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ウィトゲンシュタイン入門(著:永井均)【読書紹介の内容がわかったのかね?「ええ、なんとなくわかってきました」くそっ、また失敗か】

ザ・難解。
難がありすぎて、私はむしろポエムとして読んでます。
何にせよ、気に入っているということを言いたかったのです。
永井均先生は哲学を、ライトに解説してくれる哲学者の方です。
ニーチェの解説本もありましたね。

このポエム性のせいで、ウィトゲンシュタインの哲学は嫌いではないのですが、
哲学はただでさえ、進次郎構文というかトートロジー的な成分多めなのに対して、ウィトゲンシュタイン哲学はその極北(もしくは南極)であるので、一見すると理解を妨げる要素が多いです。

哲学は、こういう文章の需要があるところで語られるので、
これはこれで「面白いので」ありなのですが、普通なら悪文です。

なので、誤解を恐れず、なんとか、かみ砕いて触りだけでも紹介してみたいと思います。

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まずウィトゲンシュタインの家庭環境については以前に記事を書いたことがあるこちらの読書紹介記事をどうぞ。

ウィトゲンシュタイン哲学は、前期と後期に分かれるそうです。
前期は「論理哲学論考」という、
いわゆる「論考」というやつでして、

1 世界とは、起きている事全てのことである。(物ではなく、事実の総体であるとする)

2 起きている事、つまり事実とは、幾つかの事態が成り立っていることである。(事態+成立=>事実)

3 事実の論理上の像が、思想(思惟されているもの、思考対象、思想内容)である。(事実/思想がパラレル。事態と思想ではない)

4 思想は、意義を持つ命題である。

5 命題は要素命題の真理関数である。(要素は、自分自身の真理関数である。)

6 真理関数一般は、[[P、§、N(§)]]と書ける。これは命題の一般形式である。

7 語りえないことについては、沈黙するほかない。

まあ、1~7みたいなとてもポエミーな文章が書かれています。
これいか、1.5、とか小数点以下にどんどん記事が追加される形式。
重くなりすぎるのでここでいろいろと紹介しすぎないようにしますけど、

要するに何を言いたいのかというと、
「世界は言葉で出来ている」
「自分が知っている言語がこの世界の限界である」
「自分の言語で語れないことは、語ってもしょうがないので、語ってはいけない」

7.語りえぬものについては沈黙しなければならない。

という名言が出てきます。

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さてこの人は「論考」であらゆる哲学問題にケリをつけたつもりでいたのですが、

後半生の言語ゲームの世界が出てきます。

これは経済学者にして親友のピエロ・スラッファが、
あごをこするというスラッファの地元民しか知らないゼスチャーをして、
「これの意味は何だい」と訊いたことに衝撃を受け、

↓ ピエロスラッファについてはこちら。

後半生は「言語ゲーム」という哲学を考えます。
要するに、
「自分が知っている言語」はいくらでも捏造することができる、
ということに気づいたのです。
だから、めちゃくちゃな言語文法を持った言語を創ってしまえば、
めちゃくちゃな世界が世界の限界になってしまうという矛盾が発生します。

そこらへんを悩んでいたんですね。
ちなみに、ウィトゲンシュタインは、
倫理は存在すると考えていたようです。

1* 世界はそうであることのすべてである。
1.1 世界は事実の前部であって、物の前部ではない。

6.421 倫理が言葉に出せないものであることは明白である。
倫理は超越論的である。

6.43 悪しき意思や善き意思が世界を変え得るのであれば、それはただの世界の限界を変え得るのであって、諸事実を、つまり言語を変え得るものを変えることはできない。
要するにそのとき世界は、そのことによって、総じて別の世界になるのでなければならない。世界はいわば総体として減少したり増大したりするのである。
幸福な人の世界は、不幸の人の世界とは異なるものである。

5.6 私の言語の限界は私の世界の限界を意味する。
5.632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。

頭が痛くなってきた。
ちょ、ちょっとこの辺で。

あと真理関数は、うまく書き写せなかったかも。

↑ ニーチェの解説本はこちら。これめちゃくちゃ分かりやすい。


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