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短編小説「アニキ in wonderland」

さすがの俺も、今日はキメとかねぇと。それ位わかってる。
米良次朗、28歳独身、は内心焦っていた。
ぬらぬらと光るオールバックに黒のスーツ。覗いているテロテロした素材のシャツは、よりによって薔薇柄で、派手というより下品だ。胸元は大きく開き、もちろんネクタイなどほとんどつけたことはない。代わりにやたらと重そうな金色のネックレスが下がっている。今時こんなのが実在するか知らないが、ここは海も山も近い片田舎。いてもいいんじゃないの。とりあえず「メラ」の格好はどうみてもそっちの人であった。「任侠」だとか「仁義」なんて言葉が連想されるアレだけれど、メラにそんな骨太さはない。
子どもの頃から勉強はあきらめていたし、かといって特に運動ができたわけでもなかった。同級生達とつるんで悪さをすることがあっても、武勇伝として人に話せるような非行は、どう甘めに見積もっても出てこない。ただ舎弟キャラというのは不思議と子どもの頃からいるもので、メラは卑劣で安全なその位置につくのがとても得意だった。
母親の誕生日に小田和正のCDを贈る位には優しい心を持っているメラだけど「流されてチンピラやってます」では、結果ただの優柔不断と言わず終えないだろう。
そう、メラは特にこの仕事になんの執着も愛着も持っていなかった。
「やべぇ」も「こえぇ」も、なんとか避けてここまで来た。
しかしこの世界で飯を食って、ガス代その他を払っていることには違いない。
目の前をぴょんぴょんと逃げる、返済滞納者であるところのヤツを追いかける。
今日こそ集金しねぇと、いよいよ今まで逃げてた「やべぇ」事態になる。俺だってそれ位わかる。
前歯二本突き出しながら「大変だ!遅刻する!」などと見え透いた嘘をつきながらヤツが逃げる先は、樹海。色の白い猫背のヤツは、まるで因幡の白うさぎだ。いや、重い二日酔いや、その他もろもろのせいだろう。視界が朦朧として、追いかけているのが服を着た本物のうさぎに見えてきた。 「めら兄(ニイ)、アァン!?」
と、振り返って白うさぎがいった。覇気がないチンピラであることは認めるが、うさぎ野郎に喧嘩を売られるとはどういう了見だ。
めらは、うさぎにも自分にも若干呆れた。
「アン!?待てこのうさぎ野郎!!」
言葉だけ威勢が良くとも、ぜぇぜぇ言いながらでは残念ながら覇気の無さ倍増だ。
いつのまにかめらの視界は360度樹海になっており、ぽかぽか陽気の温かい昼下がりとは思えぬ、しっとりした薄闇が辺り一面に広がっていた。
めらはほとんど筋肉のない貧相な体で、苦しそうに息をしながら前を見る。捕まえられない距離をとるくせに、まるでこちらがついて来ているか確認するかのように、時々後ろを振り返る。
なんだってんだ。
「メラ兄(ニイ)アァン、早く!」
大木の下、なぜかうさぎが手招きでもする勢いで、こちらを見て勇み足をしている。
「腹を括ったか、うさぎさん!」
言葉どおり、メラはうさぎに飛び掛かった。
ん?
一瞬で消えた白うさぎと。
大木の根元に突如現れた穴へ、真っ逆さまに落ちていく自分。
メラは何が起こったか処理できない頭で「あぁ母ちゃん、小田和正もいいけどさだまさしもいいよね」とこの場で一文も役に立たないことを思う。
落ちていくスピードはまるでスローモーションで、恐怖心は不思議と無かった。上を見上げると、穴の入り口から一人の女がこちらを覗いているのが見えた。
十代にしか見えなかったが、長く垂れた髪は酔いも醒めるような金髪で、どうせろくなモンじゃないだろう。きっとアレはうさぎと逃避行するツレの女で、俺はまんまとハメられて樹海の穴に落とされたのだ、とメラは悟った。
ところが、なかなか底に行きつかない。どれだけ深いかしらないが、このままだと命は諦めた方がよさそうだ。
悪かぁないけど、なんちゃない人生だったな、俺。
もしこれで生きてたら、極道、もうちょっと頑張ってみようかな。
メラの耳にどこからかうさぎの声が聞こえた。
「急げ!なにやってるんだ!メアリーアン!!」

次回「めら、ハートの女王の腰巾着になるべく、まずはイカレ兄さんとお茶」の巻


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