対極の価値観を否定するのではなく…

河合隼雄さんの「子どもと学校」という本を読んでいます。

河合さんは
「二つの原理があって、それが簡単には相いれないとすれば、一方の原理を正しいとしてそれを強化することを考えるのではなく、原理を深めるということを考えるべきだ」
と言います。

それではその「原理を深める」とはいったいどういうことでしょうか。

以下、引き続き引用です。

原理を深めるとは、自分のよって立つ原理に対立する原理にも意味があることを認め、その葛藤のなかに身を置いて、右に左に、それを繰り返しながら、自分のよって立つ原理をできる限り他と関連せしめることによって、ものの見方を豊かにしてゆくことである。

「子どもと学校」河合隼雄

自分の思想や言論、意見や価値観に対立するものに対して、
自分の正しさを強化するために理論武装をしたりして相手を否定して打ち負かそうとするのでなく、

相手のそれにも自分のそれと同じような紆余曲折があり、ストーリーがあって、意味を持っているということを認める。

それが「原理を深める」ということだと。

その後の喩えがとても素晴らしいと感嘆したので、続けて載せておきます。

言うなれば、二つの原理を梯子の両側の柱のようにして、その間を一歩一歩と下ってゆくのである。
そのようにして深めてゆくとき、足が地に着いて、ここを基盤にと感じるところ、そこに、その人の個性が存在していると思われる。

「子どもと学校」河合隼雄

対極する二つの原理の間、つまりはハシゴの両側の柱の間に自らの身を置いて、
一歩ずつ下ってゆく。つまり原理を深めていく。

そうして足が地面に着いたその「ちょうどいい塩梅」のところに、
個性は生まれるのではないか、ということだと僕は解釈しています。

とても面白い考え方だと思います。

自分が重きを置いている主義主張は誰しもあると思います。

しかしそれのみを深めるのではなく、対立するものの意義を認め、行ったり来たりしながら深めていく。

そうすると、右も左も実は見えない抜け道で繋がっていたことを発見したり、
どちらも五十歩百歩だったりすることに気づくのだと思います。

ひとつの原理、ひとつのイデオロギーで、すべてを説明しようとするのは通用しないと思われる。たとえ、自分の「好きな」原理があるにしろ、対立原理との葛藤のなかで、それを深める経験をすることが必要と思われる。

それを通して「新たな価値の創造」が成される。

個性は生み育てる、教え育てるものではない。

生まれ、育つもの。
自ら葛藤し育っていく場を作ることに、教育の意義はあるのではないかと思います。

あなたもぜひ、自分が好む主義主張、識者に傾倒せず、
「嫌いの嫌いたる所以」について考えを深めてみては如何でしょうか。


小野トロ




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?