見出し画像

靴下のかたっぽがみつからない ㉑侵入者とわたし

それから半年後、私の生まれ育った土地へ帰ることにしました。
運まかせな生き方なのですが、たまたま住みたいアパートが見つかって、母子家庭でもいいと管理人さんが言ってくれて、住めることになったからです。
仕事が決まらないとアパートが決まらない、アパートが決まらないと仕事が決まらない、というループに落ちそうになってたので、とても有り難かったです。
アカネが小学生3年生アオイが小学校1年生に進学するタイミングで、自分の生活を一変させるにはちょうどいい時期でした。
この時アパートが契約できなかったら、帰るタイミングを無くして違う人生を歩んでいたかもしれません。

そのアパートはかなりの老朽ぶりでした。
家賃が三万円で安かったのは、極端に片寄った狭い間取りと、水回りが古くて汲み取り式のトイレだったからです。
当時は、昔の話しといってもまだ15年くらい前ですから、「え、まだあるの?汲み取り式のトイレ!」
と驚きました。
娘たちもかなり衝撃だったでしょう。
この汲み取りトイレの小話があるのですが、とてもお汚いお話になるので、自粛させていただきますが、何かのきっかけでお披露目ができたら嬉しいです。

3月に引っ越し、4月には娘たちの新学校が始まり、私もハローワークを通して仕事が見つかりました。
職場は朝のラッシュと被るので、1時間かけて出勤しました。

工場勤務でした。
初めの雇用はバイトからで、慣れたら正社員になれるらしく、あんなに正社員になるのが怖かったのに、早く正社員にならないと落ち着かない自分がいました。

けれど入社してすぐに衝撃を受けます。
入社して2年の人が、社長に
「保険証がないから歯医者にいけない、はやく正規で雇ってほしい」と話をしているのを聞いたからです。
全然仕事ができない人ではなく、むしろ先頭に立ってみんなを引っ張ってるくらいの仕事ぶりをする人です。
わたし、正社員になれるのかな、、と、目の前が暗くなりした。
当時の最低賃金は8百円くらいでした。
その最低賃金で、一日7.5時間働いて、6千円です。
1ヶ月、23日働いたとして13万8千円。
社会保険では無く国民健康保険だと、三人分で、、いくらだろう。
家賃が三万円で、、
県からの母子手当もあるので、やれないことはないけれど、こんなひもじい思いをアカネとアオイさせたくありません。
これはどうしたものか…仕事をしながら悶々とします。

そして、心配の仕事ぶりはというと、まーポンコツです。
その工場は女性10人くらいでまわしています。
長くいる人もいれば、ついわたしの2週間前から仕事を始めた人もいて、少し人の入れ替わりが多そうに見えました。
新入りだからと、優しく話しかけてくれる人はいません。
言い方がきつい人もいて、その度にシュンとしてしまいます。
出勤と帰宅のラッシュの車の中から、私は毎日のように、ではなく、リアルに毎日ハルちゃんに電話をして、不安のうちを聞いてもらいました。
「あの人にこんな嫌なこと言われた」
と言えば、ハルちゃんは
「それはナツゴロウちゃんが悪い」
とか、
「それはその人が良くない」
と、はっきり言ってくれます。
それだけで、気持ちの整理がつきました。
素直に、そうか、私がいけなかったのか、と思えるし、相手が悪いとなると、それはそれで、気持ちの代弁をしてもらっとような、すっきりした気持ちになります。
そうは言っても、ハルちゃんは主婦です。
このときはもう子供は3人いて、子育て絶賛奮闘中の時期でした。
それなのに朝に毎日毎日、本当によく付き合ってもらってしまいました。
ハルちゃんが忙しくて電話に出てくれないときは、空の青さを感じては1人でペソペソ泣いていました。
そんな可愛いもんじゃないですね。
ビービーとビチャビチャになって泣いていました。
毎日がいっぱいいっぱいでした。

平日はそんなこんなで、ヘロヘロで、土日はまとめて家事をしたり、買い物に行ったり、それだけで休みが終わってしまいました。
そのアパートにはネコの額ほどの小さい庭があって、大家さんが畑をやれと言ってきます。道具も貸してくれて、なんだったら気がついたら肥料までまいてくれてます。
見よう見まねでやる、畑仕事は結果楽しかったです。

