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「僕がイラストレーターになるまでの長く曲がりくねった道」 ⑤最終回

もう全て終わりにしようと思った時に

この記事は昨日の続きです。

ラストチャレンジ

さて、僕はイラストレーターにも漫画家にもなれず、ゲーム業界に身を置くもリストラされ・・・

何をやっても結局失敗した

気づけば早40歳が目の前に来ていた

40と言えば人生の半分・・・

自分を信じて東京に出て20年・・・

10年売れなくて花が咲いた演歌歌手はいるが、20年は流石に聞かない(笑)


やめよう・・・そう思った。
本当に酷い気分で・・
僕は自分が何なのか・・もう判らなくなっていた・・



・・・だが、そうすると、心の中でもう一人の自分がこう話しかけてくれた

『本当にそれでいいのかい? ここが最後のところだよ・・・』
と。

僕は思った。

『そうだ・・どうせ辞めるのだ・・・
それなら最後にもう1度だけ全力でやってみよう』  と。

自分が一番やりたかったもの、自分が中学時代に一番最初に夢のように憧れた職業、イラストレーターにもう一度挑戦して、それで駄目なら潔く全て終わりにしよう・・・ もう一度だけ自分を信じてみよう・・
僕はそう決めた。

僕は図書館に行って小説の雑誌や、一般週刊誌、スポーツ雑誌などを読み、家に帰ってイラストを描いた。例えば、この小説だったら自分はこんな風に描く、この記事だったらこんなイラストはどうだろう?・・・そんな風に幾つものイラストサンプルを描き、それを持ってそれぞれの編集部を訪ねた。

都内の電話ボックスから次々に電話をかける。アポ電で断られることも、予約して編集部に行くとアポを取ったはずの担当者が外出して不在・・・
そんな事はいくらでもあった。丁寧に見てくれる編集者がいる一方で、忙しいからコピーを郵送してくれ、と半ば門前払いを喰らうこともあった。受付の女性に「うちは間に合っています」などと訳の分からない事を言われ、悔しさで電話ボックスのガラスを叩いた事もあった。
だが、何しろ敵(?)も忙しいのだ。文句を言っている暇はなかった。

こうして、僕は毎日朝から晩まで次々と電話をかけ、出版社を回った。
自分のやれるだけの事はやった。
しかし、結果は別だ。編集部を回っても仕事が来る確率は低く、どこからも仕事が来ない・・・お情けのように一つ二つ仕事が来て終わると言う事もある・・・一般的にはそんな厳しい結果が自分を待っている可能性の方が高いのだ・・・・


だが・・・

そうやって半月ほど出版社を回っていると信じられないことが起きた

電話が鳴り始めたのだ。

最初は、一件、二件、、、そして日を追うごとにその数は多くなっていった。ちょっと大袈裟に聞こえるかも知れないが、そうして数ヶ月後には一日中電話が鳴り止まない日もあった。夢のような事だった。何が起きているのか自分でもよく分からなかった。例えばテニス雑誌というのはその当時は日本に5誌あり、1誌からでも仕事が来れば良いと思った僕はその全てに営業に行ったのだが、1ヶ月後には何とその全ての雑誌から依頼があった。一般誌や小説の雑誌、広告関係からも依頼の電話を頂いた。

<「テニスクラッシック/技術解説イラスト」1993年頃 ©︎もりおゆう>

僕はその忙しさが嬉しく、どんなに忙しくても何の苦でもなかった。自分が自分に重なっていた。20年間待ち望んだ事だった。

僕はここにいる!
本当に心の底から思うことが出来た。
僕はここにいるのだ・・・、と。

勿論、仕事となれば絵の方針について担当の編集者やクライアントとぶつかり、はらわたが煮え繰り返ることもあった。けれど、どんな時でも246から多摩川の堤防をバイクで帰ったあの暗い夜、お前は必要ないと社会から拒絶されたあの夜を思えば、大したことではないと思った。

色々なことが自分を変えてくれていた。



けれど、仕事がこんな風に来始めたのは、一体何が原因なのか?
それは、よく分からなかった。自分がそういう時期に来ていたのだろうか?

ただ一つ思い当たることは、仕事への取り組み方を20代の頃とは大きく変えたことだった。

20代の頃は色々な仕事が来ても、皆自分の感覚にばかり引き寄せて絵を描いていた。その方が楽だったからだ。だから、担当の編集者に「記事の内容とイラストが合っていないのでは?」と言われる事が多々あった。当たり前だが、そんなことをやっていては仕事が続くはずも無かったのだ。それを大きく変え、企画や文章をよく考え、それらを絵で際立たせることを第一に考えた。これは、当たり前のことだが、職業としてみた場合イラストレーションは何と言ってもコマーシャルアート(商業美術)なのだ。僕が憧れた和田誠さんも大橋あゆみさんもコマーシャルアートの画家だったのだ。僕は遅ればせながらそんな単純な事にはっきりと気づき、それに徹したのだった。

