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『風姿花伝』から、世阿弥の教育を見てみる。(第一 年来稽古条々)

室町時代に活躍した天才能楽師、世阿弥。
猿楽という舞台芸能を後世に残していくために記した能楽論書『風姿花伝』から、今回は第1章にあたる「第一 年来稽古条々」を見ていきます。

ここでは、年齢別に「どのような稽古をしていく必要があるのか」や「どのような心構えをするべきか」などについて書かれています。

自分の年齢に近い部分だけを読むのもよし、全体を通して家族や所属する組織の人たちとの関係性を考えるもよし、さまざまな見方ができると思います。自分の経験・やってみたいことと結びつけてみるのがおすすめです。

それでは、早速読んでいきます。


「風姿花伝」の本文は、『世阿弥・禅竹』(表章・加藤周一校注)(日本思想体系(芸の思想・道の思想)1、岩波書店、1995年)の「風姿花伝」から引用しています。 

七歳 - 基礎を、自由に、身につける

ここでは幼年期の稽古について説明しています。現代では3歳ごろに初舞台を踏むことから、その辺りの年齢という解釈が適当だと考えられます。

稽古を始める段階では、本人が積極的にやり始めたことに長所が表れてくる。周囲はそこに干渉せず、自由にやらせるべきだという世阿弥の教育方針が見えてきます。

さのみに「よき」「しき」とはをしふべからず。あまりにいたくいさむれば、わらべは気を失ひて、能物くさく成たちぬれば、やがて能は止まる也。

p15

この時期に「ここは良いね」「ここはよくない」と指摘してしまうと、嫌気がさしてしまい、芸の上達が止まってしまう。

自分だけの世界で楽しんでいたところに他人の評価が入ると、自分の世界を壊された気がしてイラッとした経験、皆さんの記憶の中にあるのではないでしょうか。一人っ子の私にとってはそんな記憶がたくさんあります…

習い始めたばかりの子どもがどれだけ能に関心を持ったとしても、細かな技術に関して教えるのはまだ早いというのが世阿弥の考えです。

あくまで基礎的なことだけをさせる。
教育する立場の人間は焦らず、辛抱強く見守ることの大切さが説かれています。

十二三より - 役者としての分かれ道

この「十二三より」も文字通りの12・13歳ではなく、現代では小学校中学年くらいにあたると見て良いと思います。

この頃は何をやっても美しく見える時期だと世阿弥は言います。欠点は隠れるし、良い部分はより引き立ってくる。「神童」の特徴そのままを言っているかのような部分です。

ここでは、世阿弥独自の概念である「花」が登場します。実際の文章を見てみましょう。

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