「ゲームは現実逃避の道具」と子どもに言わせてしまう社会
NHKの「ウワサの保護者会」という番組があります。
子どもたちや親、教員が抱える教育の悩みや問題について、ゲストや当事者の保護者を招いて検証、討論する番組です。
その「ウワサの保護者会」の
「ゲームとどう向き合うか」という回を見ました。
ゲームばかりして勉強をしない、時間制限のルールを守らない、取り上げると暴言を吐く、つい「勉強をしたらゲームの時間を伸ばしてあげる」と言ってしまうなど、
保護者からの様々な「ゲームと子ども」に関わる悩みが寄せられていました。
親の願いとしては「ゲームより勉強をしてほしい。」それはわかります。
では、子供の願いは?
問題は「子どもがどうすればゲームから勉強に向かってくれるのか」ではなく、
子どもにとってゲームがどういう存在で、ゲームをするという行動に何を求めていて、そこに秘められた願いは何なのか、ということにあると思います。
それをわかっていない親は非常に多いのではないかと思います。
「ゲームばっかりして」
「なんであんなものに熱中しているのかわからない」
と言って、子どもが必死になって熱中しているものに対して全く興味を向けないどころか、
「ゲームばっかりやっているといい大人にならない」
と言って否定し、
それでは飽き足らずに最後には「取り上げる」「制限をかける」
これでは子どもが反発して怒りをぶつけるのも当然ではないでしょうか。
取り上げたり制限をかけたりする前に、
そこまで必死に熱中するほど面白いものなのか、と興味を持ち、
「そんなに面白いんだったらお母さん/お父さんも気になるから教えてよ」
「一緒にやらせてよ」
と寄り添うべきではないでしょうか。
ゲームが脳に与える影響や、勉強をしないことに心配になる気持ちもわかりますが、それよりも自分の子どもが興味・関心を持って熱中しているものに無関心というのは、いかがなものでしょうか。
これが同じ「興味・関心を持って熱中しているもの」でも、
習い事のピアノやスイミングや英会話、サッカーや野球だったら?
リアクションはきっと違うのではないでしょうか。
同じ熱中しているものでも、サッカーの試合で点を取ったことを褒めてくれた親が、
友達とオンラインで一緒に巨大な建物を建てたときには褒めてくれない。
それどころか無関心&叱られる。
子どもはどう思うでしょうか。
言う事を素直に聞こうと思うでしょうか。
まずは子どもが熱中していることが何であろうが差別せずに興味を持って、知りたいという姿勢を見せる。
そうすれば、子どもにとっての親は
「自分の楽しみを取り上げる存在」から
「同じ感動を共有できる存在」になります。
そして親として嬉しい副作用として、親がゲームに関心を持ち、一定の知識を得れば、
「ゲームは1日1時間まで」というルールを全く守らなかった子どもが、
「今日は建材を集めて整地するとこまでね」と言えば素直に従ってくれるかもしれません。
まずはゲームに興味を持つ。
そして次のステップとして、
「楽しいから」と言う理由の奥に潜む
「なぜゲームに熱中するのか」
「子どもにとってゲームとはどういう存在なのか」
を探ってみることが挙げられます。
「ウワサの保護者会」で登場した男の子は、
「○○くんにとってゲームとは?」
という番組からの質問に対して
「現実逃避のための道具」
と答えました。
僕にはこの答えは衝撃でした。
更にこの男の子は、
「お母さんにゲームについて何を理解してほしい?」
という質問に、
「ゲームというより僕が抱えるストレスを理解してほしい」
と答えました。
VTRをスタジオで見たお母さんと共に、視聴者の僕もこの発言には衝撃を受けました。
「ゲームをやりたいからただやっているわけではない」
「日々のストレスの捌け口として」
「うまくいかない毎日から逃げられる」
「運動や音楽が得意でない自分だから」
「ストレスフルな現実とゲームの世界は違う」
と、この男の子は言っていました。
ここまで自己分析がしっかりできている小学生ばかりではないかもしれませんが、
潜在にしろ顕在にしろ、同じ意識を持つ子どもは多いのではないでしょうか。
つまり、ゲームに関心を持ち、ゲーム=悪という考えを捨てることから始め、
