靴下のかたっぽがみつからない ⑳ミズキさんとユキコさんとわたし
離婚をして、最初に住んだのは、知り合いの人の空いてる家のワンスペースでした。
その方は、わたしの朝から仕事をしていた先のお客さんで、新聞とかで私の育児サークルの活動を知ってくれていて、わたしの顔を見れば応援してくれるような方でした。
使っていい部屋を提供してしてくれて、低家賃で住まわせてもらいました。
電化製品はなくてリサイクルショップでかき集めましたが、タンスなどの家具はそのままあり、自由に使ってくれていいよと言ってもらえました。
本当に感謝です。
初めての3人暮らしですから、慣れるまで戸惑うことが多かったです。
中でも1番大変だったのが、アカネの小学校の送迎でした。
離婚して間も無く、しばらくその安い家で住んでいましたが、住所はアカネが通っていた小学校の学区外にありました。
わたしはまだ身のふり先が決まってなかったので、通学区外の許可申請を出して、もともと通わせてた小学校にそのままアカネを通わせていました。
結果的には転校を繰り返してアカネは四つの小学校に通ったので、この時転校させず無理してでも学区外として通って本当によかったです。
けれど、それが想像以上に大変でした。
離婚したのは秋で、すぐに雪の季節になりました。
住んでいたところは田舎ですので、除雪車は間に合いません。
道も恐ろしく混みます。
いつだか、片道アカネを送るだけで2時間かかってしまい、そのあとアオイを保育園に送ります。
もうお昼近いわけです。
わたしの仕事もあります。
全然生活が、追いつかなくなってしまいました。
すぐに保育園のお迎えの時間になり、アカネの小学校のお迎えの時間になります。
たまたま一日だけ雪が降ったわけでなくて、一度天候が悪くなると何日か続きます。
そもそも雪はすぐに解けないですから、しばらくそんな生活が続きます。
先の見えない不安とストレスから、ある日
「これはもう無理だ」
となりました。
また片道2時間かけて行って、2時間かけて帰ってくるのか?と、限界を感じてしまいました。
普通なら30分程度の距離です。
空いてたらもっと早いです。
その日はアカネは小学校の近くのお友達の家にお邪魔させてもらっていました。
ミズキさん家です。
ミズキさんとはそれまでも、一緒にランチしたりプライベートでも、そのお家にはお邪魔させてもらったことが何度かあって、仕事も紹介してもらったりと、すごくではないけれど、ある程度親しい仲のお母さんでした。
と、勝手に思っていました。
これはもう、「甘えてみよう」と、離婚して始めて人に頼ってみることを思いました。
思い切って、「どうにもならないから、今夜アカネをそのまま泊めさせてくれないか」と図々しいお願いをしたのです。
本当に非常識な親でごめんなさい。
すると、断られてしまいました。
流石にそうですよね。
でも、申し訳ないことにミズキさんは少し気を遣ってくれて、ミズキさんの家より少し行きやすい道までアカネを連れてきてくれたのですが、
それもまた道が混んでいてかなり待たせることになってしまいました。
ミズキさんも生活があったでしょうから、とても迷惑をかけてしまいました。
やっと着いたー
ほんとごめんね、無理いっちゃって
この地域の雪すごいね、本当に困ってて、、
慌ててわたしは言いました。
すると、ミズキさんは、わたしの言葉をさえぎるように、
「アカネちゃんに、『お母さんが来れないから今夜お泊まりできる?』って聞いたら『帰りたい』て言ったよ。その後もアカネちゃん心細そうにしてたよ。もっとちゃんとアカネちゃんを見てあげて」
と、最後はミズキさんの目から涙が出そうになっていました。
私は、そうだよね。ありがとうね、本当に助かったよ、みたいな言葉をいって、帰りまた時間をかけて帰りました。
ミズキさんの目がしばらく忘れられませんでした。
私、そんなに酷いお母さんだったのか。
そんなに酷いお母さんに見られてるのか。
きっと、日頃からあれ?って思われてたのかもしれません。
私は無意識に、何か人と違うことをしてしまうみたいなので。
本当に困って、非常識とは分かっていても甘えてみたら断られて、挙句に子育てのダメ出しをされて、人に甘えるとこういうことになるのか、と痛感しました。
別にミズキさんが酷い人ではないのです。
むしろミズキさんはちゃんと温かい目で見てくれてたわけですし。
私がズレてることを言っただけで。
そうかと思えば、アカネがインフルエンザを我が家に持ってきた時のことです。
案の定、アオイがうつり、私ももらい、3人が寝込んでいると、ユキコさんというお友達ママさんが、簡単に食べられるものを買って、そっと置いて行ってくれました。
本当にそっとです。
その気の使い方がとても上手で、なんで素敵な人なのだろうかと、一生ユキコさんのファンクラブに入会する決意をしました。
困って助けてほしくても、助けてもらえない、
言わなくても助けてくれる人がいる、
ユキコさんもミズキさんも、とてもいい人たちです。
そんな大変な思いもしたよなと思っていましたが、この前家で何気に昔のCDを聴いていたら、アオイが涙目で、懐かしいと言ってきました。
そのCDの中に当時アオイが好きで、よくかけていた曲があって、感激したそうです。
そしてアオイが
「あの時は大変だったよね、雪がすごくて、全然動かなくて、知らない人がお母さんの車押してくれたよね」
と、言ってきました。
そうなんだよ覚えてるの?保育園でまだ小さかったじゃないと、言うと
「覚えてるよ、本当にあのときは大変だったもんね」
とアオイが言っていました。
運命共同体がここにもいました。