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体型コンプレックス肥満児

私は、幼い頃からぽっちゃりしていた。

どの写真を見ても、周りのみんなと比べてひと周りもふた周りも大きい子どもだった。


親戚中どこを見渡しても肥満と呼ばれる体型の人は見当たらず、父は筋肉質な普通体型、母はすらっとした痩せ型だ。

あえて言うなら、父方の祖母がぽっちゃりと言える。

薄い顔もその祖母譲りなので、これはDNAを引き継いだ結果なのかもしれない。



しかし、しかしだ。

どう考えても、当時わたしは太りすぎていた。


小学校3〜4年が特にピークで、身体測定での肥満度は平均を有に超え常に「肥満」の烙印を押されていた。

はっきりとした当時の体重は覚えていないが、その頃の写真を見ると目を塞ぎたくなるほどの二重顎でずんぐりむっくりである。

おまけに一重瞼の薄いのっぺりとした顔。

百歩譲っても、全く以ってかわいくないのだ。

それに加えて身長も昔から学年で1〜2番目に高かったので、どこにいても何をしていてもいやに目立っていた。



わたしは、自分の体型が大嫌いだった。

どんなかわいい服を着せてもらっても、肥満体型なのでちっとも自分がかわいいと思えず、服が可哀想に思えていた。


当時はまだブルマが存在した時代(途中から短パンに切り替わった)。

一番キライな体育の時間に一番キライなパーツの太ももを丸出しにしないといけなかった。

走るのも一番遅く、運動神経は皆無。

わたしほど運動会が憂鬱に感じていた小学生もいないと思う。

ピチピチの水着着用での水泳の時間はさらに地獄だ。


ちょっとつねってみるとぷくぷくの水玉のような脂肪が浮き上がる太もも。

ムチムチで両太ももの間にスペースがないので、年がら年中股擦れを起こしていた。

集団登校の時は、前を歩くみんなの細いふくらはぎが羨ましくてずっと見ていた。



決して責めるわけでもないし、今となってはどうってこともないのだが、祖母のDNA以外に考えられる原因は、母だ。


わたしはミルクが大好きで欲しい分だけ与えてくれたらしいので、毎日1リットルものミルクを飲み干していたそうだ。

おかげで、人生で一度も骨折したことがないので、それは感謝を送りたい。


彼女は、とてもわたしの母とは思えないほど痩せている。

顔も似ていないので、実母じゃないのよと言われたら信じたかもしれない。

身長は165cmで、昔はバレーボールをやっていた。

どんな人からも「細っ!!」と言われるほど、スリムでシュッっとしているのだ。


痩せ型の母は、常にわたしたち姉妹に「いっぱい食べな」と言っていた。

食事は基本的に大皿から好きなだけ取って食べるスタイルだったので、文字通り好きなだけ食べていた。

母や家族も制限をかけないので、わたしはいつもお腹いっぱいになる量を食べ続けていたのだ。


母が子どもの頃はあまり裕福ではなかったようで、いつも周りに遠慮しながら食べていた背景があるようだ。

せめて自分の子どもには目一杯与えたいと、食べ物に限らずたくさんの物を与えてくれた。

「これ買って」とお願いして、ダメだと言われたことが一度もなかった。


が、ぶくぶく太っていくわたしを流石に見かね、母はわたしに漢方薬を勧めるようになった。

副作用がないのが漢方薬の魅力の一つだ。

母は、成長期のわたしに差し支えのない範囲で体重を落としてくれようとしたのだと思う。

もうありとあらゆる、謎の漢方薬をたくさん試した。

蟻を潰したものや奇妙な根からできたものなど、うちには謎の漢方薬がずらりと並ぶようになり、毎食後にそれらを飲む日々が続いた。

昔は基本的に「Yes」と答える素直な子どもだったし、わたしも自分の体型が大嫌いでコンプレックスを抱えていたので、言われるがままに飲んでいた。


その効果は徐々に表れ始め、二重顎がちょっとずつちょっとずつ小さくなっていったのだ。

わたし自身も、少しずつ軽くなる体の感覚がとても嬉しかった。