大家さんが娘たちを可愛がってくれて、
近所の中学生の男の子も、娘たちと外で話をしてたりします。
すごく狭くてびっくりしたけど、いいところに引越しをしてきたんだなと、嬉しく思いました。

日曜日の3時頃、天気が良くて、洗濯物とお布団と、シーツと、子供達の靴とか干してあって、部屋は掃除機をかけたばかりで、洗濯物が風で揺れるのを眺めながら飲むコーヒーはとても美味しくて、頑張っていこう、そんな気になりました。

そして月曜日からまたビービーと泣く日が始まる訳ですが。

入社して1ヶ月が経つころか、まだ引っ越して新しい生活で慣れていないのか、お財布のなかのお金が、なんとなく減っていることに気がつきました。
初めは、アオイが小学1年生スタートで、ちょこちょこ教材の集金があったので、目に見えないお金ってかかるもんだなと、トンチンカンなことを思っていました。

トンチンカンなのは、私だったのかも??と、なんとなく思い始めてきました。ふと何かがおかしいなと思いました。
工場は控え室にみんなバックを並べています。
もしかして???
でも入社したばかりで、そうだったら困るな、なんて思いました。
背中の奥がゾクリとしました。

なんてわたしはトンチンカンだったんだろうと、確信に変わったのは、2回目のお給料をもらった数日後でした。
当時その会社は現金で支給されました。
十万円と少しありました。
家賃三万円抜いて、大家さんのところへ支払いにいき、一万円はお財布に入れました。
残り福沢諭吉が6人、お給料袋に入っていました。
の、はずなのに、二人になっていました。
どこへ行った!!福沢諭吉!!
もう恐怖しかありません。

何度確認しても2人です。
そんなこと、あるわけない、イルージョンじゃあるまいし、、と、考えます。
家賃で三万円…お財布に一万円…
何度も頭の中でシュミレーションをします。
やっぱりおかしいですね。

とりあえず、娘達にいつものように夕ご飯をつくり、洗濯をし、寝かしつけ、9時になりました。
その間も頭のなかがモヤモヤします。
娘たちが早々寝ついた夜の9時すぎに、1人でもう一度考えてみました。
最近はなんとなく気になってたので、出かけるときはしっかり施錠をしていました。
でも、ひっかかるのは、アパートのぼろさ故の、玄関の鍵の甘さです。
こんな鍵私だってピッキングできるよと、思うような、簡単な作りだったのですが、まさか本当に誰かが家に入るなんて、想像もつきませんでした。
恐怖で手が震えました。
比喩でもなく、本当に震えました。

落ち着こう、落ち着こう、これは誰かに聞こうと思い、通報では無くて相談のつもりで警察に電話をしました。
あくまでも相談のつもりなので、110番ではなく、市外局番からの最寄りの警察署に電話しました。
携帯電話でその番号を一個ずつ押すのですが、動揺しすぎて、番号がうまくうてません。
頭では分かってるのに、指が思うように動かなくて、何度か目でようやく、かかりました。
(それ以来最寄りの警察署の番号は、携帯電話のアドレスの短縮番号に登録することにしました。いまだにそうしています)

相談なのですが、どうもお金を抜き取られてる気がするのです…そんな相談の仕方だったかと思います。
電話を受けてくれた男性の方は、迷ってる私に、それは被害届を出したほうがいいと長い間説得してくださりました。
ようやく被害届を出す決心がつき、違う形のパトカーが2台私のアパートの前に着いたときは、もう11時を回っていました。

鑑識班も行くので、絶対部屋を掃除しないでくださいと、念押しをされて、言われてから改めて部屋を眺めると、まーーー汚いのです。
まぁまぁ汚いのではないです。
んまーーー!!汚い!のです。
そのほこりを鑑識の方が懐中電灯で横から照らし確認をしながら、写真を沢山撮ってくださりました。
本当に穴があったら入りたかったです…。
日頃の掃除って、こんなところでひびいてくるのか…。

