とアオイ

          靴下のかたっぽがみつからない ㉖イチくんとわたし

          ある日警察から電話が来ました。 前に住んでいたアパートで空き巣に入られて被害届を出した、あの犯人が分かったと言う連絡でした。 捕まった、ではなく、分かったと言うお話に少し違和感がありました。 聞くと、ゲームセンターでちょっとしたトラブルがあり、警察沙汰になり、指紋を取ったら、私の件と重なったそうなのです。 警察の方は、ゲームセンターでは本当に小さなトラブルだったので、まさか指紋からこんなことになるなんてと、大層驚かれていました。 ええ、私も驚きましたよ。 名前はイチくんと

          靴下のかたっぽがみつからない ㉖イチくんとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ㉕クロちゃんとアカネ

          アカネが5年生になったころの事です。 5年生の春、新学期を迎え、クラス替えがありました。 新しい先生になった、と喜んでアカネは話をしてくれて、私も家庭訪問でお会いして、まぁ転校も多かったことですし、先生のことは「今度はどんな先生かね」程度にしか思っていませんでした。 なんとも平和ボケしてました。 私の脳みそは。 ゴールデンウィークあけの6月くらいから、学級通信が途絶え、先生が短期間のお休みを取るようになりました。 その頃から、アカネは少しずつ不思議なことを言うようになりまし

          靴下のかたっぽがみつからない ㉕クロちゃんとアカネ

          靴下のかたっぽがみつからない ㉔アカネとアオイとわたし

          仕事ではけちょんけちょんですが、家に帰ると、アカネとアオイが待っててくれます。 2人はもう夕飯を食べ終えて、大抵テレビを見ています。 私が家に帰ってから、夕飯を作ると遅くなるので、いつも朝お弁当箱に夕飯を作って、冷蔵庫にいれておきます。 2人はそれを学校から帰ってきて、先に食べててもらう生活をしていました。 お腹空いて待たせてるのも可哀想だし、自分自身、帰ってきてから夕飯を作るのが、身体がついていかなくて、しんどかったからです。 私はいつも、帰ってきてすぐに、洗濯を回して、

          靴下のかたっぽがみつからない ㉔アカネとアオイとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ㉓社長と奥さんとわたし

          新しい職場では、入社当時は、日中は、社長と、その奥さんの三人で事務所にいることが多かったです。 現場仕事に男性社員が1人、社長の息子さんが1人いて、その2人が現場で仕事をして、帰ってくると書類を作成します。 私は、その書類を受注先に郵送したり、行政に提出したり、納品書請求書の発行、日々の電話対応、現場2人のスケジュールの管理をしました。 30歳すぎにして、初めての正社員雇用でした。 社長の奥さんは、事務所に2人だけになると、今まで歴代の事務員さんの辞めていった話を武勇伝

          靴下のかたっぽがみつからない ㉓社長と奥さんとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ㉒スーさんとわたし

          引っ越した先は、大きな集合住宅の棟が並ぶ横に、小さく建つアパートの2階のアパートでした。 2階というのも、私の安心するポイントでした。 流石に家賃が三万円とはいかず、それなりのお値段でしたから、トイレは水洗で生活が快適になりました。 よく分からない狭さの間取りでもありません。 小学校は県で上から何番目に大きいと言われているマンモス校でした。 昇降口は、生徒用に低学年と高学年と、二つに分かれてありました。 そうなると、私のよくわからない苦手だなと思う電波が発動します。 通うの

          靴下のかたっぽがみつからない ㉒スーさんとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ㉑侵入者とわたし

          それから半年後、私の生まれ育った土地へ帰ることにしました。 運まかせな生き方なのですが、たまたま住みたいアパートが見つかって、母子家庭でもいいと管理人さんが言ってくれて、住めることになったからです。 仕事が決まらないとアパートが決まらない、アパートが決まらないと仕事が決まらない、というループに落ちそうになってたので、とても有り難かったです。 アカネが小学生3年生アオイが小学校1年生に進学するタイミングで、自分の生活を一変させるにはちょうどいい時期でした。 この時アパートが契約

          靴下のかたっぽがみつからない ㉑侵入者とわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ⑳ミズキさんとユキコさんとわたし

          離婚をして、最初に住んだのは、知り合いの人の空いてる家のワンスペースでした。 その方は、わたしの朝から仕事をしていた先のお客さんで、新聞とかで私の育児サークルの活動を知ってくれていて、わたしの顔を見れば応援してくれるような方でした。 使っていい部屋を提供してしてくれて、低家賃で住まわせてもらいました。 電化製品はなくてリサイクルショップでかき集めましたが、タンスなどの家具はそのままあり、自由に使ってくれていいよと言ってもらえました。 本当に感謝です。 初めての3人暮らしで

          靴下のかたっぽがみつからない ⑳ミズキさんとユキコさんとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ⑲カンちゃんとお義母さんとわたし

          その間、家でも大きな変化がありました。 カンちゃんのお店が、危うくなってきたのです。 ただでさえ、お客さんが減っているのに、お店の家賃やらの経費がらかかりすぎて、網の空いたザルにお金を入れていると、カンちゃんはボヤいてきました。 私はそれなら、初期投資してこの今住んでいる家の庭にお店を移転してはどうかと、提案しました。 普通の住宅地の庭にポツンと飲食店です。 でもたまに、そういう隠れた銘店みたいなことをしているお店もありましたから、やれないことはないと思いました。 ただ、そ

          靴下のかたっぽがみつからない ⑲カンちゃんとお義母さんとわたし

          靴下のかたっぽがみつからない ⑱ハルちゃんとわたし

          アカネとアオイが保育園に通い始めました。 その頃からちょっとした変化がありました。 実家から離れた距離に嫁に来て、歳も歳で若すぎ、私の周りの友達はようやく社会に出た頃の年頃で、ママ友らしい友達が居ません。 私は寂しくて、当時買っていた育児書の雑誌の中のお友達募集の欄から知り合ったママさんと、定期的に会っていました。 お互いの家を行き来して、お菓子を少し食べながら、子供たちを遊ばせて……くらいの、ゆっくりな交流です。 たまたま私はパソコンでホームページを作ったり、何かパソコ

          靴下のかたっぽがみつからない ⑱ハルちゃんとわたし