それでも普通体型にはならず、「肥満」が「やや肥満」になったレベルだった。



私はおそらく、この頃から母に自分の体重を公開したことがない。

母どころか、誰にも知られたくない。

通知表には毎度ご丁寧に身体測定の結果が記されていたのだが、そこだけ付箋とテープで厳重に隠してから見せていた。

母ははじめ「隠さないでよ、見せてよ」と言ってきていたが、わたしは毎回頑なに拒み、遂に諦めてくれたのだった。

成績ならどの教科も優秀でいくらでも見せられたが、わたしの通知表から不動のコンプレックス付箋が消えることはなかった。


子どもながらに、我が体重は墓場まで持っていくと決めていたのである。


年頃になり、スポーツブラは4年生からつけ始め、5年生の時に初潮がきて生理が始まった。

体の大きさは関係ないと言うが、周りでおそらく一番にブラもつけたし生理になったので、わたしが大きいから成長が早いのだろうと思っていた。


林間学校や修学旅行では、大浴場にみんなで入るという地獄のルールが強いられた。

それだけで不参加を希望しようかと思ったほど、わたしには受け入れがたいものだった。

女子みんなの前でこの体をさらけだすなんて、冗談じゃない。

ちょっとでもみんなの目線が、むちむちの太ももやお腹に向かおうもんなら、その後その子たちと今まで通りに話せる自信がない。


すでに生理が始まっていることをいいことに

「生理なので個別で入りたい」

と申し出て(おそらく母に伝えてもらったが)、どちらともひとりで入浴する許可をもらったのだ。



中学に入り、私の二重顎は再び現れはじめた。

”思春期”と呼ばれる時期の女子は、心も体も変化が激しい。

高校までの学生期間は、そんな感じでずっと体型コンプレックスだった。


短大に入り、私服通学になってからは徐々にコンプレックスが薄れていったような気がする。

好きな服を着られるし、大学には色んな人がいるし、広い世界に出るようになってからはあまり気にせず過ごせるようになった。


そんな短大時代の終わり頃。

期間限定でバレンタインチョコの販売員のバイトをした時に、高校の同級生にばったり会った。

高校時代しばらく一緒に行動していたが、卒業後は別々の道を選んだのもあり連絡が途絶えていた。

再会の挨拶もそこそこに、彼女は私にすがる様に

「来月辞める子がいて、人員を募集している。就職決まってないなら是非来て欲しい!」

とお願いしてきたのだ。

もう卒業直前の2月というのに、何の希望もなく就活すらしていなかった私にとって、タイミングの良すぎる再会だった。




美人な彼女が働いていたのは、インフォメーションカウンター。

”百貨店の顔”、昔でいうエレベーターガールのような華のある仕事だ。

働いているスタッフはみんな痩せ型でスタイルが良くて美人で、私にとっては高嶺の花すぎて恐れ多く別世界のように思えた。


しばらく考えたが、「これも何かの縁だろう」ということで、意を決しチャレンジしてみることにした。


ばったり再会した友人の紹介で就職した私。


気づけばチーフになっていて、最終的にはなんと10年も勤続した。

私は20代丸々、百貨店の「顔」として働き続けたのだった。

お客様からもったいないほどのお褒めの言葉を頂戴し、私も楽しく働き続けていた。

実は自分がこの仕事にかなり向いていたことに気付くのに、あまり時間はかからなかった。



人前に立つ仕事というのは、自分の意識をも変えてくれる。

特に百貨店はルールや姿勢にとても厳しく、常に背筋をピンと伸ばして1日中笑顔で立っている仕事だ。

何もしなくても、入社当初より少しずつ体重が減っていった。

”たくさんの人に見られている”という意識と、”こう見られたい”という意識のケミストリーにより、自分が変わっていくのを実感した。


途中、大好きだった母方の祖母を亡くした直後にまったく食欲がなくなり1ヶ月で6kg減った時には生理が半年間止まり、毎日立ち眩みがしていた。

精神的には辛かったが、みるみる体重が減っていくのを少し嬉しくも思っていた。


