腐ってどうする
あれは昨年のことだったろうか、それともさらに前だったろうか・・・
ふと立ち寄った図書館で『今月のコレ』的なタイトルのついた棚に陳列されていた一冊の本。
正確な本のタイトルは忘れてしまったが、その題材となった事件なら良く覚えている。
『秋葉原無差別殺傷事件』
二〇〇八年に都内で起きたこの事件の被告には、のちに死刑判決が下される。
その判決が下されたという報道を、私は仙台市内のホテルで知った。
もう、何年前になるのかさえ覚えていないその年、私は浄化の旅に出た。
行先は仙台市塩釜。(浄化といえばお塩、だから塩釜…単純です)
予想以上の石段に、途中撤退も脳裏をかすめたが、この石段を地元のご高齢の方々も膝をガクガクさせながら登っておられるのかと思えば、まだまだ人生半分、こんなことで歩みを止めるわけにはいかなかった。
手すりを支えにやっと高台にある厳《おごそ》かな神殿に到着、そして無事参拝。
仙台市内のホテルに宿泊した翌朝、習慣的につけたテレビの画面には
「秋葉原無差別殺傷事件の被告に実刑判決」の文字。
あの日、
たまたま事件を目撃することになってしまった人の中に、救命処置を手伝った人たちもいたと聞く。番組では、その、たまたま事件に出くわしたカメラマンが咄嗟《とっさ》に撮った写真を取り上げ、事件内容を振り返っていたように思う。
ー 倒れている人の傍《かたわ》らに救急隊員らしき人 ー
よくある写真と思いきや、レンズは確かに別のものを捉えていた。
『拳《こぶし》』だ。
しっかりと握られた拳だった。
その男性とおぼしき倒れていた人が、一体どういう経緯で被害に遭われたかは分からない。まして、その方がこの先どういう人生設計を抱いていたのかも。
ただ、とてつもなく、どうしようもないくらいの「憤り」なのか「痛み」なのか「つらさ」なのか、全く別の感情なのか、それとも全て混同された思いなのか、が凝縮されて表されたのがあの『拳』だったのではないかと思った。
あの時、彼が咄嗟に感じた思いが「恐怖」だったのか「驚愕」だったのかは分からない。
少なくとも被害に遭われて身動きが出来なくなってしまうまでの、ありったけの感情があの拳に込められているのだと、私には感じとれた。
彼は無事生還できたのだろうか。
亡くなられた方の中には、将来に望みを抱いていた若者も、人生半ばにしてやっと再起に踏み出す兆しを掴んだ人もいたと聞いた。
ふと、自分の半生を思った。
「今までやりたいと思う事は全てやった。もちろん世の中にはどうしようもなく、夢を絶たねばならない人もいる。全ての人が自分のやりたいことをやり遂げられるとは思ってない。だからこそ私は恵まれていたのだ」と。
子供時代には子供時代なりの悩みや辛さがあり、自由に選択できる大人が羨ましかった。大人になればこんな束縛から離れられるんだと思っていた。そして大人といわれる社会人になった。
けれど、子供の頃に思っていたほど自由でもなければ楽でもない。
相変わらず何らかの制約も規制もある中で生きている。何より生活の糧からくるストレスに苛まれて生きている。
何とか理性で持ちこたえてはいるものの、時には自らのキャパシティーを超えて爆発したくもなるし、投げやりになることもあるのだ。
「なんでこんな事になるんだ。なんでこんな事になるんだ!こんなんで死ぬつもりはないんだ。やりたいことがあるんだ、伝えたいことがあるんだ!まだまだ死にたくないんだ!!ちくしょう、ちくしょう!ちくしょう!!」
あの拳がそう語っている様に思えて仕方がなかった。そうしたら涙が出てきた。
「畜生、畜生!」という無の叫びがあまりに痛く感じられたから。
ー彼が無事生還できたかどうかは分からない。
でも、世の中にどうしようもない不条理で自分の望みや夢を断念しなければならなかった人が必ず存在するならば、
少なくとも自分が望んだ仕事《こと》なら、ちょっとやそっとのことで投げ出すのはどうなんだ。
そうだー。
『腐ってどうする。腐ってどうする!』なのだ。
どのみち、この先たくさんの不条理なことに苛まれるだろう。続ける限り、生きる限り同様に、だ。
あの日、無の叫びを感じて以来、私はこう思う様にすることにした。
『一度きりの人生。ほかならぬ自分の人生、腐ってどうする、腐ってどうする!』と。
追伸
とは言っても、やはり人間生ものであるからして、時に腐ることもあったりして。
だって、私は自分に甘いのさ。フフフ…