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カントの『判断力批判』には、矛盾していそうな言葉がたくさん出てくる。【PhilosophiArt】
こんにちは。成瀬 凌圓です。
今回は、18世紀の哲学者、イマヌエル・カントが書いた『判断力批判』を読みながら、哲学とアートのつながりを探していきます。
この本を深く理解するために、全12回に分けて読んでいきます。
1冊を12本の記事に分けて読むため、読み終わるまでが長いですが、みなさんと学びを共有できればいいなと思います。
第4回の今回は「趣味判断(美的判断のこと)の合目的性」という言葉について考えていきます。
これまでの記事は下のマガジンからお読みいただけます。
前回の最後で「美的判断は、普遍的に構想力と知性の調和により、生まれた快の感情を持たせるもの」と説明することができました。
構想力や知性という言葉については説明されていましたが、調和については何の説明もなく、ふわっとしたまま残っています。
今回は、その調和について明らかにしていくために、『判断力批判』の第10節〜第17節を読んで考えていきたいと思います。
「合目的性」は目的を持った因果関係
この部分でカントは、「合目的性」という言葉を用いて美的判断を考えようとしています。
あまり聞き慣れない言葉ですが、これは原因と結果の関係性を表したものの一つです。“目的”という言葉があることから、目的と関係した因果関係ではないかと予想できます。
『判断力批判』を読むにあたって参考にしている『カント 『判断力批判』 入門 美しさとジェンダー』(高木駿 著、よはく舎、2023年)ではこのように書かれていました。
私たち人間は、欲求をめぐり目的を設定し、それを原因として結果の行為を導く存在であり、その原因と結果の関係性こそが合目的性という原因性なのです。
第三章 目的のない合目的性:快の感情の分析その三 第一節 合目的性 より
何かに取り組んでいて、ある目的が達成されたとき、われわれは嬉しくなることがあると思います。
この嬉しくなるという状態が、快の感情を抱いていると言えます。
このことからカントは、快の感情と「合目的性」にはつながりがあると考えました。
目的のない合目的性が成立する?
合目的性から少し話は離れてしまいますが、「美は無関心」という言葉が第2回で出てきました。
関心は、客体に対して気に入ることを指します。
美的判断は、主観的な表象(イメージ)だけで判断することなので、客体が関わるものは排除される、というのが「美の無関心性」でした。
このとき、関心は欲求能力を規定する根拠であることも理由に、美的判断からは排除されていました。
欲求に基づいて目的を設定している私たちは、美的判断から関心だけでなく、目的も排除する必要があります。
快の感情と「合目的性」にはつながりがあると考えているため、「合目的性」という考え方自体は残すことにしています。
すると、「目的のない合目的性」といういかにも矛盾してそうなものが快の感情に関わっていることになってしまいます。
カントは、この「目的のない合目的性」を形式的合目的性と言いました。
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