【長編小説】(10)別れを告げた半身を探して
ハロ・テクノロジーズ
この国の軍需産業の十パーセントを占める大手企業の本社ビル正面玄関に淀みない足取りで進んでいくスタンレーの手を取って止めると、子供のようなキョトンとした顔がこちらを見下ろした。
「ちょっとあなた、何で普通に入って行こうとしてるのよ」
「自分の会社に入っちゃダメなんですか?」
「自分の……ああ、あなたここの……職場に来て一体何しようっていうの」
「手すきの部下を集めて聞き込みに行かせます。あと、マーケティングに使っている人工知能にネット上を探させようかと」
「会社のものをそんな私的に使っちゃダメでしょう?」
ため息をついて「上司にどやされるわよ」と続けると、何かを思案したスタンレーがパッと笑顔を浮かべて、
「大丈夫です。僕に上司はいませんから」
あっけらかんと言い放った。
すんなり入場を果たした社内で一歩踏み出すたびに向けられる挨拶に居心地の悪さを感じながら進んでいく。最上階の重厚な扉を開けるスタンレーに続くと、窓際の高級そうな木製デスクの上に”最高経営責任者 ニコ・スタンレー”と書かれたプレートが見えて、ミシェルはあんぐりと大口を開いた。
「え?あなた……え?CEO?」
「あれ?言ってませんでしたっけ。ここは僕の会社です」
「そんなの一言も聞いてないわよ!」
「それは申し訳ありません。言い遅れましたが、僕はここのCEOです。まあ、亡き父の後を継いだだけ何ですけどね」
歩き慣れた様子でスタンレーはデスクに向かい、内線でいくつか話をすると「あとは待つだけです」と部屋中心の応接セットのソファーに腰を下ろした。向かいの席へ促されたミシェルは、寄る辺なさを感じつつ革張りのソファーの端に小さくなって座った。
「いくら痕跡を消そうとしても、この社会で生きている以上何らかの足跡は残るものです。じきに圧縮屋は見つかりますよ」
「あなた、どうしてそこまでするの?」
出会ったばかりの赤の他人のためにここまでする理由がわからず、ミシェルは混乱していた。
「ああ、それは……」
瞬き一つすると目の前のテーブルにデスク上にあったはずのネームプレートが現れて、思わず仰け反ると「僕の能力です」とスタンレーが困ったように笑った。
「アスポート。簡単な物体送信が僕の生まれ持った超能力です。力は限定的で、目に映るものしか動かせません」
「え?ああ、そうなの」
「だから人や設備を使ってしかあんたをサポートできないんです。もっとすごい力があれば、いろいろとできたのですが……そういえば、あんたの能力は何ですか?」
「私?」
唐突に話題を振られ、抱いていた疑問が意識を逸れる。ミシェルは部屋を見回すと、過去視を使ってスタンレーの影を探した。
「……あなた、昨日の昼はそこのデスクでムーンバックスのパニーニを食べたでしょう?」
「えっ!どうしてわかったんですか?」
「私の能力。過去視よ。目の前の空間の知っている人の過去しか見れない……あなたと同じ、限定的な能力だわ」
「へえ……じゃあ、それで圧縮屋を探すことはできないんですね」
「ええ。何とか見れないかと思ってジョージが死んだ場所で目を凝らしてみたけど、彼を殺した犯人は見えなかった」
「もどかしいですね」
軽いノックの音がして、彼の秘書らしき人が入ってきた。黙って二人分のコーヒーをテーブルに置き、ペコリと一礼して去っていく。スタンレーに勧められて飲んだそのほろ苦さと一緒に、何かが胃の中へストンと落ちた。
「えっと、それで、あなたはどうして私にここまでしてくれるの?」
「はい?」
「出会ったばかりで、私はあなたが買ったジョージの店の今後にとやかく口を出した面倒な人間でしょう?そんなもののために部下を動かしたり、会社の備品を使って圧縮屋を探してくれて……どうして?」
「ああ、さっきのはそういう質問でしたか」
自分で言っておきながら不思議な気分だ。出会ったばかりの目の前の男を、今はなぜか同志のように思っている。自分の能力のもどかしさを理解し合ったからか。生まれ持った超能力は、いつも欲しいものまで届かない。
