#N高
N高等学校を馬鹿にしたら大学生になって自分が馬鹿にされた話
自分が馬鹿にしていることや、嘲笑って一蹴していることは、ひょっとしたら未来を大きく変える力を持っているのではないでしょうか。
自分はある一つの経験から馬鹿にされていること、常識外れとされていること、固定観念を逸脱している物ほど、新しい価値が潜んでいると感じるようになりました。
馬鹿にされる=常識外れ=新しい価値を生み出す
ということです。
例えば、N高等学校という高校があります。
この学
"自分は何者なのか"という問いの答えを見つけた話。
僕はここ数年“自分は何者なのか”とか“何者かになれるのだろうか”とかいう問いに悩まされながら生きてきた。その問い対して自分なりの結論に至ったのでnoteに書き起こそうと思う。
その問いの始まり
N高のネットコースだった僕は自由な時間がたくさんあって、障がい者を支援するNPO法人の活動に参加したり、デザインコンサルやFab系の会社でインターンをしたり、渋谷にある拡張家族Ciftに行ったりしていた。