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なぜするのか。なにをするのか。
ハルバーソンの著者を頭のなかで組み立てみた。
なぜ取り組むのか。なにをするのか。
前者は抽象的であり意訳、目標、鳥の目といった言いかたもできる。中期的な意志力につながる。
後者は具体的であり一歩、計画、虫の目といった言いかたができる。毎日の実施力につながる。
ふたつをおり混ぜて考えることでひとのモチベーションは高まり、そして実行力があがる。やってのけるちからが備わるという。
過程をほめる。人ではない。
褒めるのはその人の行動を対象にすべきです。
能力ではなく、やり方や工夫、ねばり強さ、ポジティブな態度を認めていくのです。
コロンビア大学心理学教授 ハイディ・グラント・ハルバーソン
ハルバーソン氏の原文には、
ほめるのは、その人がコントロールできるものにすべきです。
ともある。
「コントロール」や「褒める」という単語がつくる機械的な響きは、ハルバ
ではたずねるが 金と泥 どちらが役に立つ?
ジャッキー・チェンの映画、少林寺
老師と弟子の一節
では尋ねるが
金と泥 どちらが役に立つ?
金です。
種をまくなら?
……。
泥の方であろう
……。
みな なにかの役に立っているのだ。
放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない
あれはいつだったろうか、日経新聞の春秋で目にしたことば。
「放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない」「百歳の人はいないが千年の言葉はある」。モンゴルの格言である。物に執着しない人々は、その代わり言葉を大切にするという。言葉とは、心の記憶であり想念であろう。見習うべきかもしれない。
「みんなが格闘技に走るんで、私、プロレスを独占させていただきます」ジャイアント馬場
メモに取っていたこの言葉を調べてみると1989年ジャイアント馬場さんの全日本プロレスのポスターの言葉という。
示唆に富むユーモラスな言葉はいつもこころに留まっている。
「本物の格闘技」が支持をされはじめた当時、ジャイアント馬場さんはファンの心移りを感じたのでないだろうか。会社の行くすえの厳しさを直感したのではないだろうか。
空白となるプロレス市場に商機を見いだす。ホンモノのプロレスの希