「僕は、あんたがたどり着く果てを見てみたいんです」
「果て?」
堅苦しいこの部屋に似つかわしくない、学生のような人懐っこい笑みが続ける。
「目に目を、罪には罪を、復讐には復讐を。そんなこの世界で最愛の人を奪われたあんたが、復讐をせずにこの物語にどうやってピリオドを打つのか。僕はそれが知りたい」
「単なる好奇心ってことね」
「……ええ、まあ……今はまだそういうことにしておきましょう」
含みのある物言いにミシェルが問いを投げかけようとしたら、先手を打つように「しかし、復讐されたあんたの恋人が、復讐されるような人間でないなどということはあるんでしょうか」と思考に視線を左右させるスタンレーが口にした。
彼はきっと、明るい世界を歩いてきた。有名企業を経営する親の元に生まれて、きっと何にも苦労せず、今も満ち足りた生活を送っているのだろう。真っ当な正解の道を進んできた彼は、世界の歪みを知らない。「あり得るわ」と言えば、当然のように不思議そうな顔をする。
「復讐等施行基本法が制定されて百年、改正の一つもされずにここまできた。そんなカビの生えたシステム、今の社会に合ってないのは当然だもの」
「そういうものですか」
「復讐法は、言わば合法的に人を殺す手段よ。制度に則り、申請が通ってしまえば誰もその殺しに疑問を抱かない。そこに穴があるのよ」
「穴?」
「最近、ジョージのような事件は増えてるわ。報道されてないけどね。きっと、復讐法を逆手に取って気に入らない人間を殺している奴がいるのよ」
「報道されていないようなことを、どうしてあんたは知ってるんです?」
「報道されないのはニュースを嗅ぎつけたマスコミに政府が圧をかけてるから。私は、その圧をかけられる側に
いる。だから知ってるの」
「ミシェルは記者なんですか?」
「いいえ、ニュース雑誌の編集よ」
ずっと変だと思っていた。荒唐無稽な話ならば政府が規制する理由はない。大衆に知れ渡っては困る何かがあるから規制するのだ。それをわかっていたのに見過ごした。自分には関係ない話だとたかを括っていたから。
あの時、事の真実を突き詰めていたなら。そこにあるかもしれない不正を暴き、社会を、制度を正していたならば、ジョージは死ななかったかもしれない。今日のランチも彼と一緒で、「ミシェルは本当によく食べるなあ」なんて笑われていたかもしれない。
ありもしない”もしも”を考えると、涙が溢れ出して立ち止まりそうになる。ぐるぐると回り始めた思考を打ち切り、ミシェルは目頭に力を込めた。過去しか見れない自分の能力に引き摺られて、過去ばかり振り返っているわけにはいかない。
「スタンレー、あなたに出会って、よかったわ」
考えるより早く言葉を口にしてしまった。誤謬を招いてしまう前に先を続ける。
「あなたにジョージのことを話さなかったら、きっと私は誰にも話さなかった。思いを自分の中に閉じ込めて、過去を悔やむばかりで何もせずに過ごしていたかもしれない」
「そんなことありませんよ。僕に出会うより前に、あんたは情報公開館に向かっていたでしょう?」
「でもきっと、そこで発火能力者を見つけられなくて諦めてたと思う。断熱圧縮なんて、私には思い付かなかったし」
「あんたの力になれたなら、光栄です。勉強はしておくものですね」
「ええ。ありがとう」
目一杯の笑顔を浮かべるスタンレーに、微かな違和感を抱く。『たどり着く果てを見たい』だなんて、そんな傍観者の好奇心のようなもののためにここまでするのだろうか。ここまで笑えるのだろうか。
ミシェルは違和感について少しだけ考えて、すぐに思考に蓋をした。きっと彼は私に一目惚れをしたのだろう。そんなくだらないことを夢想して、遠くて警鐘を鳴らす理性を見ないふりをした。
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