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【長編小説】(6)別れを告げた半身を探して

 生まれた瞬間の赤子は、産声と共に超能力を発動する。赤子は自らの意思を持たない。本能のまま声を上げ、四肢を伸ばし、生まれ持った能力を使うのだ。その能力を正確に判別するため、産婦人科医院には、必ず国の超能力鑑定士が配属されている。
 判別された能力は超能力者を管理する専門機関・異能管理庁に報告され、そのデータベースに登録される。つまり、この国に住む全ての人間の能力データが、国によって管理されているのだ。
 政府が運営する情報公開館に向かって、ミシェルは人通りの少ない平日の大通りを急いでいた。異能管理庁のデータベースにアクセスし、恋人を殺したパイロキネシストが誰なのか知るためだ。あの日、あの路地裏の空き地にいた警官は「未登録の能力者」などと言っていたが、きっと彼らの検索能力が低くて見つけられなかっただけだろう。この国に能力を登録されていない人間など存在しないし、存在しない人が人を殺すことなどできないのだから。
 この国に生きる以上、どこかに必ず足跡が存在する。何の痕跡も残さず生きていくことなどできない。それを探し出して、犯人の正体を暴く。そして真実を問いただすのだ。ジョージ・ラスクが死ななければならなかった理由を。
 猪突猛進。目的地のことしか考えず、ミシェルは真っ赤なパンプスのヒールでコンクリートを打ち鳴らす。「君らしい、素敵な色だね」と恋人が言ってくれたヒールが擦り減っていく。行手の横断歩道に赤信号を見て、立ち止まる場所を考えて彼女の視線が左右に揺れた中、角の雑貨屋の前に立つ男たちの姿を見た。
 恋人がもうどこにもいないと言う悲しみと、知らない誰かに大切なものを奪われた憎しみに、ジョージが大切にしていた彼の店がそこにあることも忘れていた。孤児として施設で育った天涯孤独の彼の持ち物が、彼の死後どうなるかなど考える隙間はなかった。
 自分が考えているよりずっと視野が狭くなっていた自分を、ミシェルは心の底から呪った。恋人の店の前に立つスーツ姿の男たちが、立地の良いその建物を壊した後のことを話していたから。
 スーツ姿の男たちの後ろで、作業服の人間が店内の品を段ボールに詰めて運び出している。ジョージが限られた資金の中悩み抜いて選んだ品だ。彼の宝物で、夢で、希望で、未来だった。今はもう、ガラクタでしかない。
 人通りの良いその場所にチェーン店の一店舗を建設することしか考えていないあの男たちは、ジョージの宝物を燃やすのだろうか。彼がそうなったように、真っ黒な灰の欠片になるまで。そんなことを考えるとミシェルの中に憎悪が湧きあがったが、作業中の店内に殴り込みに行く体力も、売却されたのだろう店を買い戻す気力も彼女にはもう残っていない。

「ここ、壊すんですか」

 捻り出した声は自身で思っていたより憔悴していて、ミシェルはこのまま消えてしまいたい気分になった。彼女の弱々しい声に、スーツ姿の男の一人が振り返る。

「ええっと、あなたは……」
「この店の元所有者、ジョージ・ラスクの恋人です」
「ああ、復讐されたという……」
「取り壊すんですか?」
 男の語尾を遮って彼女が再び訊ねると、周囲の視線が一同に彼女の方を向いた。居心地の悪い沈黙が流れる。
「……ジョージの……恋人の、大切な店だったんです。苦労して育って、ようやく夢だった自分の店を持てた。売っている雑貨はどれも彼が心を込めて選んだもので、大切で……」
 ならば自分で買い取れば良いだろうと言う声が聞こえて来そうで、ミシェルの声は尻すぼみになる。そう指摘されたとして、一介の月給取りである彼女にそんな財力はない。
「私、あの……ごめんなさい。お邪魔し、」
「あんたはここを壊してほしくないんですね」
 彼女の声を、今度は男の声が遮った。

 いつからか俯いていた視線を上げると、男のミッドナイトブラックの瞳とかち合った。二十代前半の若者のようだが、その年齢に似つかわしくない病的な雰囲気を纏っている。よほど仕事が大変なのか、何か悩みでも抱えているのか。
 底無しの黒に言いようのない恐怖が背筋を駆け上がる。こちらを見下ろす長身に影が落ちて、男の無表情にグロテスクな闇が這う。本能的な危険を感じたミシェルが後ずさると、男がにかっと人懐っこい笑みを浮かべた。