20代以降の私の体重の変化は凄まじく、今までに+-20kgは増減している。


ニュージーランドへのワーホリから始まり、1年間様々な国を転々としていた時がピークに太っていた。

最後はイタリアで3ヶ月過ごし、毎日おいしいピッツァやパスタ、スイーツなどを食べていたおかげで一気に激太りして丸々のフォルムになった。

恐すぎて体重計に乗れなかったのでわからないが、体感で言うと70kgは余裕で超えていたと思う(身長は162cm)。


当初持っていた服たちはサイズアウトし、ほぼ全て買い直しほどだ。

主食が米でなくなると、西洋人とはつくりが違う日本人の胃は対応し切れなくなるのを実感した。


その1〜2年後のコロナ禍では逆に激痩せし、40kg台半ばほどになった。

痩せようと食事制限をしたわけでもないのに、何故か自然と全身から肉がなくなり、一番オシャレを楽しんだ時期かもしれない。

みるみるうちに自然と減っていくのが面白くて、毎日体重計に乗るのが日課になっていた。

しかしいい事ばかりでもなく、鎖骨が浮き出てほうれい線が目立ちすぎていた。


会うたびに太ったり痩せたりするのに友人たちは慣れてくれて、今は「太った?」「痩せた?」と尋ねる人は誰一人いない。


百面相ならぬ、百体相なのだ。


海外に出始めて驚いたのは、アパレルショップのサイズの豊富さ。

日本で買い物をしている時には見たこともなかったサイズのラインナップだ。

オーバーサイズと呼ばれる大きなサイズまで、ごく普通に存在している。

日本ならボトムは確実にLサイズ以上の私が、こちらではSサイズでちょうどいい。

未だに慣れない、人生初のSサイズの私である。




外国人は、他人の体型を決して話題にしない。

褒める時は、着ている服やアクセサリーがその人に似合っている、という表現をする。

日本では褒め言葉として「肌が白いね」「鼻が高いね」「細いね」などの表現が使われるが、外国でそれらを使うのは絶対に辞めてほしい。

何故なら、その言葉たちは彼らを褒めるどころか傷つける可能性があるからだ。


「美の基準」というものは、狭いコミュニティの中で無意識に設定されるものであって、全世界共通ではない。

痩せているのが羨ましいと思っていたわたしと逆の、痩せていることがコンプレックスの人だって沢山いるのである。


これまでの経験を元に出た結論は、

「その体型が、自分にとって心地いいかどうか」

が、何よりも大切だということ。

自分の体型を誰かにジャッジしてもらうのではなく、自分のフィーリングを最重要視することである。



あんなに体型コンプレックスだった私が、今や体重計すら持っておらず、数字を全く気にせずに生きている。

体の感覚が、ベストな体の重さを教えてくれる。


今なんて、「ちょっとぽっちゃりした自分」が一番私らしくて好きになっている。

痩せ体型も体験したが、やはり私にはちょっと肉があったほうが心地良いし、笑った時に一番自分らしさが出るなと思う。


私個人的な好みが”健康的な肉感”だと気付くのに、30年ほどの年月を要した。


人からの感想ではなく、自分が自分に対する感想が何より大事。

SNSのコメント欄と同じく他人は好き勝手言うものだし、感想も好みも十人十色で当たり前だ。



唯一無二の愛おしき自分の体を、他人にジャッジさせないでほしい。

「他人と比べて◯◯」など、何の意味も成さない。


比較は、心底無意味なものなのだ。



”自分が好きな自分でいることが最高の笑顔で過ごせるコツ”だと、声を大にして言いたい。

そして、変化しまくる体型なんかで人の価値は決まらない。

みんな愛されるべき、尊い人間なのだ。


あのぶくぶくに太っていた幼いわたしを、思いっきりハグしてあげたい。


痩せたり太ったりたくさん変化をしながら、将来あなたはまるっと自分を愛してあげられるようになる。


百体相の、Natsumiより。

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