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『心配しなくていいんです』~禅の心得修行中~
NHKのあしたが変わるトリセツショー
「新・瞑想(めいそう)」の回で、この新瞑想を体験後に、持病を抱えたご主人から奥様へ向けての言葉。
『心配しなくていいんです』
とてもシンプルな思いやりのあるこの一言が、
今の私にぐさり刺さったお話。
どうにもならないことはない
直ぐに答えが出ないような「心配事」に、費やす時間がもったいない。と、
思う信念といいますか、
心掛けが私にはあった。
1. どうにもならないことはない
2. ま、いっかっっっ
これにおまじないをプラスして、
3.自分の心臓付近をグーパンチ。
まだ若かった頃は、お仕事でもやもやを抱えた時に、この二つを自分に言い聞かしパンチで魂ごとリセット。
改めて客観視するとあほな私だけれども、
これらをポジティブ変換ボタンつもりでポチっとして、するりするりと社会人生活を過ごしてた。(基本おめでたい奴)
でもこれ、「オールマイティーなおまじないではない」と、今さらながらに気づくことになる。
自分以外への心配となると
40代に入っても、子供のいない私は自分の事だけ考えていればよく、若い頃の脳のまま、ただ歳だけ重ねていた。が、
突然やってきた母の大腿骨骨折&難病&認知症。
ドドドと押し寄せてきた介護に直面にした途端、世の中こんなに心配だらけなのかー!と、方々の心配問題の領域で迷子になっているではないか。
これって家族が多いほど心配も増えるなら、子を持つご家庭は、どう日々の気になるを咀嚼してるのだろうか?そんな日常に感服してしまう。
心配事のメインの介護関連は、ず〜〜と考えていられる。
病状やメンタル、マネーや施設、それらに伴う兄弟や夫婦関係等々、
まぁ~心配ラッシュである。
答えが出ても、それが継続するでもなく、日々変化もしていくし。
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始めの数年は、要介護3の母の心配がメインだったが、
そこに持病が進み要支援2に格上げされた父がプラスしてきたものだから、
登場人物も増えて心配アクセル全開に。ぶぉん。
「まいっか」とやり過ごせてたのは、自分事だったからという事に気が付いた。
何年もかけて、ここでようやく。
そんなこんなで、脳内心配事でむしばわれ、現実逃避にあこがれ始めた頃、
テレビから、「禅」やら「無」なるワードが耳に飛び込んできた。
ん?禅!?とな?
既に救われたような響きの「禅」にロックオン。
この閃きは閃光クラスで、まぶしすぎる。
(なんの番組か覚えてないのが残念)
いざ、禅の世界へ一歩
思いだったが吉日。即禅の本で学びスタート!
(基本ハマり症な私)
松原正樹さんの
「心配事がスッと消える禅の習慣。」
もうタイトルだけで、これだー!の出会い。
禅初心者でも始められた3つをあげてみる。
○脳内を禅
好きな言葉に、『森羅万象』を追加。
万物すべてが先生。
すべてを許容する心の準備が出来始めたような、、な、気持ちになってみてる所。
○食べる禅
食事中、食するまでの全ての過程に感謝。
食材~加工~輸送~販売等々。何人関わっているんだ!
こりゃ、ながらスマホはできない。
(これはいい習慣)
○歩く禅
歩く時には、大地を感じ更に自分の筋肉を感じてただただ歩く。
すると、自分の体調、季節・街の変化等々。
なんだか、神経が研ぎ澄まされる気がするぞ。
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なるほど!五感の感度をあげ、ただただ目の前の事に興味関心をもっていれば、余計な思考回路を使わず、心配という執着から脱せられるってこと〜〜!?
禅。
この教え、私にはハマるようだ。
心配しなくていいんです~なるようになる~
そうこう禅を、取り入れる生活を初めて数ヶ月後に、NHKトリセツショーで「新・瞑想」で例のの名言に出会う。
この新・瞑想なるもの、例えばレターパックをゆっくりゆっくりぺりぺりぺりぺりと、五感をフル活用して開封する事も瞑想という。
いかに早く、心配の考え事から引き離し、瞑想に切り替えられるかが、心の筋トレになるという。
番組企画で心の筋トレを始めたご夫妻。
当初奥様は、常にご主人の事が巡り瞑想にならなかったのだが、トレーニング後はしれっと30分の瞑想に成功できた。おめでとう奥様!
ここで、ご主人から自分の事を考えない時間を作れた奥様に向けて、
「心配しなくていいんです」と一言。
お人柄がじんわり伝わってくる、温かい口調で。
これを聞いて私が、脳がパカッと開いたような、羽がついてたら飛んでいきそうな開放感をいだいてしまったから驚いた。
自分を大事にしなさいねと、背中をさすられたような気がして、みるみる心が緩んできたのだ。
これをきっかけに、
もう少し自分に目をむけてもいいよねって
思えるようになり、
且つ、心の筋トレを心掛けるうちに、
徐々に悶々とした暮らしに、灯りがさしこむ隙間出来たようにも感じる。
その後私の思考も、
起きた事象も森羅万象の個性と受け止め、
やれることをしたのだから、「なるようになる」
覚悟と潔さが身についてきた。
結果、心配の量(時間)が減ってきたのだから、それはもう効果絶大。
『どうにもならないことはない・まいっか』と『なるようになる』同じように見え、
前者は、もがいた後に、時で距離をとる。
後者は、やりきった後に、時に身を委ねる。
自分も森羅万象の一部ととらえた後者の方が、
だい~ぶ、気が楽で、
正に、入ってみて良かった禅の世界。
心配症な方やそう割り切れない切実な方もいる、
心配の種はつきないけれど、
禅を心の隙間にいれてみると、
ちょっとだけ見える世界が変わるかも。
禅の世界の仲間が増えるといいな。
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