「なら、ここを取り壊すのはやめましょう」
 彼の言葉に周りの男たちからどよめきが上がる。
「え?やめるって、どういう」
「元々、メイン事業と違うことがしたくて試しに買ってみただけですから、特にどうしようとか考えてなかったんですよ」
「試し?え?」
「何も決まってないので……そうですね……あんたの望む形にしましょう。僕の名前はスタンレー。ニコ・スタンレーです。あんたの名前は?」
「私?私、は……ミシェル・オストログ」
「ミシェル。素敵な名前ですね。それではミシェル、この店をどうするかは後日意見を伺うとして、今日はもうお帰りになった方がいいですよ」
「は?何を唐突に」
「ひどい顔をしている」
 顔を指差してウインクをする男ーーーースタンレーの姿からはもうさっきの恐怖は感じない。あの感覚は何だったのかとミシェルは首を捻ったが、ガタイはいいがどこか病弱そうな男の柔らかい笑みに錯覚だったのだと結論する。
「あなたが、ここを買い取った人なの?」
「まあ、そうなりますね。正確には僕の会社が、ですが」
「そう。まあ、ここが無くならないなら良かったわ」
「ええ。安心してください」
「でも私は帰らない。行く場所があるの。今は、その途中で通りかかっただけ」
「すごく顔色が悪いですよ?」
「あなただって死人みたいな顔色よ」

 少しだけ元の調子を取り戻したミシェルが言うと、スタンレーは「よく言われます」と困ったような顔をした。瞳と同じミッドナイトブラックの髪を揺らして「本当に、帰らないのですか?」と続ける。

「復讐であれなんであれ、恋人を失った女性がそんな顔色をしていると言うことは……眠れていないんじゃないですか?食事は?」
「あなたには関係ないわ」
「確かに僕はあんたにとって他人です。でも、目の前で傷ついている女性を放ってはおけない」
「放っておいて平気よ。私はここが壊されないと分かっただけで安心したわ。じゃあね」
 ミシェルが強引に話を終わらせ立ち去ろうとすると、
「ちょっと待ってください」
 言い置いて、スタンレーは足速に店の中へ消えた。

 無視して立ち去ってもいいのだが、どうにもそうする気になれずミシェルはその場で彼を待つことにした。末っ子のような、一人っ子のような、無邪気で無垢で無知な子供のような彼の笑みを無下にすることが躊躇われたからか。人懐っこい笑みがどこか死んだ恋人と重なったのもあるかもしれない。
 やがて凍てつく冬を連れてくる晩秋の冷たい風に、自分はもうこの世界で一人きりなのだと思い知らされる。「寒いね」なんて言って身を寄せ合い、「こうすれば温かいよ」と手を繋いでくれる恋人はもういない。生きていればまた一緒にいたいと思える誰かと出会うのかもしれないが、今のミシェルにそのビジョンは浮かばない。
 悲しみと憎悪がない混ぜになったこの心で真実に辿り着いたとして、そこで自分は一体何をするのだろう。恋人を殺した復讐屋を殺そうとするだろうか。復讐の依頼者を八つ裂きにするだろうか。それとも、望まない真実を前に泣き崩れるだろうか。
 この道がどこに行き着くのかわからない。けれど、進まなければ何も始まらない。

「指示は出してきたので、ここはもう大丈夫です。さあ、行きましょうか」

 店から出てきたスタンレーは堅苦しいジャケットとネクタイを外していて、シャツの上にトレンチコートを羽織ったカレッジ風の服装に変わっていた。それを指摘すると「オフの時間まで堅苦しいのはごめんなので」なんて少しズレた返事があって、ミシェルは閉口する。

「で、どこへ行こうとしてたんです?」
「情報公開館。ジョージを殺した復讐屋を調べに行くの」
「そうですか。ならばこっちから行った方が近道ですよ」
 当然のようについて来ようと、なんなら先に行こうとするスタンレーに「何であなたも来るのよ」と訊ねると、「何となくですよ」と軽い調子が返ってきた。
「何となく、あんたを一人で行かせたくないと思ったので」
「……あっそう。勝手にすれば」

 真っ赤なヒールを打ち鳴らし、ミシェルは足速に進んでいく。その半歩後ろをつかず離れず追ってくる足音に内心嘆息した。ついさっき出会ったばかりの、恋人の店を取り壊そうとしていた知らない男。普通なら警戒すべきところをどうしても気を許してしまうのは、死んだ恋人との出会いとどこかにているからだろうか。
 ジョージ・ラスクと出会ったあの日も、ちょうど今日のように喪失に打ちひしがれている時だった。両親が交通事故に遭ったと連絡を受けて、遺体の確認に行った病院でみるも無惨な肉塊とかした家族を目の当たりにして、葬式をして、棺を埋めて。
 ひとりぼっちの家に帰りたくなくて街を徘徊していたら、不意に声をかけられたのだ。「早く家に帰った方がいい」と。


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