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短編小説

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記事一覧

短編小説「食堂 すい星」②

短編小説「食堂 すい星」②

第2話 わかっちゃいるけど

 金曜日の仕事終わり、いつも通り十八時半にバスに乗り帰路につく。家の最寄りよりいくつか手前の「警固町」のバス停で降りて、今夜はあの店に寄ろう。このまま一人で家に帰る気には到底なれない。仕事中もぼんやりと、あの店の白い真ん丸の提灯が頭の隅に浮かんでいた。

 今夜から行くはずだった一泊二日の温泉旅行の予定は一週間前に無くなった。今夜どころか向こうしばらく、一体いつまでか

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短編小説「私がシンデレラの継母です」

短編小説「私がシンデレラの継母です」

2555文字

 
 私の話を記事にしたいなんて、あなたも変わり者ですね。
 誰が信じてくれるというんです、すっかり世間で私は悪ものです。
 えぇ、正直に言うと、まさか、こんなことになるなんて思いもしませんでした。
 私のやり方は、やはり間違っていたのでしょうか。

 国外追放された娘二人は、前の夫との子です。
 子どもの頃から、裕福な生活に憧れていた私は、持ち前の若さと野心で、村一番の富豪と結婚

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短編小説「食堂 すい星」①

短編小説「食堂 すい星」①

第1話 人生ゲーム

 カウンター席しかない狭い店内に、客は僕とシュージの二人だけだった。年季の入ったL字型の厚みのある木のカウンターの上には、酒の他に、大根おろしがこんもり乗った揚げ出し豆腐と、ベーコン入りのポテトサラダと、ジョッキから伝い落ちた水滴が並んでいる。
 真っ昼間に締め切った飲み屋で酒をのんでいると、現実世界がどんどん遠退いていくように感じられる。店の唯一の小さな窓からは、今が十二月

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短編小説「アニキ in wonderland」

短編小説「アニキ in wonderland」

さすがの俺も、今日はキメとかねぇと。それ位わかってる。
米良次朗、28歳独身、は内心焦っていた。
ぬらぬらと光るオールバックに黒のスーツ。覗いているテロテロした素材のシャツは、よりによって薔薇柄で、派手というより下品だ。胸元は大きく開き、もちろんネクタイなどほとんどつけたことはない。代わりにやたらと重そうな金色のネックレスが下がっている。今時こんなのが実在するか知らないが、ここは海も山も近い片田舎

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短編小説「ラフマニノフピアノ協奏曲は何色に聞こえるか」

短編小説「ラフマニノフピアノ協奏曲は何色に聞こえるか」

音階は五線譜に乗るオタマジャクシのように幅が均等なわけではないのだよ、と木戸はまるで世界の行く末を憂えているかのような顔で、ため息交じりに云った。
 ピアノは均等なはずだよ、と冷めて余計にまずくなった学食の安いコーヒーに顔をしかめながら、僕は答えた。木戸は、380円のカレーライスを目の前に、まるで西洋人のように、やれやれと首を振った。
 木戸が今日ずっとこんな調子なのは、2カ月前から付き合いだした

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短編小説「あんパン好きの犬」

短編小説「あんパン好きの犬」

人生のピークは、五歳だった。十四年間生きてきて、あんなにモテた時期はない。幼稚園の帰り道、誰が僕の隣を歩くかで女子達がよく喧嘩していたものだった。
 中学二年になった今の僕はと言えば、一人ぼっちで下校し、途中、いつも神社にいる変な犬の相手をしているという有様だ。
だいたい十四にもなって、僕、という奴はいない。男子はいつの間にか、俺、に切り替えているのだ。早い奴は小学校低学年から、俺、だ。俺、の響き

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短編小説「十五の秋」

短編小説「十五の秋」

落ちそうになったイヤホンを、右耳に押し込めた。うるさい風の音がNOKKOの声にかき消される。ざまあみろ。手さぐりで、ポケットの中のウォークマンのボリュームを上げた。
まもなく現れる上り坂に向けて、ペダルに勢いをつける。右足と左足が、自然と両耳で鳴るドラムのリズムに合っていた。セーラー服はすでに汗だくだし、前髪は額に張り付いて気持ち悪い。けれど一瞬も止まりたくはなかった。
夕日が山に半分かじられて、

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短編小説「スマイル」

短編小説「スマイル」

シメジとキャベツとミニトマトで飾られたペペロンチーノは、見た目の色合いもさることながら、辛さ、塩加減もちょうどよかった。
フォークをくるくる回して麺をまきつけながら、麻美は、目の前に座る浩一の顔をそっと盗み見た。
浩一は、いつも通り、温和としか表現しようのない鶴瓶のような笑みを湛えている。
笑うと目が一本線になるこの笑顔と、バリバリと仕事をこなすギャップにやられたのだ。
前の派遣先の上司だった浩一

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短編小説「変なおじさん」

短編小説「変なおじさん」

思えば初めから違和感はあった。遺影の男は、耳上で刈りそろえられた白髪に、ネクタイなんか締めて、記憶よりも随分と真っ当そうに見えた。
 達郎がおじさんの訃報を受けたのは昨日の夜のことだった。おじさんはおじさんでも、このおじさんは、血の繋がらない、ただの近所のおじさんだ。実家を出た達郎は十年以上顔を合わせていない。
 勤めに出るような姿を見たことが無く、いつも近所にふらりといる壮年の男は、子どもながら

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短編小説「goodmorning!!!」

短編小説「goodmorning!!!」

暑い。
 息苦しい程の蒸し暑さと、瞼の向こうの明るさに、五十嵐の意識がぼんやりと浮上した。次いで渋々と五感も業務を開始し、やがて、五十嵐の子どものように小さな身体を、絶望が覆いつくした。あまりに完璧な絶望感に、思わず吐息だけで笑ってしまった。
 狭い視界に映るのは、アスファルトの黒い粒でできた地面と、見覚えのある景色。自宅であるマンション近くの、コインパーキングだ。車も人気もない。
 起きたら、タ

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