たまにテレビで見る、大事な箇所を指を刺して撮る写真も、やりました。
あーそう言う意味で指を刺していたのか、と、体験してみて納得しました。
本当に耳かきの綿みたいなやつでポンポンして、色んな場所を写真で撮っていきました。
お給料袋は、必ず触ったであろう、私の全指の指紋と、工場の会社の社長と奥さんの分ももらいました。
(後日警察が社長たちのお宅に出向いてくださりました。入社したばかりなのに、本当に迷惑をかけてしまいました)
あとお給料袋と一緒に、ポチ袋も置いていてあったので、その指紋も取るからと、遠方にすむユキコさんとハルちゃんの指紋もとってもらうことになりました。
みなさん、ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。

ただでさえ狭い六畳間に、カチカチの防具服を身につけた、身体の大きな警察の方が六人、暑い夏の夜に、ぎゅうぎゅうになりながら、私は色々と聞かれました。
小さな玄関に、黒い大きな男の人の靴でいっぱいになりました。
とても疲れました。

結局、指紋はすぐには結果が出ないとのことで、犯人がするすると捕まるわけでなく、またいつもの日常に戻りました。
しばらくして、警察から連絡が来て、私の周囲の人の指紋と同じ指紋がお給料袋から検出されたこと、あと不明の指紋らしいものが出てきたこと、それも、1人とは断定できない、指紋は過去の犯歴のある人には該当しなかったので、結果犯人はわからない、との事でした。

娘たちにはこの一件は、私はあえて言わないでおきました。
娘たちが寝てる間に警察を呼んだのも、結果としてよかったです。
環境の変化で、確実に娘たちに負担にをかけてるのはただでさえ、感じ取れましたから。
アカネは、無理をして頑張っている感じがしましたし、
アオイは、引っ越してきたらおねしょが始まってしまったからです。
(このおねしょが本当に辛かった…)

警察はその後、パトロールをしてくれるというお話でした。
2回くらい回ってくださってるのを見かけました。

それから毎日の気を使って生活をしてたのですが、つい気が緩んで、こんなところにおいてもわからないだろうなというところから、またお金がなくなりました。
それに気がついたのは、娘たちが一学期最後の終業式の日で、近所の夏祭りがある日でした。

どうしたらいいのだろうか、今なら低価格で防犯カメラなどありますが、当時はそんな手頃にはありませんでしたし、もう目に見えない相手を気にして生活するのには、心が折れてしまい、対策が考えられませんでした。
子供を夏祭りに連れていきながら、悶々と考えます。

もう戦えない。

そう思って、引っ越しを決意しました。

犯人と鉢合わせでもしたら怖いですし、もうすぐにでも引っ越しをしたいと思いました。
知らない人が家に入っていたなんてと想像するだけで気持ちも悪いです。
こんなとき結婚相手がいたら…世に言う普通のパパさんがいたら、どうなっていたのかなと、思いました。
でも、今の私には一緒に戦ってくれる人はいません。
シングルマザーってこんな大変なのかと実感しました。

終業式には、
「また二学期ねー」と娘たちはクラスメイトに笑顔でバイバイしただろうに、二学期を開けるのを待つ事なく、逃げるようにして次のアパートに引っ越しをしました。
異例なことで、担任の先生には大変ご迷惑をおかけしました。
庭の畑は、夏野菜が日に日に大きくなって、たった二つの苗だったミニトマトやきゅうりは、わたしの背丈くらいの大きさになって、丁度収獲が全盛期の時期でした。
その畑たちを横目に、慌てて荷物をまた梱包しました。
3月に越してきて、ものの5ヶ月の生活でした。

同じ通学区の中では空いているアパートで、尚且つ私の収入で貸してくれるアパートはなかったので、隣町の地区になってしまい、娘たちは訳がわからないうちに転校になりました。
これで、アカネは三つ目の小学校になりました。

フサコさんと父親には、引っ越しをする直前に引っ越しをする話をしました。
そんなに引っ越したら、引っ越し貧乏になるからやめとけと言われましたが、もう私の頭には他の選択肢はありませんでした。

いいなと思ったら応援しよう!