靴下のかたっぽがみつからない ㉓社長と奥さんとわたし
新しい職場では、入社当時は、日中は、社長と、その奥さんの三人で事務所にいることが多かったです。
現場仕事に男性社員が1人、社長の息子さんが1人いて、その2人が現場で仕事をして、帰ってくると書類を作成します。
私は、その書類を受注先に郵送したり、行政に提出したり、納品書請求書の発行、日々の電話対応、現場2人のスケジュールの管理をしました。
30歳すぎにして、初めての正社員雇用でした。
社長の奥さんは、事務所に2人だけになると、今まで歴代の事務員さんの辞めていった話を武勇伝のように、スラスラと話をしてくれました。
「前に居た子は、短いスカートを履いてたのよ」
と言われると、そーかそーか、スカートの丈は気をつけよう、と学びます。
「飾りのついたボールペンをつかって仕事してたのよ、遊びに来てるみたいだったわ」
と言われると、そーかそーか、モチベーションを上げるために可愛いボールペン使おうと思ってたけど、それはアウトなのか、と学びます。
「仕事はつまらなそうなのに、空いた時間に自分の車を洗っていいよと言ったら、率先して家から長靴をもってきて、びっくりしたわ」
と聞くと、そーかそーか、奥さんの話を間に受けちゃいけないのか、と学びます。
奥さんの愚痴は果てしなく、泉の水のように、どんどん尽きることなく溢れてきますが、私はこの会社のルールと答えを聞いている気がして、とても勉強になりました。
奥さんは、自分の話しは凄くするのに、私が話をすると、すごく嫌な顔をします。
そこでも、学びます。
そうか、言葉は慎んだ方がいいのかと。
一方仕事の内容は、ポンコツどころではありませんでした。
電話応対はしたことがないので、受話器をとっても頭の中はパニックです。
先方がなんて名乗っていたのかなんて、1文字も頭に入っていませんし、とにかく耳での情報を取り込むのが1番苦手だったので、電話応対はかなり苦戦しました。
「かしこまりました、少々お待ちください」
そう言って、すぐに奥さんに電話を回します。
誰から?と聞かれても、分からないです!といったポンコツぶりです。
小学生の頃から勉強をしてこなかったせいか、字も恐ろしく汚いです。
極端に小さく、自信がないので誤魔化そうとして、妙に丸みがあって、線も細く、一文字一文字の間隔がやけに開いています。
パソコンは会社にあるけれど、かなり字を書くことが多くなりました。
それはもう、神経を全部使って一文字ずつ集中して書きます。
郵便物で、手書きのものがあれば、知らない人の字をこっそり真似をして書いてみます。
そうか、ここの漢字のバランスはここでとるのか、と、これまた勉強になります。
こっそり会社のコピー機で、字の練習するページを何枚も印刷して、一日一枚書き方を練習したりしました。
本当に字の綺麗な人って、素敵ですよね。
電話は本当に苦労しました。
受ける電話はもちろん、会社の取引先に定期的に電話をして、アポとらなければいけません。
少し営業めいた仕事になります。
会社名を言うだけで、
「あーはいはい、いつものね」
と言ってくれる会社さんもいれば、
「なんですかそれ」
と、初めて聞きましたけど?テンションで対応してくれる方もいて、その度に、一から全部話をします。
担当の方がいなくて、再度電話するところ、
確認の電話をするところ、
検討中の会社さんへ再度電話するところ、
私の頭の中は、
「あれ?ここに電話したんだっけ」
と、訳が分からなくなってしまいます。
本当に言いたい。
日本全国の企業さんに強く言いたいです。
屋号をもっと分かりやすくしてください。
ペンション〇〇は、名前がかぶるし、ホテル〇〇の地名を混ぜ込むのも辞めてほしいです。
絶対似たような名前があります。
〇〇ホテルなのか、ホテル〇〇なのか、似たような物件が多くて、本当分からなくなるのです。
と、言うわけで、私は取引先毎に、一枚ずつ手書きでメモ書きを作りました。
「何年、何月、何日、何時、電話した、担当〇〇さん、快く承諾、何日にアポ取れる」
と、簡単なのものです。
そうすると、半年後なりまた電話をするときは、あー担当のこの人はスムーズに対応してくれる人だ、
と、私も安心して電話が出来ます。
逆に、何度連絡しても担当者と噛み合わないと、
「何月、何日、何時、電話する不在」
というメモ書きはどんどん増えていきます。