次のステップとして「ゲームをする」という行為が子どもにとってどのような意味があり、背景にどんな感情が隠れているかを探っていく。
これが親が子どもとゲームに向き合う上で必要なことではないでしょうか。
「ウワサの保護者会」では、「ゲーム」という本筋と離れるので触れられずじまいでしたが、
そもそも、「ゲームは現実逃避の道具」とまで言わせてしまう現代社会って、
一体何なのでしょうか。
大人たちが生きていて楽しそうじゃない、
ストレスフルな日々を送っている、だから子どもたちもストレスフルになるのではないでしょうか。
ただでさえ一定の年齢において子どもはいろんなことに過敏に反応します。
だからこそ周りの大人はどっしり構えていなければならない。
しかし現状は、残業が多い、夫婦仲がうまくいっていない、2000万円問題、職場の人間関係、などなど
大人を悩ませることは非常に多く、ストレスフルな毎日を送っている人が多いのが実情ではないでしょうか。
そんな親を見て、子どもは敏感に何かを察知するのです。
子どもは大人が思っているよりも賢く敏感で正確なレーダーを持っています。
ストレスフルな親に育てられた子どもがストレスフルな日常を送り、
家庭を築き子を授かり、またストレスフルな日常を送る。
そして同じことが繰り返される。
そもそもゲームを与えるきっかけも、子どもにおねだりされたということ以上に、
「ゲームを与えておけば大人しくしていてくれるから」
という考えがあったのではないでしょうか?
それは親が悪いんでしょうか?
違います。
「大人しくしていてよ」と思ってしまう、
ついゲームやスマホ、タブレットに頼ってしまわざるを得ない状況に、
そんな余裕の無い状況に、大人たちが追い込まれているからでは無いでしょうか。
久々のママ友同士のランチ会の時くらい、大人しくしておいてほしい。
だからゲームやタブレットを与えてしまう親を、一体誰が責められるというのでしょうか。
「ウワサの保護者会」であったように、
興味を持ち、その裏側にある感情に気づいてあげる、
そこまでは辿り着けたとしても、
「現実逃避のためにゲームをしてたんだね」
「自分が抱えているストレスについ理解して欲しかったんだね」
とここまでわかったとしても、その先はどうすればいいのでしょうか?
この状況は、ダンジョンを攻略し、ラスボスの下まで辿り着いたものの、ラスボスを倒すのに必要な「伝説の剣」を持っていないようなものです。
ゲームに興味を持ち、ゲーム時間の管理や制限の問題はクリアになった。
ストレスを緩和できるような他の方法を一緒に考えて実行してみた。
それによってストレスを「和らげる」ことできるでしょう。
ですがそれが、ストレスという根本原因を断ち切る「伝説の剣」にはなり得ないでしょう。
もちろん「ストレス=悪」ではないし、「ストレスゼロ」の状態はむしろ心身に悪影響を及ぼしかねません。
なのでここではあくまで「過度の」ストレスを感じているであろう子どもに限って話を進めます。
ゲームの時間制限や勉強時間の確保などの「リアルタイムの課題」ではなく、
より深い根本原因を何とかするには、どうすればいいのでしょうか。
乱暴な言い方をします。
全部変えるしかない。
子を変えるには親を。じゃあ親を変えるには?
親の育ち方、育てられ方を変えないといけない。
職場環境やあらゆる人間関係を変えないといけない。
市場原理や競争社会を変えないといけない。
つまりは世界を変えるしかないんじゃなかろうか。
僕はそう思います。
この乱暴な締めを許してください。
僕にはまだ具体的な方策はありません。
ですが、子を育てる親のストレスや生きづらさを減らしていくには、
何か1つの要素を変えるだけではどうしようもないことはお分かりでしょう。
ワンオペ育児、男女の雇用に関する不平等、子育てのしやすい企業社会への変革、教員の過重労働、紐解いていけばいくらでも問題は出てくるだろうし、
行き着く先は資本主義や新自由主義のせい、なんて帰結も可能でしょう。
ですが僕はまだ、断定できる何かを持っていません。
これから探していくので、このような中途半端な形ではありますが、
ここで一旦稿を閉じさせていただきます。
小野トロ
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