疲れやすい心が少し楽になるかも。【べき思考メモ】
心が疲れやすい。そんな自覚を持っている人は少なくないと思う。
その中でも、直接なにもされていないのに疲れてしまう人がいる。わたしもそのひとりだ。
わたしの愛読書『メンタルクエスト』には、そんな心の疲れに効くアイデアが載っている。
それは、べき思考を知り、最終的に3~4個に絞ってみるというものだ。
「べき思考」とは、「こうしなければならない」という思考のクセを示す。
この思考は、イライラや腹立ち=怒りと強く結びついている。
例えば、わたしのべき思考はこうだ。
「相手の言動を予測して、ケア側の立ち位置で、相手が機嫌良くいられるように立ち回らなければならない」。
わたしは、生まれてから大学生になるまで、ケアされる側の人間に囲まれて育った。
子どものような母、気に入らないと物を壊す父、年の離れた兄弟。みんな、わたしにケアされることを望んだ。
それぞれに本来満たされるべき相手に満たされない分を肩代わりしてほしいと願っていた。
母は、自分の親や夫にしてもらえない分を。
父は、自分の母と同じようにしてくれない妻の代わりを。
兄弟たちは、子どもをケアする次元に居ない両親の分を。(兄弟については、そうするしかなかったと思っている。かわいい兄弟だ。)
だから、わたしは自分自身を“ケアする側”と定義して生きてきた。
そう考えると、新卒で福祉の道に進んだのも何ら不思議はない。この思考をいまだに手放せていない。
このべき思考があるから、自分がちゃんと相手の言動を汲めないと許せなくなる。自分を罰したくなる。大事なものを何もかも失ってしまえばいいと思ってしまう。
仕事でも、ケア側の仕事でありながら、ケアされようとする人が許せない。
怒ったり、悲しんだりする理由のほとんどが、このべき思考に縛られている。
時々頭から追い出すことはできるけれど、ケアの完全放棄しかできない。余裕があったらケアするとか、良い感じができない。
毎日、べき思考に縛られている。
ここまで読んだ方は、いまでも縛られてるなら、全然効いてないじゃないかと思うかもしれない。
それはちがう。めちゃくちゃ効いているのだ。
このべき思考を把握しているだけでも、進歩だ。
以前は、なぜ自分を罰する衝動に駆られるのか、なぜ怒るのか、全く分からなかった。理由の分からない感情の爆発ほど、たちの悪いものはない。なんの対処法も、分からないからだ。
今は、べき思考が理由だと分かる。そうじゃないと言い聞かせられるし、怒りの対象を取り返しのつかないほどに傷つける前に「思考のせいでこんなことまでしてるのか」と我に返る瞬間がある。
メンタルクエストでは、べき思考を「趣味」に転換することをすすめている。
つまり、わたしは「他人をケアするのが趣味なひと」だ。
そう考えると、趣味をできなかっただけで自分を罰するのも怒り狂うのも、なんか変だなという気がしてくる。
メンタルクエストではさらに、べき思考を3~4つに絞ることもすすめている。
全然しぼれていない。たぶん100個はある。
信念を持った人には憧れるので、気がつくたびにメモることにした。
これは意外と簡単だ。
巷ですすめられている「感謝することを書こう!」「良いところを書き出そう!」みたいな明るいやつはかなり元気なときしかできない。
でもべき思考メモは、自分がいかにダメか頭でぐるぐる考えるのをそのまま書けばいい。
「~するべきなのに、わたしは全くできてない」という構文なら、いくらでも作れる。
自分へのダメ出ししか出てこない時期が定期的にくる人には、とても共感してもらえると思う。
これはそっくりそのまま、べき思考メモになる。
めちゃくちゃに落ちた時におすすめだ。
ちょっと浮上したときに、苦笑いしながら読み返す。こんな調子だけど、いつか、4つに絞ってみたい。
べき思考は怒りと強く結びついている。
誰かに直接何かされたわけじゃないのに、心が疲れるのは、きっと心の中で自分や他人に怒り続けているからだ。
すぐに手放すことはできなくてもいい。メモするだけでも、べき思考に苦しめられている自分を俯瞰で見られる時間がきっと手に入る。