乱暴に応対をしてこられる方や、過去にトラブルがあったところは、要注意です。
電話がつながりやすい時間や、相手の希望する日程のクセなんかも書いておくと、次また電話をするときはとても助かりました。
そのうち、そのメモ書きには、書類を送った日、請求書を送った日、入金があった日、問い合わせがあった内容など、細かく書いておくようになりました。苦手な電話が鳴って対応するときに、ぐんと役立つことが分かりました。
「その書類でしたら○日に郵送に出しました」
と、すぐに返事ができますから。
こうして、世にも恐ろしいメモ魔が誕生しました。
10年でそのバインダーは電話帳よりも厚く、重くなりました。
失敗も多々ありました。
言った言わない、聞いてないといった類いが多かったです。
「〇〇に何時に、〇〇をこうしたやつを届けて、そのあと、〇〇不動産に請求書を送って」
と一気に言われてしまうと、全部聞き取れなくて、絶対どこか一つ抜けてしまいます。
慌ててメモを取って、確認をするのですが、そんなのは相手にしてもらえません。
「ナツゴロウくん、ホウレンソウだよ」
と社長はいいますが、じゃあ確認させてください、となると、現場で仕事してる人からしてみると、早くしてよとなるわけです。
案の定、最後のひとつがやれてなかった、とか、聞き間違えがあって、全然違うところに届けようとしてみたり、
はたからみたら、
「え?!?!」
ということを、分からなすぎてさらっとしてしまうのです。
そんなポンコツぶりなので、とにかく社長によく怒られていました。
(たまに機嫌が悪くてこれは八つ当たりだな、と思うこともありましたが)
怒られパターンは大抵、
「ナツゴロウくん、料理というものは、料理をしながら野菜は切らないだろう。何を作るか決めてから料理を始めるだろう。」
といってきます。
話の内容が抽象すぎて、全く頭に入りません。
いつだか、よっぽど私の思考回路が意味不明に思えたそうで、
延々と怒られたあと、
「ナツゴロウくんの今までの人生、一体何を考えて生きてきたんだ」
みたいな、人生観まで怒られ、そうなると私もフサコさんに育てられた幼少期にまで、気持ちは遡ってしまいます。
なんだったら、フサコさんを育てた親にまで気持ちは遡ってしまいます。
涙は止まらなくて、唯一一度だけ、仕事にならない程泣いてしまって帰った事がありました。
他の従業員からも、嫌と言うほど怒られました。
注意を通り越して、キレられてました。
その方は仕事は丁寧で、かなり神経質なほどきっちりこなす仕事ぶりでしたから、私の雑な仕事ぶりは、さぞかし苦痛だったのでしょう。その方の指摘は反論できないほど、正確で、何から何まで怒られました。
でも、すごく大事に育ててるもらっている感じはしました。
社長の息子さんとは、ビックリするくらい馬が合いませんでした。
「馬が合う」とは、馬と乗り手の息が合う様子からできた言葉だそうですが、息子さんとはそもそも、どっちが馬役をするのかきっとそこからケンカになるくらい、性格が合いませんでした。
入社して間もなく、妖怪のあだ名で呼ばれたりして、嫌だなぁこのひと、と思っていたのですが、向こうは向こうでストレスがあったみたいで、一気に怒られた事がありました。
もちろん反論できる訳がありません。
目に涙をためて、下を向いていた私に、その一連を知らない社長が、満面な笑みで、ふらふらっと私の方に来ました。
そして、嬉しそうに解体されたボールペンの芯を見せて
「ナツゴロウくんみて。ボールペン最後まで使い切ったよ」と、自慢げに言ってきました。
その、くったくの無さに、あぁこの人が社長をしている間は、辞めないで頑張ろうと思いました。
また別の日、相変わらず社長に延々と怒られて、そのすぐ直後に社長宛の電話がきました。
「少々お待ちください」
といって、内線ボタンを押して受話器を置いたつもりが、ボタンが押せてなくてそのまま切れてしまいました。
思わず、
「あ、切っちゃった!」
と、声が出て、ふと振り返ると社長がわたしの真後ろで顔を真っ赤にして怖い顔で立っていました。
こんなホラーな話、そこらへんの都市伝説よりも怖い話だと思いませんか。
そんななので、慣れるまでまたもや私は、ハルちゃんに電話をして、泣きつく日々が続きます。
ハルちゃんが忙しくて電話に出てくれない時は、帰宅ラッシュの隙間で見える綺麗なオレンジ色の夕日を見ながら、またビービーとビチャビチャになりながら、泣いて帰りました。