若い頃はわからなかった 理性なんて なんの未来も生まないと。 これからを作り出すのは いつも 情熱だけ いったい 後悔せずに生きてきた人など どれだけいるのでしょう。 私だって そうやって生きてみたかったのです 本当は。 大丈夫・・・ それは 我慢の裏返し 思えば他人《ひと》に遠慮ばかりの 歳月でした。 今さらですが 自分を出したくなりました 生まれかわるように 私の人生の中では 自分を真ん中に据えていこうと 思うのです。 幸せ という意味が 互いに 愛し愛されること
先日のこと。 とある情報番組で「今日10月10日は”手の日”です」と言っていた。 (スイマセン、正確には”手と手の日”でした。) 50を過ぎた私には10月10日と言えば 長らく「体育の日」だったのだが…。 いつから、そんな日になっていたのだろう しかも 「なぜ手なのだろう」と、不思議に思った。 だが 両手を広げて前に出してみれば・・・確かに「10」だ。 そういうことなのか、と自分なりに納得しておいた。「手」といえばいつも思い出すことがある。もう30年以上も前に観た、ティム・
私は親から一度も誕生日を祝ってもらったことがない。 小学生のとき 初めて招待された誕生会。 プレゼントを渡すことすら知らなかった。 そのことを あなたに話したら「そうだよ」と、 当り前のように返された。 「手ぶらだったのは自分だけだった」 と言ったら 「おめでとうって言うだけでいいでしょ」 と、あなたは言ったよね。 でも、 私には一度も言ったことがなかったよ。 ただのひと言、 そう、たった一度だけ 「誕生日だね、おめでとう」と、 親からプレゼントを受け取る 友達が羨ましく見
8月も終わりかけの先日、 偶然花火の映像を観た。 『花火』のはじまりは〈のろし〉といわれている。 古代中国で火薬が発明され中東に渡り、 その後 中世のイタリアで色付きの花火が開発されたそうだ。 もちろん 当時は珍しいだけでなく、非常に高価なものであり 一部の特権階級の人が催しごとで使うものであった。 そんな花火が日本で初めて催されたのは江戸時代に入ってからだそうだ。 当時、大飢饉によって亡くなられた大勢の人々の慰霊と 悪疫退散を願って打ち上げられたのが 現在の花火大会
『最後の1ミリを決めるのは自分』 何かで 読んだか聞いたかは忘れてしまった この 最後の1ミリが善か悪か、前進か後退か、 勇気なのかプライドなのかは 人それぞれ立場によっても変わるだろう その 最後の1ミリを、 私は道理でありたいと思っている その時々の立ち位置で 右にも左にも変わり得るものではなく どこの どのような立場であっても変わらない 「人としての道理」でありたいと思うのだ 人である以上、知性をつけた以上、 他の生き物のように 本能だけでは生きていけな
今年 現地日時 7月26日 フランス、パリでは100年振りに夏季五輪が開催された。 各国選手団は船でセーヌ川の流れに乗り エッフェル塔へと集った。 パリのシンボルといえば、私にはエッフェル塔だ。 他にもシンボル的存在は沢山あるが、 お土産のキーホルダーに手が伸びるのは、やはりエッフェル塔なのだ。 そして いま私が住んでいる東京には世界屈指のタワーがある。 パリのシンボルがエッフェル塔ならば 東京のシンボルは『東京タワー』と言いたい。 (子供の頃は東京タワーはエッフェル塔の
梅雨だと言うのに、全く雨が降らない。 … と思いきや、いきなりザバーと降り出した。 雨は嫌われものだが私は好きだ。 雨音は耳に優しい。 夜、 雨音を聴きながら眠りにつくのが何とも心地よいと感じるのである。 何より 空から降り注ぐ水の糸は、見ていると 何か懐かしさのようなものを 私に感じさせているように思えて仕方がないのである。 昔 『雨には忘れられた何ものかが含まれている』 という話を読んだことがある。 ―たとえば、子供の時に雨に打たれてはしゃぐことはあっても 老人になると
37歳の時、仕事を辞めて語学留学をした。 「その齢で・・・」 と、言われた時 「え、私って齢なの?・・・」と思った。 37歳を齢と思うか否かは人それぞれだが、それまで、何をするにも自分のことを"齢"と思ったことが 恥ずかしながら一度もなかった。 渡英し1カ月が過ぎたころだった。・・・事件が起きたのは。 その日はテストがあった。朝早く目覚めた私は、そのまま早めに家を出て、市内の図書館に向かった。なんとなく、テスト勉強的なことでもしようと思ったのだ。 しかし、静かで居心地の良い
あれは昨年のことだったろうか、それともさらに前だったろうか・・・ ふと立ち寄った図書館で『今月のコレ』的なタイトルのついた棚に陳列されていた一冊の本。 正確な本のタイトルは忘れてしまったが、その題材となった事件なら良く覚えている。 『秋葉原無差別殺傷事件』 二〇〇八年に都内で起きたこの事件の被告には、のちに死刑判決が下される。 その判決が下されたという報道を、私は仙台市内のホテルで知った。 もう、何年前になるのかさえ覚えていないその年、私は浄化の旅に出た。 行先は仙台市塩釜。
もうかなり昔のことになる。 美容院で差し出された雑誌の中にこんな記事があった。 ー『アウト・オブ・デプス』という英語の表現がある。自分が今、直面していることが、明らかに手に負えない、経験が足りない、体力が持たない、実力を超えているー など、そういう状況をいうのだそうだ。そのような状況において、人は自分の存在がいかに小さいかを悟らされるのだ、と。そういう状況は社会の場ではいくらでもある。 「できれば当たりたくない、関わりたくない」そんな苦手意識など、誰にでもあるものだ。事実私も
初めまして、この度noteデビューさせていただきました〈かぐや〉と申します。 50代にして大学生(通信制)を謳歌しております。 Xやインスタというのは苦手です。が、何か自分でも発信してみたくなり、文字だけなら自分でも出来そうだと思い 勝手に気のままにエッセイや詩を載せていこうと思います。 ふ~んこんな考えの人もいるんだぁ…程度に眺めて頂けるとありがたいです。緩く長く続けられるよう頑張ります。