「作られた伝統」が本来の「日本」を見えにくくさせている
一般的に伝統だと思われている事が実は伝統でも何でもないって事が往々にしてある。例えば結婚における神前式というのは明治期にキリスト教的価値観とともに「文明的」なキリスト教式の結婚式も取り入れられ、この「文明的」スタイルの日本版を作ろうみたいな感じで「作られた伝統」だった。一神教でない日本人に結婚を「神に誓う」という感覚は無いし、近代以前の結婚式は時代劇にも見られるような祝言(しゅうげん)が主流だった。「神への誓い」でなく、村落共同体の承認を得ることが結婚を成立させていた。
神前式は「作られた伝統」である上、主流になったのは戦後〜高度成長期で、敗戦によって国家神道が解体され現憲法で政教分離され、国家から優遇されなくなった神社が生き残っていくために結婚式を商売にしてきた面もある。また、結婚においては「お見合い」が伝統的とも思われがちだがそれも明治以降のことで、それ以前は村落共同体の中で主に結婚が行われ、相手とは同じ村人同士で既知の関係だから「お見合い」の必要がなく、結婚相手は男が女に「夜這い」をかける事で主に成立していた。
そして夫婦同姓というのもいかにも伝統のような顔をしてるものの全く伝統とは言い難い。明治31年に成立した明治民法「一戸籍同一氏」の規定により初めて法制化され、それまでは儒教の影響が強く別姓が主流で、同姓は長い歴史の中から見れば比較的新しい制度でもある。明治5年の民法草案「皇国民法仮規則」においては夫婦は婚姻後も姓を変更しない旨が明記されてもいる。
ではなぜ夫婦同姓に至ったかと言えば結局当時の欧化政策で、不平等条約改正のため「文明国」の習慣に倣って同姓としただけの話、要するに欧米の「ファミリーネーム」に倣っただけの話でしかない。そして明治日本が色々模倣したドイツは後に(選択的)別姓に改めている。別姓反対論者は判で押したように「別姓は伝統に反する!」「家族が崩壊する!」と憤るが、夫婦同姓を固守するのは実は単に当時の欧化主義政策を固守するだけの話でしかない。逆に当時は儒教的価値を重んじる旧武士層がむしろ「伝統に反する!」と同姓に反対していた。
別姓で「家族が崩壊」するなら明治以前の家族は全て崩壊していた事になるし、海の向こうの儒教の国々はむしろ家族の結び付きは強そうにも見えるが「別姓だから崩壊」してる事にもなる。儒教の「妻はよそ者」的価値観を排するという意図なら同姓は望ましくもあるが、「同姓が伝統」はあまりにも嘘過ぎる。尚、「姓」は明治4年の太政官布告で廃止されてるから厳密には夫婦「別姓」「同姓」という言い方自体が実はそもそも不正確でもある。
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