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雑記

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書き残したいことを書き残したいように、雑記的な。
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2018年5月の記事一覧

京都の底

京都の底

全てがここに落ちて来る気がした。

星も月もなんだって。

ここに来ると安心した。夜人気のないここでいつも空を眺めていた。周りには何もないのに、音があった。

音だけがここには迫って来た。
光も人も隔絶されたこの場所だけが。

今の時代にあって、普通に生活をしていたら人からは逃れられない、絶対に。そうやって街の仕組みができている。

だからたまに逃れたくなる。誰もいない、見えな

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直に喋るのが苦手な理由

直に喋るのが苦手な理由

直接あって話すこと、それは心地よく楽しい経験であると同時に、僕にとって困難を伴うものである。
 
というのも、多くの人はどうか知らないが
 
「ありがとうございます」を発音することにかなりの労力を要するのだ。
 
僕は、いつも「ありやとーざーます」みたいな感じで発音しているに違いない。なぜ「ありがとうございます」は「アイアオウオアイアウ」という音階なのか…解せないこと数多くあれどこの問題は難題であ

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やらなくていい時代にやりたいを見出していく

「何かをしたい」と思った時に「やらない理由」を見つけるのが上手い人が、たくさんいる時代だと思う。

時代が関係あるのかどうかは、結局のところ、この時代しか生きてない僕には分かりようがないのだけど、なんとなく決まりがいいので使ってしまう。

時代性なのか、人間性なのかと言う議論はここではしようとは考えていない。時代によって可視化されたのだ、というぐらいにとどめておくことにしよう。

さて前置きが少し

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愛を巡る旅の中で

愛を巡る旅の中で

「渇き」という映画を見た。

ひどく辛く、悲しく、痛みがある映画だった。

愛がわからず、人がわからず、それゆえに愛を渇望する。

この中で僕は、「DVも愛の表現の一つなのではないか」と感じた。まさしくそこには愛があったのだ。むしろ主人公の現実の中でいえば、DVの中にしか愛がなかったとも言えるかもしれない。

そうやって感じられた時に「愛」が怖いと感じるようになった。愛は狂気と陽気の間ある微妙な存

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春に想いを馳せながら

春に想いを馳せながら

バチーン

買ったばかりのウクレレの弦が切れてしまった。踏んだり蹴ったりである。

踏んだり蹴ったりといえば色々あるが、そろそろ春が終わるなぁなんて思う頃合いである。

春は特別な感じがする。新緑に始まり、色鮮やかな花が咲き、また緑に収束する。春だけで一つ完結しているような気がするのだ。

季節といえば、春夏秋冬なんて言われているけれど、梅雨はどこの季節にも属していないような感じがある。春とも言え

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