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別れを告げた半身を探して【長編小説|完結済】

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私たちは、かつて神に引き裂かれた半身を探している。
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記事一覧

【長編小説】(1)別れを告げた半身を探して

 オイル缶の中で燃えるゴミ屑の焚き火で、兄のヒレ肉が焼かれている。死体から無造作に切り出された肉片はそこらで拾ってきたような木の枝に刺さっていて、炎が撫でた部分から鮮やかな赤を白く変色させていく。子供の肋骨の内側の肉は小さい。切り出された時は大人の手のひらほどの大きさだったそれは、こんがりと焼ける頃には半分程度まで縮んだ。  薄暗い路地裏のスラムで身を寄せ合って生きてきた実の兄が殺され、バラされ、ヒレ肉を取った残りが腐臭漂う埃っぽい道に放り出されているというのに、アレックス・

【長編小説】(2)別れを告げた半身を探して

 今年で発効百周年を迎える復讐等施行基本法の始まりは、長く続いた戦争で疲弊したこの国が国民を見放した瞬間にある。国土の全てが破壊され、政治も司法も経済も焼け跡から裸足で歩き出さねばならないと言う時、個人の奪い奪われにまで構っていられないと言うのが本音だったのだろう。時の政治家は「犯罪者が法で裁かれたところで、奪われた者の気持ちは晴れ上がったりしない」などと被害者心理に寄り添ったようなことを言ったけれど、要は自分のことは自分で何とかしろと言う話だ。  奪われたのなら奪い返せ。因

【長編小説】(3)別れを告げた半身を探して

 依頼のあった復讐の被復讐者が住む豪邸の正門をくぐると、長いアプローチの四方八方から武装した男たちが迫ってきた。”圧縮屋”はため息をついて、両手をオーケストラの指揮者のように揺らす。その動きに連動して圧縮されていく男たちが血飛沫を撒き散らす姿はワルツでも舞っているよう。  ・復讐等施行基本法第五十三条 管理庁によって承認された復讐を、何人も妨げてはならない。  ・同法施行細則第二十七条 復讐代行者は、請け負った復讐を妨げる者が現れた場合、必要に応じてそれを退けることができる

【長編小説】(4)別れを告げた半身を探して

 商品の切花の間に埋もれるように置いたテレビから、忙しない様子のニュースキャスターが速報を読むのが聞こえてくる。この町のとある豪邸で事件が発生したらしい。電話で依頼のあったブーケを作りながらキャスターの声に耳を傾けていたアロン・コスミンスキーは、その豪邸の場所を聞いたところでハサミを取り落とした。 「ちょっとこれ、オルガちゃんが配達に行った家じゃない」  思わず溢れた独り言に、品物のドライフラワーを見ていた店員が怪訝な顔で振り返る。大柄な筋肉質の男が女性のような裏声を発し

【長編小説】(5)別れを告げた半身を探して

 街を抜け、住宅地を過ぎ、打ち捨てられた家々が並ぶ廃墟地帯。そこにポッカリと空いた更地の宙を、景色が微かに揺らいでいる。店長に「家に飾りなさい」と渡された一輪の青い薔薇を手にしてオルガがそこへ踏み入ると、とっぷりと水の鏡でもあるように彼女の姿が消えた。彼女の能力によって更地に偽装されているその場所は、打ち捨てられた私立文庫だった。  高い天井に届くひび割れた窓。壁をびっしりと埋める本棚には埃を被った古いハードカバーがぎゅうぎゅう詰めになっている。床には粉々に砕けたガラス片が散

【長編小説】(6)別れを告げた半身を探して

 生まれた瞬間の赤子は、産声と共に超能力を発動する。赤子は自らの意思を持たない。本能のまま声を上げ、四肢を伸ばし、生まれ持った能力を使うのだ。その能力を正確に判別するため、産婦人科医院には、必ず国の超能力鑑定士が配属されている。  判別された能力は超能力者を管理する専門機関・異能管理庁に報告され、そのデータベースに登録される。つまり、この国に住む全ての人間の能力データが、国によって管理されているのだ。  政府が運営する情報公開館に向かって、ミシェルは人通りの少ない平日の大通り

【長編小説】(7)別れを告げた半身を探して

 十階建ての真四角で無機質な施設の中には、中央省庁全ての情報公開ブースが詰め込まれている。正面玄関の自動ドアをくぐったミシェルは急いでフロア案内に目を通し、目的地を確認するとエレベーターに飛び乗った。  七階西側が異能管理庁のブースだ。利用者が少ないためか他の省庁より狭いスペースに、必要最低限のファイルと検索機械が置いてある。眠そうにしている受付の女性に検索方法を聞いている間、ミシェルとスタンレー以外の利用者は現れなかった。  タッチパネル式の検索機に指を走らせる。特定の超能