例えば、下にそれぞれに絵のタッチが異なるイラスト3点がある。
全て僕の45歳頃の作品なのだが・・・

<上/テニスジャーナル 左下/テニスマガジン 右下/週間パーゴルフ ©︎もりおゆう>

左下のイラストは、たまたま企画から僕が提案し、文も絵も僕が描いた連載企画だ。この企画は「シニカルにテニス用語を解説する事」がテーマ。
例えば、この企画で上のコートでプレイしている可愛いキャラクターのイラストを入れても文章と全く合わないし、右下のタッチでは毒がなくタッチが軽過ぎてこれも合わない。では、どんな絵がこの企画に合うだろう・・・? 
僕はラフスケッチを何度も重ねて上の絵を創り上げ、連載を始めた。僕にとってイラストレーションとは、どんな企画であってもこういう作業に取り組むことだ。この頃にはまだ「多様性」という言葉は一般的ではなかったが、僕が自分に課したのは正に現在で言うところの多様性だった。しかも、その一つ一つの絵が自分独自のもの、オリジナリティがある事が大切だった。誰かに似ていてはつまらない。無限に絵柄を描けるという訳ではないが・・・こうして、いくつかのカテゴリーに対応した何種類かのイラストを僕は創り上げた。もちろん一つの絵柄で描き続けるイラスタレーターもおり、従来はむしろそちらの方が主流だったと言っていい。僕はそのことに全然異論はないのだが、僕自身はイラストレーションに対して全く違うアプローチを選んだ。それには、二十代にやった山のようなデッサンがやはり基礎になっていると思う。あれは、無駄ではなかったのだ。

こうして、僕の多忙な日々が始まった。
ほんの二、三か月前にゲームデザイナーを首になった時には予想さへできない事だった。

<「道徳の教科書」(株)廣済堂あかつき ©もりおゆう 水彩/原画サイズA3>
<セザンヌの肖像/医療冊子表紙連載 ©2014 もりおゆう/水彩/原画サイズA3>
<「ファミリーマート寅年年賀状」©︎2022 もりおゆう 原画サイズ/F5>
<ホットタブ/入浴剤広告イラスト ©2014/もりおゆう>

ちなみに、上のお風呂に入っている女の子のイラストも僕の好きなテイストだ。特にこのカワイイ女子キャラを描くのは楽しい(^。^)💧 こういった漫画ティックなイラストを抵抗感がなく描けるのは、やはり少年ビックコミックで漫画にチャレンジしたお陰かと思う。あれも、無駄ではなかったのだ。

下は調味料のイラスト。こんな小さな絵を描くのだって好きだ。
綺麗でしょ(笑)。

<雑誌「クリール」 2018年頃 ©もりおゆう>
<セグロセキレイ 雑誌「ぴあ」 2000年頃 ©もりおゆう>


僕は、イラストを描きながら心から思った。

『これは正に自分の天職だ』
と。

もう以前のように自分が何者なのかを悩むことは無くなった。


それから30年の間には無論、山もあり谷もあった。
それでも、僕は絵を描いて今日まで毎日暮らす事が出来た。
信じられない事だ、自分の好きな絵を描いて暮らせたなんて・・・

この数年で一番嬉しかったことは「僕の昭和スケッチ」だ。
イラストレーション=コマーシャルアートだと考える僕は、仕事以外で絵を描くことは無かった。絵は仕事であり趣味ではないという思いが強く、趣味で絵を描く事は全くなかったのだ。休みの日は絶対に仕事部屋に近寄らず、テニスでもやってリフレッシュする方が好きだった。

「僕の昭和スケッチ」はそれを変えてくれた。

<「昭和の駅」僕の昭和スケッチより © 2021 画/もりおゆう 水彩/ガッシュ>

僕の心の中にいつの頃からか子供の頃のことを描いてみたい、という気持ちが生まれ、それが「僕の昭和スケッチ」へと広がっていった。
これは全く一銭のお金にもならないが(笑)、仕事の合間を見て僕はこの絵を描き続け、皆さんがご存知のように現在noteに発表している。
僕はこの「僕の昭和スケッチ」の絵がとても好きだ。

こんな風にして僕は30年間絵を描き続けてきた。
高一の夏にイラストが初めて本に載ったあの日から数えれば半世紀以上になる。

だが、僕が何とか絵らしいものが描けるようになったのは、恥ずかしながら60歳を過ぎてからだ。そして、最近やっと一点の曇りなく僕は自分の絵が好きだ、と言えるようになった。ずいぶん長い時間がかかってしまったが・・・

それが、一番嬉しいことだ。

                          -もりおゆう



*最後に
僕がこうして30年間イラストレーターとしてやって来られたのは、やはり20代に10年間デッサンと読書を毎日続けた事が土台になっていると思う。デッサンも読書も自分が世界をどのように観るかをトレーニングしてくれるものだ。 僕はそう思う。 苦しい時代だったが・・・


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