東京タワー
今年
現地日時 7月26日
フランス、パリでは100年振りに夏季五輪が開催された。
各国選手団は船でセーヌ川の流れに乗り
エッフェル塔へと集った。
パリのシンボルといえば、私にはエッフェル塔だ。
他にもシンボル的存在は沢山あるが、
お土産のキーホルダーに手が伸びるのは、やはりエッフェル塔なのだ。
そして
いま私が住んでいる東京には世界屈指のタワーがある。
パリのシンボルがエッフェル塔ならば
東京のシンボルは『東京タワー』と言いたい。
(子供の頃は東京タワーはエッフェル塔のパクリだと思っていた。田舎者のヒガミです・・・ハイ)
今では電波塔としての役割のほとんどをスカイツリーに譲り、ついでに人気も持っていかれた感じもするが、
それでも構わない。
変わらぬ思いもあるものだ。
東京タワーの魅力は色合いだけではない。
その形にもある。
設計者は単純にシンプルかつ安全性を重視しただけ、美しいというならそれは《数字がつくったもの》だと語ったそうだ。
ちなみに
エッフェル塔はフランス初のパリ万博に備え、目玉になる何かを作ろうと発案されたもので、そこに実用性は求めず、むしろシンボルとしての美しさを重要視したようである。
美しさを重視したタワーと実用と安全性を重視したタワーが酷似しているというのも不思議な縁を思わせる。
鉄紺の空の下、
水晶のさざれを散りばめたかのような煌めきのなか
ひとつだけ灯されたローソクの燈《ひ》…
それが『東京タワー』なのである。
春、花霞をしたがえて
夏、遠雷の下で
秋、口梔子《くちなし》色の夕景で
冬、月氷《つきごおり》の静寂で
その編み上げられたオレンジ色の銅鉄は、変化を遂げる街並みのなか
そこだけは変わらず静かに佇んでみせるのだ。
その編み方は一見無骨で直線的でさえある。
エッフェル塔のレースで編み込んだような華麗さや洗練さは
そこには見受けられない。
だから
あやとりで東京タワーは作れても、エッフェル塔は作れない。
そして
その美しさは〈数字の美しさ〉なのだという。
数字は人類が太鼓の昔から生活を営むにつれ、生み出し作りだされ
学術となった普遍的なものである。
時代によってさまざまなものが変わる。
あの
エッフェル塔でさえ竣工当時は大不評で、何度か解体の危機にあった。
それでも、
僅かな人々に支えられ、少しずつ認められ、時間をかけて
愛されるシンボルになったのだ。
そこでは
その時代時代を生きる人たちの価値観の変容によるところが大きい。
それでも変わらぬものもある。
高さ333メートル、語呂合わせのためでも何かを狙ったわけでもなく
ただ実用と安全を重視しただけのものが、
こんなにも長く
人の眼に、心に溶け込んでいく。
その膨大な設計の計算は決してエッフェルのパクリなどではなかった。
ただ数字に弱い私はこう思う。
うつくしいものは美しい。ただそれだけでいい。
私たち人間には理屈抜きで心が動く、そういう感性をおそらく他のどの生物たちよりも
多く持ち合わせて生まれてきた、
そう思っている。
だからこそ人間は芸術を生み出し豊かに育んでこれたのだ
そのことだけは確かなのだから。
その夜
パリの空の下、エッフェル塔から世界に響いた歌声は
愛を讃えるものだった。
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