【長編小説】(8)別れを告げた半身を探して

 真っ暗の中で目覚め、瞼を動かすと白く霞んだ細長い世界が見えた。ゆっくりと眼球が役目を思い出し、重い瞼が反射で開くと、水底から空を見上げたような青があった。目の前を鰭が発達した古代魚が緩やかに泳いで行ったところで、アレックスはようやく事態を思い出す。  飛び起きると、随分昔に打ち捨てられた私立文庫の埃っぽい空気が肺を満たした。人間の営みから切り離されて久しい、眠りと停滞と荒廃の匂い。初めて来た場所なのになぜか懐かしさを感じさせる、暖かくも冷たく、寂しい場所だ。  どこか夢心地

【長編小説】(9)別れを告げた半身を探して

「被復讐者が炭になるから”炭焼き”は発火能力者だと言われてるけど、その復讐代行を目撃した人は誰もいないから、必ずしも火によるものとは限らないと思うの」  大通り沿いのカフェのテラス席で、ミシェルはミディアムレアの分厚いステーキにナイフを入れた。ステーキに厚切りのバケット、クリームスープにサラダボウルと魚介のフライというランチにしては胃もたれ必至のメニューをスラスラと飲み込んでいく彼女に、スタンレーが苦笑いを取り繕う。 「発火能力者が存在しなくても、”炭焼き”が存在している

【長編小説】(10)別れを告げた半身を探して

 ハロ・テクノロジーズ  この国の軍需産業の十パーセントを占める大手企業の本社ビル正面玄関に淀みない足取りで進んでいくスタンレーの手を取って止めると、子供のようなキョトンとした顔がこちらを見下ろした。 「ちょっとあなた、何で普通に入って行こうとしてるのよ」 「自分の会社に入っちゃダメなんですか?」 「自分の……ああ、あなたここの……職場に来て一体何しようっていうの」 「手すきの部下を集めて聞き込みに行かせます。あと、マーケティングに使っている人工知能にネット上を探させようか

【長編小説】(11)別れを告げた半身を探して

 復讐代行のために訪れた高層マンションの一室で「お父さんを殺さないで」と足元にまとわりつく子供を苛立ちと共に足蹴にしたアレックスは、壁際で尻もちをついて失禁している中年男性に向けて手をかざした。今回のターゲットであるこの男は製薬会社の主任研究員で、成果欲しさに攫ってきた子供で人体実験をしていたという。薬漬けにされた子供の中に人権団体の代表の娘がいたことが運の尽きで、今、彼は復讐の対象として殺されようとしている。  アレックスの感情はささくれ立っていた。ようやく見つけ出した最強

【長編小説】(12)別れを告げた半身を探して

 認知症が進んだ老夫婦の家の屋根裏部屋が、アレックスがいつも寝床にしている隠れ家だ。  まだ彼が今ほど強くなかった頃、重傷を負って力尽きたのがちょうどその家の前だった。石畳の上に血まみれのボロ雑巾のように倒れている彼をなぜか自分たちの孫だと勘違いした老夫婦に拾われて、以来この場所を拠点としている。平和な表社会を生きる彼らに危険が迫ることはないが、一応何かあった時は守ってやろうと思っている。  今日も”圧縮屋”としての自分を見た者を皆殺しにして(と言っても、復讐代行には隠密行動

【長編小説】(13)別れを告げた半身を探して

 ハッとして目を開けると、埃っぽい梁の木目が見えた。屋根裏部屋の、三角の天井。空に面した窓から差し込む朝日が、室内を舞う埃を白く照らしている。  ああ、いつもの目覚めだ。いつもの屋根裏部屋、いつものカビ臭いベッド、窓際の萎びた観葉植物と描きかけの油絵。  目覚めの悪い夢を見た。脳内で未だ再生され続けている崩壊の感覚と目の前の静かな朝のアンバランスに眩暈がしそうだ。こういう日は丸一日寝るに限る。アレックスは持ち上げかけた頭を枕に落としたが、視界の隅に入ったものに驚き飛び起きた。

【長編小説】(14)別れを告げた半身を探して

 アレックス・ペダチェンコは”炭焼き”ではないという事実に至ったミシェルが次の一手を探しあぐねている様子だったので、スタンレーは異能管理庁が持っている情報の中にきっかけを見出すことを提案した。そんなものを見たところで何になるかわからないが、寄る辺ない様子で立ち尽くす彼女に何とかして元気を戻したかった。  軍需会社の経営者の家に生まれ、その手の開発関係に明るいスタンレーにとって、セキュリティーがザルの中央省庁の極秘データベースへのハッキングなど朝飯前よりずっと前だ。彼の提案を難