お国柄
37歳の時、仕事を辞めて語学留学をした。
「その齢で・・・」
と、言われた時
「え、私って齢なの?・・・」と思った。
37歳を齢と思うか否かは人それぞれだが、それまで、何をするにも自分のことを"齢"と思ったことが
恥ずかしながら一度もなかった。
渡英し1カ月が過ぎたころだった。・・・事件が起きたのは。
その日はテストがあった。朝早く目覚めた私は、そのまま早めに家を出て、市内の図書館に向かった。なんとなく、テスト勉強的なことでもしようと思ったのだ。
しかし、静かで居心地の良い環境は、私を眠りに誘っただけだった。
ハッ…と目覚めてすぐ確認したのは時間だった。
遅刻か、と思ったが、まだ15分程しか経っていなかった。
ホッと、ひと安心し鞄を持とうとした時だった。
ー財布が、ない。
あまりの意表さに血の気が引いた。頭が真っ白になった。次に目の前がグルグルし出し、気持ちが悪くなった。心臓がドクドクと高鳴り、立っていられなくなった。
徐々に手が震えだし真っ白い脳内に文字が浮かび出た。
…盗まれた…周りを見ても、皆知らぬふりだった。明らかに同様のオーラを出しているのは私だけじゃないか。誰も私と視線を合わせる人はいなかった。
とりあえず学校に行き、現地で知り合った日本人の友人に相談した。
その子は「校長先生に話そう」と言った。
いきなり校長かよ、と思ったが、その子の行動は速かった。
話を聞いた校長は、すぐにどこかに連絡をとり、私に受話器を傾けこう言った。
「すぐにカードを止めなければいけません。大丈夫、日本人のオペレーターを頼んだから、日本語で話していいんだよ」
事務の人から警察署までの地図を渡された。
「あなたが被害届を出したいなら活用して」と。
その気はなかった。
どうせ現金狙いだろう。現金はほとんど入ってない。カードは2枚入っていたが使われる可能性はないと考えていた。(それより心残りだったのは、昨日買ったばかりの通学用定期の方だった。しかも2カ月分!)
警察には、積極的な友人に引っ張られるように行った。
紛失した財布について色々聞かれたが、何も答えられなかった。
英語が分からなかったのではなく、不思議と何も思い出せなかったのだ。
代わりに友人が答えた。
「確か、あの壁みたいな色だったよね、2つ折りで、・・・」。
最後にその警察官はこう言った。
「日本ではどうか知らないけど、ここでは失くしたものは戻らないんだ。
一応手は尽くすけど、期待はしないで。連絡先はここでいい?OK」
学校に戻ると、すでに私の事件は周知されていた。
担当の先生はもちろんで、今日は帰った方がいいと言われた。
そして、同じイギリス人として恥ずかしい、本当に申し訳ない。心から謝罪する、と何度も言われた。学校関係者、ホストファミリーも同様に皆同じことを繰り返した。
が、
私は「イギリス人がやったとは限らない。なにより寝てしまった自分のせい。危機管理の無さが原因なのだから気にしないで」と
一辺倒に繰り返した。
翌日登校すると、スペイン人の女性が声を掛けてきた。
「本当は昨日話したかったけど、あなたを見つけられなくて」と。
彼女がどうしても話したかったことは
「あなたはラッキーだった」ということらしい。
彼女の話はこうだった。
「あなたは盗難に遭ってとても苦しいと思うけど、あなたはとてもラッキーだった。だって、あなたの身に何も起こらなかったんでしょ?それは本当にラッキーな事。日本はどうか知らないけど、私のいるスペインでは物も盗られるけど、命も取られるの。
現に、ここに来る日、道の向こうで鞄を盗られた人がいて、その人は刺された。その現場を見てしまった。うちの国では珍しくない。だから、
あなた自身に何も危害がなかったと聞いて信じられなかった。本当に良かったなって。あなたは運がいい、そう信じていいのよ」と。
また、数日後若い男の子が意を決したように声を掛けてきた。
「財布を盗られた日本人って君のこと?」
「そうだ」
と答えると、その子はこう話しだした。
「実は僕もイタリアからこっちに来た初日に財布を盗られた。すごくショックだった。だから君の気持ち分かるよ。本当にすごく落ち込んだんだ。
でもね、落ち込んでいる間に、楽しいことが目の前にあったのに気付かないでいたとしたら、それって、すごく勿体なかったな・・って思ったんだ。傷ついたり、落ち込んだりするのは仕方ないけど、本当なら気づけたはずの、もっと大きな喜びを知らないまま過ぎるなんて、本当に勿体ないと思わない?いつまでも引きずらないで、もっと沢山の嬉しいこと、楽しいことに目を向けていく方が素敵な過ごし方だと思う。
上手く言えないけど・・・僕の言いたいこと、分かるかな」
知らない子だった。こんな見知らぬ誰かのために、一生懸命励まそうとしてくれる、その心意気が伝わり胸に沁みてきた。
なんだか感動さえ覚えた。
正直、私は一晩寝て起きたら意外にも立ち直れていたのだ。
(単にスーツケースに忍ばせていた予備のカードと現金のお陰でもある)
おそらく彼は、周りに漂う批判的な人に対し、僕はそう思わない、という
はっきりした意思を伝えるべきだと思ったのだろう。が、
あの、すこぶる英語力の低い日本人に、果たして伝わるのか心配だったのではないか。
大丈夫。あなたのその想いはちゃんと伝わったよ。でも、
さすがイタリア人。人生を楽しもう!なんてさ。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
それしか言えなかったが、彼は良かった、と頷いて去っていった。
半年は頑張る、と大見えきって日本を出たにもかかわらず、3カ月半でお金が底をつき、引き上げることになってしまった。が、私の人生の中では最高に濃厚で貴重な時間になった。
本当にいろんな体験をさせてもらった。
登校初日、迷子になり、道を尋ねた女子高生らしきに「あんたの言ってること全然分かんなぁ~い」とバッサリ切られたことや、ランチを買おうと注文したが店員に伝わらず、全く別物をどっさり盛り込まれ料金を取られたこともある。
渡英し、へこんだ事ならもうてんこ盛りにある。
だが、同じくらい感動したことも感謝したことも助けられたことも沢山あるのだ。
お国柄。
あぁそうだ。
日本人の方々からは一番お金の心配をされた。
私は予備の現金とカードは持ち合わせていたため不安はなかった。それでも「お金貸すよ」という声は有難かった。
なぜなら、お金もカードもステイ先にある。戻るにも手持ちのお金がなくては戻れないのだから。
借りたお金は翌日返しにいった。が、その友人は
「あれは与《あ》げたんだからいいんだよ、返さなくて」
と言って受け取ってはくれなかった。
失くしたものが戻ってくる、というのも、貸したお金を与げた、というのも
「日本」というお国柄、ということなのだろうか。
人柄もお国柄?
そう思わずにいられない、私の『遊学体験』だった・・・。
あとがき
全く語学力に進歩がないまま帰国し
お情けで同じ職場に復帰させてもらいました・・とさ。
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